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第三話 距離 ~She shed tears all alone~

 村の外の草原を横切る小道は、商人たちがつけたものだ。小道は一度森へ入り、西へ向かう街道へと続いている。

 森の木立の間では、小鳥たちがしきりに鳴き交わしていた。ランの後、数歩遅れてレプカが続き、テオはしんがりを務める。陽の光は薄い雲と梢を通して弱々しく、小道に落ちる影は頼りなげだ。

 ランはどことなくおぼつかない足取りで歩きながら、常に注意深く森の木々を見上げ、時折草の葉や木の実を手にとっては眺めた。

「そんなに森が珍しいのか?」

 テオが尋ねると、ランは苦笑を返し、実地で見るのは初めてだからと呟いた。

「実地で?」

「うん。本で読んだことはあったけど」

 ランは周囲を見回し、少し先で道に大きく張り出した枝を指差す。

「あれは松、向こうの白いのが白樺。実がまだ緑色をしてる広葉樹は楽園に特有の植物。楽園の人はレスタの木って呼ぶ。学名はレーサレースタ。あの実は赤くなったら食べられる。あれって、おいしい?」

 ランが最後に指差した方を見て、テオは苦笑した。

「そのまま食べてもおいしくない。味が薄いから。クスファムの村では砂糖漬けにして食べていた」

 そうなんだ、と感心した様子でため息をついて、ランはまた深く続く森の木々を眺める。幼い子供のような反応に、テオはかすかに瞳を細めた。


 三日目の正午頃、森が終わった。森の先は木々がまばらに立っている草原だった。クスファムの村を囲む草原よりずっと広い。見渡す限りどこまでも続く草の海には、身を隠すものも身を守るものも何も無い。

 二人は森との別れを惜しむように出口で昼食を食べ、再び進み始めた。


 同じ日の夕方、一行は草原に横たわる黄色いレンガの道に辿り着いた。

 西へ向かう街道だった。

 二人と一頭が横一線に並んでもまだ余裕があるほど幅の広い道には、雑草一つ生えていない。草原は黄色い街道を挟んで北と南に綺麗に分かれ、睨み合うように対峙していた。二人が歩いてきた小道は遠慮がちに消え入りながら街道に合流する。弱い風が吹いていて、草原はざわめきながら小さく波打っていた。


 テオは、この街道からクスファムの村へやって来たのだと、西の方を指して言った。


「だから、テオもよそ者なの?」

 街道から少し離れた場所。夜営の準備を不器用に手伝いながら、ランは首を傾ける。

「ああ。村に住みつく前は母と二人で放浪していた。ものごころつく前から、ずっと」

 テオは草を円形に抜き取って作った小さな空き地に、乾いた灌木で焚き火を作りながら答えた。

「西って、どんなとこ?」

「何かを知っている人間が多いな。俺と母は奴らにずっと追い掛け回されていた」

 ようやく炎を上げ始めた焚き火を見つめながら呟く。

「魔術を、使えるから、ね」

 ランの声の調子に顔を上げたが、レプカから荷を降ろしてやっているランの表情を読み取ることはできなかった。

「それもあるが、鉄の人間や動物が集まっている場所を見てしまったからだ。この地に住む者にとって、見てはならないもの見てしまうことは重大な罪なのだと、彼らは言っていた」

「……もういないよ」

 ランは静かな調子でそう告げた。

「鉄でできた人や動物。ほとんどみんな、外へ行ってしまったもの。外で戦争、あったから」

「外、か」

 低く呟いて立ち上がる。

「外はどういった所なんだ?」

「……知らない」

 顔を伏せてぶっきらぼうに答えるランに、テオは僅かに眉根を寄せた。

「お前は外から来たのだろう」

「私は、何も知らされなかった」

 ランは、それ以上何も答えようとはしなかった。


 翌日から、遥か地平線の果てまで真っ直ぐに続く街道を、一行は西へ西へと進み始めた。

 湿った生暖かい風が一日中吹いていた。空は薄い雲をまとい、地平線の影には時折黒い森の影が見え隠れする。街道沿いに集落はなく、一行は毎晩道の脇で野営を張った。人の姿は無かったが、動物たちは一日のうちに何度も見かけた。群れを成す草食獣も、子供を抱えた肉食獣も、皆一様に東を目指して急いでいた。


 村を出てから数週間後に、二人は街道を東へ向かう人々に出会った。荷車にいっぱい家具や農具、作物を載せ、黙りこくって東を目指している。常ならば決して村を離れるはずのない、乳飲み子を抱えた母親すらも混じっていた。


「西の地で何かあったのか?」

 最初の一行とすれ違ってから三日目の夕方、偶然同じ場所で野宿することになった一団の長老に、テオは訊ねた。宿営地の中心、大きく焚かれた炎に照らされる人々の表情は暗い。彼らの長は、半月ほど前に村を捨てて出て来たのだと語った。

