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  作者: 4ever
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入口か出口か

街は目と鼻の先にある。ニックは50メートル程ある坂道を勢いよく滑り、駆けていった。ニックの目線は街の目線と同じ高さになった。街の入口には門がある。遠くからは凱旋門のような風貌に見えたが近くから見ると鳥居のような門だった。ニックは薄暗い闇の中にどっしりたたずむ門を見上げるのと同時に、全身を正体不明の寒気に舐め回される感覚を覚えぞくぞくした。それが期待なのか恐怖なのかはニック自身にも分からなかったが、この街には何か有益なものがある、とニックはこの気味の悪い寒気を半ば無理矢理にそう定義した。

ニックがこの街に来るのは初めてだ。ニックだけでなく村の人々の大半もこの街を訪れたことはない。その理由は山岳を登るのに多大な時間と労力を使うのもあるし、ほとんどの村人が村の生活に不足を感じていない事も挙げられる。一ヶ月に一度村と街を往来する商人たち以外はほとんど村を出ず、そこだけの生活で一生を終える村人も少なくはないのだ。商人たちが村と街の唯一の繋がりと言っても村人は誇張を感じないだろう。

羊の毛織物はこの辺りでは珍しく貴重なので街では高値がついた。その利潤により商人たちは街でさまざまな物資を買い揃え、それらを村に持ち帰り村人たちの生活に光と充実を与える。この村はそうして成り立っているのだ。 


ニックはこの仕組みを授業で教わったとき、商人たちが裏切ったらどうするんだ、と思ったので、その事を担任の先生に質問した。先生はニックを訝しげな表情で見つめていたが、やがてやれやれとでも言うように首を振り伸びきった調子できりだした。


「ニック。商人たちは絶対に裏切りませんよ」

「先生はどうしてそう言い切れるんですか。裏切る可能性だってあるはずです」

「裏切っても彼らの利益にならないからですよ、ニック。確かに毛織物から生み出される利潤は大きいですがそれらを商人たちが根こそぎ取っていったとしても、それだけで一生暮らしていくのは不可能でしょう。それよりも一ヶ月に一度街と村を往来し少しずつでも利潤を貯めた方がゆくゆくは彼らにとっての利益が大きくなることは彼ら自身が知悉しているのですよ。彼らが利益相反行為を行う理由はないのです。わかりますか?これは一時の利潤と最終的な利益の関係であり、変化と安定の関係であり、革命と平穏の関係です。あなたは一体どちらを選びますか?という話です。ニック、どうですか?」

彼はいかにも自信ありげに皮肉を込めた雄弁を披露した。

「理由がなければ現象や行為は起きないのですか。理由がなければ先生はそれらを否定するのですか」

ニックは淡々とした口調でこう反論したが、それが先生の感情の内側に隠されていた火薬に火をつけた。


「黙りなさい!ニック!」


教室が一瞬で静まり返った。教室には十数人生徒がいたが、その全ての生徒たちが先生が一喝したのと同時に先生の方にぱっと視線を向けた。ノートをとっていた生徒もお喋りをしていた生徒も窓から外を見ていた生徒も、皆しーんとして先生を凝視している。だがニックはこの普遍的とも言える周囲の態度や、その空気や行動に何か妙な違和感を感じた。ニックは周囲の生徒たちを見回した。そしてニックはこの違和感の正体がなんなのかを理解した。生徒たちの表情は畏怖や驚きから来るものではなく、例えばサッカーをしていてゴール前まで上手くパスを繋いでいたのにも関わらず前線の選手が決定的場面でシュートを外す、その選手に向けるような表情と視線だ。ふとニックは先生の方を見てぎょっとした。彼は教卓に手を掛け俯いて大量の汗を顔中に貼り付けていた。額から絶え間なく流れ出る汗は油と混じってぬめぬめしていて、瞳孔はかっと見開き額には皺が寄っている。目の中の黒い球体はせわしなく揺れ動きいかにも落ち着かない様子に見えた。

「いや…ですが…ええ」と彼は吃りながらというよりは寧ろ言葉を探るように声を出し、やがて何かを決心したかのように顔を上げ

「…ですが、いや、そうです…!あなたの言うことはもっともです。ええ、確かに。ニックは村人全体のことを考えているからこそ商人たちを疑うのでしょう。わかります。ですが、ニック。彼らは私たちの仲間です。信じるのは当然ではないですか?」

ニックは仲間という言葉に妙に納得して、確かに先生の言うとおりかもしれません、と言おうとしたがその言葉の対象である先生自身によって、それは遮られた。

「あなたは…違います。ニック」

生徒の誰かが「先生!」と叫んだが彼の耳には届いていないようだった。

「何が違うんですか」

「違うんですよ…あなたは…」

「だから…!何がどう違うのかを教えてください」

ニックは次第に苛々し始めた。その時先生の後ろとニックの横に‘影’が現れた。

「ニック。あなたは今何歳ですか」

「はい?」

「何歳かと聞いているんです」

彼は先程の視線の定まらない様子から既に脱していて、普段通りの強気で自身に満ちあふれた口調に戻っていた。

「…14です」

「あと6年」

「え?」

「あと6年ですよ。ニック」

そう言い残すと先生は立ち去っていった。手を力なく振りぶっきらぼうな足どりだった。


後日、その先生は解任され村を出て行った。ニックは新しくきた担任に理由を聞いたが、何も答えようとはしなかった。








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