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P300A  作者: 山田 潤
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Escape(脱走)

「さすがにサルのようには行かないな。このまま脳波の記録を続ける。CTを撮りたいところだが、こいつが大人しく病院まで連行されるとも思えない。勤務の間に善後策を考えてくる」

「私はもう暫く観察を続けるわ。可愛い奥様役は当分休業。食事は外で済ませてきてね」

「ああ、わかってる」

 重い扉の締まる音、スチール製の階段を上る足音が俺の頭に轟音のように鳴り響いた。聴覚のボリュームをミュート寸前まで絞ってみる。それでもたくさんのノイズが入り込んでくる。それは五感の全てに間断なく降り注いでいた。なのに思考の透明度は下がらず幽谷の湧水のように澄み切っている。所の言った通り、これが進化の具現なのか。既に自己の位置把握からは脱却して俺はそんなことを考えていた。所と梓の会話が声の抑揚までをも包括して保存される。脳の情報処理能力は格段の進化を遂げていた。俺は聖徳太子か――不遜な自問が、自然と唇の端を持ち上げさせた。


「検査開始よ。怖がらないでね、血圧、脈拍、体温を調べるだけだから」

 所の去ったラボに梓の声が響いた。

 怯えているのは君のほうだろう。梓の声が、呼吸が、体温が恐怖に侵食されていた。感じる? いや、見えるのか。上手く説明は出来ないが何故だかわかってしまう。それが一番正しい表現だった。DNAは出来る端から精緻な規則に則って折り畳まれてゆくという。あれと同じで自然に分かってしまうのだ。何気なく目を遣った梓の頭部付近、色とりどりの細かく震える繊維状のものがちらちらしている。あれは一体何なのだろう? そう思った瞬間、目から入って脳を通らずに流れ出て行ったはずの記憶――病院での脳波検査の際、所から手渡された学術書に書かれた文字の羅列――がぱっと浮かんだ。あれが脳波か……空間に漂う種々雑多な電位は静電気や電子機器が発する電磁波なのだろう。それらとの干渉を避けながら、梓の脳波は振幅を繰り返す。驚きを表わすのがあれ、恐怖はこれ、情報は速やかに整頓され、アドレスを振り当てられては格納されてゆく。ははあ、所が言っていた数字は意味を成さないというのは、このことだったのか。もう少し脳のコントロールに長ければ、俺は心電図にも脳波計にもなれる。腐れ事務長や沙悟浄課長にへいこらする必要などない。神の領域は大袈裟でも、他人の意志に介入出来るということは、絶対的な権力を手にしたのと同じことだった。

 元来がお人好しな俺は怯える梓が気の毒になってしまう。彼女の表情に注意しながら負の感情を司る脳波を探り、怯えの突起を静電気を用いて滑らかにしてゆく。梓の瞳に平安が戻った。かなりの確率で先ほど梓に苦痛を与えたのが俺の仕業だったのだと気づいていた。

 その昔読んだ本にあった『大いなる力は高潔な精神に宿るべき』との行を思い出す。人工的に能力を持たされてしまった俺はどうすればよいのか。これからでも頑張って高度なモラルを構築すべきなんだろうか。意趣返しの後でもいいよな? その問い掛けにオイラーズは揃って沈黙した。続いて『拘束も無きが如し』その言葉の意味を考えた。早速実践に移す。革製のベルトを緩めようと念を送るのだが、髪の毛一筋ほども動いてはくれない。力の使い方が間違っているのか? それとも微細電流の操作だけが俺に芽生えた能力なのか。これにもオイラーズは答えない。自分の内にない知識は語れないということなのだろう。

 当事者の俺に把握出来てないものを所や梓が理解しているはずはないが、この力をもたらしたのがP300Aであり、それを開発したのが所であるといった事実は動かせない。彼の頭脳を侮ってはいけない。能力の全容把握に力を注げ。彼らに先んずることが出来ねば、梓が描くイメージ――テリーヌのようにスライスされた俺の脳味噌――そんな運命が待つのみだ。

「何を飲ませたんだ? ARAか? それともDHAか」

「あら凄い、そんなのどこで覚えたの? 早速P300Aの効果が発揮されたのかしら。でも残念、そんなありきたりなものでは老化の抑制にはなってもニューロンの増殖は起こしてくれないの。ついでに言うならアルギニン酸でもなければHGHでもない。アルファSAとでも言っておこうかしら。ソウタロウ&アズサの頭文字を冠してね」