「我らは神々の加護を失った」

 盲いているらしい長老はくすんだガラス玉のような瞳にテオを映して呟いた。

「神々の加護を失った者は生きてはいけぬ。我らは新しき神の加護を願って、我らの住まうべき土地を探しておるのだ」

「ここへ来るまでの間、多くの旅人とすれ違った。彼らも神々の加護を失い、新たな土地を探して彷徨っているのか」

 テオの言葉に上座の長老は頷く。

「おそらくはそうであろう。西へ行くほど神々は人に牙を剥き、今まで見たことも無いような化け物が人を喰らっていると聞く」

 同じ焚き火を囲んでいた村人が両手を組んで小さく祈りの言葉を唱えた。黙って話に耳を傾けていたランがふと胸元の水晶を握り締める。

「獣たちは怒れる神々の影響を受けています。神々の怒りは人へと向けられたもの。だから、獣たちは人を襲う」

 低く告げられた言葉に、村人たちは小さくざわめいた。

「我らは神々の怒りに触れたのだろうか」

 別の村人が恐る恐る長老に尋ねる。

「わからぬ。我らではない誰かが神々の怒りに触れたのだとしても、我らには誤解を解く術は無い」

 長老は厳しい表情で首を横に振った。

「神々の怒りに触れたのはあなた方ではありません。けれど、神々の怒りは人類全てに向けられたもの。その怒りを解くことは容易ではないと思う」

 ランは言葉を切って水晶に視線を落とした。

「今は、とにかく東へと向かってください。神々の怒りはここでは西からやってきます。遥か東ではまだ人に敵意を持っておらず、また先住の者と争わずに済む土地も残っているはず」

「驚いた。そなたは巫女か何かか」

 村人の一人が身を乗り出して尋ねる。ランは苦笑して首を横に振った。

「巫女は神々の声を代弁するもの。巫女に求められる資質は神々の声を聞くこと。私は神々の声を聞くことはできます。しかし、代弁したりはしないのです。巫女ではないから」

「長老」

 少し外れた高台で風を占っていた巫女が、焚き火の側へ戻ってきて呼びかける。シセナよりふたまわりほど年長らしい巫女は、それだけ巫女としての経験も長いのか、静かな威厳を漂わせていた。焚き火を囲む人々は、口を閉ざして巫女の言葉を待つ。

「東へ向かうのであれば、明日は穏やかな一日となるでしょう。西からは暗き影が迫って参りますが、我らの歩みよりは遅い」

 巫女の預言に、長老は静かな頷きを返した。

「そうか。では皆の者、明日も早い。休んでくれ」

 長老の言葉に、村人たちはようやく言葉を取り戻し、さざめきながらそれぞれの寝床へと戻っていく。しばしその気配に耳を済ませていた長老は、まだ焚き火の側に残っていたテオとランの方へと振り向いた。

「聞いての通り、西には暗き影がある。それでも西へ向かうと言われるか。このような時世だ。そなたらが望めば、我らはそなたたちを新たなる村の一員として迎え入れるが」

「いいえ」

 テオが何か言うよりも先に、ランは長老の申し出を拒絶する。

「私は私の安住の地を探しているわけではない。ユリンへ辿り着く事が、もっとも大切なことなのです」

「ユリン、か……」

 長老は盲いた瞳を閉じた。

「そこへ、届けなければならないものがあるのです」

 ランは真摯に言葉を続ける。

「ユリンの謎に触れて生きて帰ってきたものはおらぬ」

「知っています。けれど、世界は変わりつつあります。ユリンもその影響から逃れることはできません」

 長老は顔を上げてランの方へ手を延ばし、ランの頬に触れた。テオは、それが西方の地の慣習であったことを思い出す。再び帰るあてのない旅へ出る者と、その同行者に与えられる祝福だ。ランはその手を取って目を閉じる。テオも瞳を閉じ、長老の祝福を静かに受け取る。

「そなたの決意を翻すことはできぬようだ。何がそなたをそうも駆り立てるのか我にはわからぬ。だが、祈ろう。そなたらの旅に幸多からんことを。ユリンへはこの街道を真っ直ぐ行けば辿り着けよう。ユリンへの道は長く、世界は暗き影に覆われようとしておる。そなたらが旅を成し遂げるには多くの幸運が必要となるであろう」

「ありがとう……ございます」

 ランの声が低く掠れた。

「明日の朝早く、我らは東へと向かう。二度と会うことも無かろう。では、さらばだ」

「……おやすみなさい」

 ランが深く頭を下げる。テオも長老の背に向かって頭を下げ、二人は共に自分たちの寝床へ戻った。

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