祖母の死去
旅日和だな、ニックは心の中でそうつぶやいた。ニックは今日旅に出る。夏の太陽が指先から心臓までをジリジリ照りつける。そうして体が熱いと悲鳴をあげようとすると、途端に心地よい風が吹き、頭の芯を通り抜け、爽快な心持ちに変えていった。さあ行くか、とリュックを担ぎ村と外の世界との境界線を踏み越えようとした時、後ろから自分の名前を呼ぶ声がした。ニックはだるそうに首を揺らしながら振り向いた。村の友人だ。いや、正確に言えば村の友人だった人だ。
「何も言わないで出て行くなんて水臭いじゃんか」
「体には気をつけろよ」
「いつでも帰ってこい」
彼は、おそらくこんな事を言っていたのだろう。向こうが迫真の演技をしてきたので、僕も仕方なく、あぁ僕はひとりじゃないんだね、でも行かなくちゃ、ありがとう、君は僕の親友だよ、などと言って涙のお別れ会をしてやった。
彼が去った直後、
後ろからまた声がする。
振り返ったがそこに人の姿はなかった。まさか、と思いニックは視線を下げた。
予想は的中した。ちっとも嬉しくはない。
「またお前か」ニックはため息混じりにつぶやいた。
そいつは僕の顔を見上げるようにして立っていた。そしてまるで赤ん坊が初めて喋った時のように舌足らずな口調でこう言った。
「ウソツキ、ウソツキ、ケケケ」
エコーのかかったやけに響きのある声の正体は‘影’だった。座敷わらしを真黒く塗りつぶしたような見た目をしていて目は赤色で染まっている。いつもニヤニヤ笑いながらこっちを見てくる気味の悪い奴らだ。そいつらを俺は‘影’と呼んでいる。
‘影’を初めて見たのは、育ての親である祖母が死んだ時だ。12歳の誕生日を迎える日の三ヶ月前、祖母は村の流行病でこの世を去った。祖母が死んだとき、ニックは心にできた大きな穴を涙で埋めようと必死に泣いた。いや、埋めることができないことは分かっていた。しかし、そうせずにはいられなかった。僕と違って俺の本能は嫌になるくらい正直だ。暫くすると泣き疲れて、吸い込まれるかのように広い草原に寝そべった。それからハハッと息を吐き出しながら何かを諦めたかのように小さく笑った。その時のニックの心は汚れたブルーで染められていて、真ん中にはやはり大きな穴が空いていた。両親から捨てられて祖母に育てられた、そんなニックの青い心の中では、祖母は死んだのではなく自分を捨てたんだ、という気持ちが渦巻いていた。その渦巻が先程の穴の中に落ちていった時、激しい孤独感に襲われニックはまた泣き出した。星空は涙を含む瞳で映し出したせいか一つ一つが宝石のように輝いていて、それと対照に背景は驚く程暗く黒く深かった。ニックはその暗闇の方に妙な親近感を抱いた。