【1】
「…ど、どういう事?」
ゆっくり目を開けると思い描いた世界と違う。
期待外れもいい所だ。
奇妙な紋様が床一面に浮かんでいるだけで、何も変化が無い。
「ま、まさか、失敗!?」
状況を理解すると目の前に立つ青ざめた顔をした若い男が「シーリィ様…」と情けない声を出す。
シーリィと呼ばれた女はキっと男を睨み、石床をカツカツと大きく靴音を立てて、すっかり血の気を失った男の胸倉を掴む。
「このへっぽこが!!どうしてくれるのよ!!」
男は涙目になって、首を横にブンブンを振るだけ。
「他に、送還魔法、使える人って居ないんでしょう!!」
「シ…リ、様、く、苦しい、で…す」
「どうするのよ!!失敗なんて!!有り得ない!!」
「私に、も、ちっとも、分から…、」
はーっと、大きな溜め息と共に男から手を離すと身体から力が抜ける。
「カイル」
「はい…、シーリィ様」
「聖女送還の儀式は、成功した」
「は?」
「何度も言わせないで!深谷史織は、無事に元の世界に戻った」
「あの…!?」
「イシュタルには、そう言いなさい!!」
幸い、ここには私とカイルしか居ない。
「私は姿を隠すから。出来るだけ早く原因を突き止めて、私を元の世界に返すのよ!!」
私は、所持品のリュック一つ、ギュッと抱き締めて、神殿内にある聖女の間から姿を消した。
私、深谷史織は20歳のどこにでも居る普通の女子大生だ。
それが、失恋した帰り道。
何となく寂しさから拾ってしまった白猫に「次期王位継承者を決めるのに、力を貸して欲しいの~」と言われ、返事をする前に強制召喚。
さすがの私も説明無しに拉致られて、怒り心頭だ。
いや、まず、白猫と会話可能って事に疑問を持つべきでしょう!
と、自分自身にツッコミたくなる。
今さらだけど。
白猫の正体は、この異世界グローバーの守護神エヴァンジェリンという名の女神様。
何でも、国王が逝去した後、女神エヴァンジェリンが次期国王を定めるという。
が、残念な事に女神の姿も声もグローバーの人達には見えもしなければ、聞こえもしない。例え、高尚な大神官であっても、女神の姿は見る事は叶わず、小さな痕跡すら感じる事も出来ないらしい。
と言う事で、女神が憑依出来る依り代となる者が必要で――。
「…それが、私って訳?」
「シンクロ率99%~!こんな人材を早く見つける事が出来て、ラッキー!」
何か軽すぎない?
この白猫。
女神に拉致られ、私は異世界へ召喚。
訳が分からないまま、兎に角、さっさと終わらせれば帰れるよね、と確認すると――。
「そうね~、3ヶ月ぐらいかな~」
「さ、3ヶ月!?」」
「でも、いつだって契約出来ちゃうからね~」
「は?」
「自動更新付き~。短期バイトから正社員に昇格も夢じゃないって事~」
「……」
夢じゃないって…。
これが、夢なら、どんなにいいか。
召喚後、異世界での私は聖女として厚遇され――というのは見せ掛けで、どこに行くにも、何をするにも巫女や巫者に見張られ、プライベートも有ったもんじゃない。
常に、誰かの視線を感じながらの生活にうんざりする。
そして、一番やっかいなのが――。
「シーリィ殿」
この国のエヴァンス教、最高位の男、大神官イシュタル。
「猊下、わざわざ本日も私の為に大切な時間を割いて下さり、ありがとうございます」
たっぷり嫌み込めて、完璧な作り笑顔で応じる。
どうお願いしても、どう反発しても、私の思いなど、この異世界では無駄で無意味なもの。
半ば、軟禁生活にストレスが溜まりに溜まってきている。
異世界に来たばかりの頃は、振る舞いを注意され、言葉遣いを指摘され、作法や、ちょっとした所作さえ、逐一「聖女らしく」と言われ続ける。
イシュタルは、見た目綺麗な男。
長いストレートの黒髪を一つに束ね、琥珀色の瞳。
背も190cmは有るんじゃないのって言うぐらいスタイルもいい。28歳ぐらいかな?若いくせに、大神官とはとても優秀なんですね。
なのに、口を少しでも開ければ、出てくる出てくる、私に対して嫌味としてしか取れない言葉の数々。
くっ!悔しい!!
同じ黒髪でも、こっちは手入れを省く為に顎のラインで揃えたボブカット。
しかも、うねる毛先、天然パーマ。
背も小さく153cm。
そんな私に上から高圧的に言われたら、私だって――いいえ、黙って我慢なんて私には出来ない!
反抗しまくりで「この歳で反抗期再び!?」って、自分で自分にツッコんだほど。
毎日、私の顔を見ては嫌味のオンパレード。
今日も、イシュタルは私の部屋に来て「大人しくしているように」と、お決まりのセリフを言って出て行った。
「毎日毎日、大神官って、暇なの?」
イシュタルと一緒に部屋にやって来たのは神官のカイル。
毎回部屋に留まり私の相手をしてくれる。
「いいえ、大神官様はお忙しくされてますよ。――ところで、何か、不都合など有りませんか?」
「………」
毎日、顔を合わせているのに、このカイルという男は、決まり文句かというぐらい必ず「不都合など有りませんか?」と訊き、この言葉から会話が始まる。
カイルは最年少で神官になるほどの魔力を持ち、大きな緑の瞳に、栗色の髪。背も170cmぐらいで、歳は私より一つ下。
はっきり言って、豆しばを思い出させる可愛い系。
私は、日頃のストレス解消する為、カイルに愚痴を吐く。
少し困った顔をして、それでも笑顔を浮かべて聞いてくれるのは、唯一この男だけ。
ソファに座り、靴を脱ぎ、ドレスの中で膝を折り、ぎゅっと身体を丸く小さくして自分で自分を抱き締める。この格好をして座るのが好き。
なのに、イシュタルはこの姿を見て、トゲトゲしい言葉で行儀が悪いと言い放ち「常に見られているのです。聖女らしく」と。
このグローバーに召喚したばかりの頃、知り合いも居なければ、右も左も分からない私はかなり凹んだが、生まれ持った気性が炸裂し、大神官相手に――大神官とは知らず、アンタ呼ばわりし、反論、反抗、反撃した。
カイルがこの部屋に居る時は、巫女も巫者も退室して、私とカイルの二人にしてくれる。
つまり、誰かがこの部屋に居ればいいだけの事。
決して聖女を一人にしない、というのが決まりみたい。
「ねぇ、カイル。王様を決める準備って、そんなに時間を掛けるものなの?」
「そうですね。なかなか、思うようには行かないようです」
「早く、ささっと決めて、ぱぱっと帰りたいんだけど」
「…シーリィ様。あ、それより、中庭へ行ってみませんか?」
「中庭!?」
「はい、明日、ご案内出来ますよ」
「行く!!」
その日、私は中庭と聞いて、ニヤニヤして過ごした。
異世界グローバーに召喚されて1ケ月が経とうとしていた。