 凄い、その言葉とは裏腹に俺の問い掛けなど歯牙にもかけない様子で梓は淡々と語る。俺の意識操作が、梓から怯えを取り去ったという自覚はないようだ。

「ねえ教えて。伊都渕君の頭脳は、どう変化したの?」

 テリーヌを思い浮かべたままの質問に、まともに答える気になどなるものか。

「さあね、その波形や数字の意味するところを理解するのは君の仕事だろう。皮肉は上手くなったかな。それ以外は頭の悪い俺には分からんよ、何せサル並みの新大脳皮質なんだし」

「意地悪ね、ご褒美をあげるから教えてよ」

 

 このエピソードに関して、性描写が露骨なので改稿せよと管理者側より指摘があり数行削除しました。原文から、抜けていることをご了承下さい。

 故、大島渚様の気持ちがわかる気がしました。


 痛覚のネットワークと一緒に快感の回路も遮断してしまっていたようだ。愛情のない性交に価値は認めない俺だが、ちょっとした悪戯心が起こる。

「あなた、勃起障害なんじゃない? え……何これ? 凄いっ」

 血流のダムを解放し、ついでに腹直筋を海綿体基礎岩盤として送り込む。俺の代理人格は偽りの猛々しさをもってそびえ立った。

「平常時の倍? いいえ、三倍はあるわね。たいしたパフォーマンスだわ」

 梓の目がネコ科の捕食動物のように妖しく光る。

「創太郎はマスターベーションで抑制しているみたいだけど、私はそうは行かないの。このまま放って置くのも残酷でしょ? 鎮めてあげる」

 何度も言うが幼き懸想を捧げた梓だ。排泄も放屁もしない女性だと信じ続けた彼女のそんな姿を俺は見たくもなかった。

「後悔するぞ」


 このエピソードに関して、性描写が露骨なので改稿せよと管理者側より指摘があり数行削除しました。原文から、抜けていることをご了承下さい。

 故、大島渚様の気持ちがわかる気がしました。


 俺は梓が発する快感のうねりを探し当て、つまみ、ひねり、そして大きく揺らす。その都度、彼女は喘ぎ、叫び、嗚咽のような呼吸を繰り返した。そして梓が歓喜の頂に近づくと、俺はその高まりを摘み取る。焦れて焦れて半狂乱になりかけたところで、彼女の意識を開放してやった。梓は大きな悲鳴と共に俺の胸に倒れこんできた。彼女の熱い息がシャツの薄い布越しに伝わってくる。白衣の背中は大きく波打っていた。

「一体どうなってるの? 私がこんなにフラフラになっているのに、あなたはまだ――」

 俺の胸に顔を臥せたまま梓が囁く。

「セックスを単なる欲望の発散とか男を騙す手段としか考えてない君が哀れに思えてね。集中出来なかったんだよ。思ったほど所に大切にされてもいないようだな。もう十分だろう? これは豪華ディナーへの心ばかりの返礼だと思ってもらおうか」

 梓は顔を上げて俺を睨んだ。意識を操作する必要などない、少しだけプライドを傷つけてやれば簡単に挑発に乗ってくる。彼女は喘ぎ、叫び、果てる、を幾度も繰り返した。二時間か……女は凄いな。俺はラップトップPCの端に表示された小さな数字を読んだ。運転免許試験の適正検査が眼鏡ナシでぎりぎりだった視力も改善されているようだった。

 かなりの時間をかけて呼吸を整えた梓は俺から降り立つとこう言った。

「わかってる? あなたはこのラボの囚人。創太郎と私の知識欲を満たすだけじゃない。これからもずっとこうしてもらうわよ」

「そうなんだ、じゃあハイソなお宅のディナーには似つかわしくないかも知れんが、次は自然薯でも摺りおろしてもらうとしよう。君の底なしの欲望に応えてあげるんだから、ささやかなリクエストだろ?」

 その軽口が女王様の自尊心を傷つけたようだ。俺を見下ろす瞳に怒りの炎が灯った。

 看守が二人になると面倒だ、そろそろ退散するとしよう。梓の脳波を俺の意思に沿ってねじ曲げるには、アセンブリ言語も特殊なコマンドも必要ない。ただ見つめるだけでよかった。瞳に意思の光を失った彼女はかちゃかちゃ音を立てて俺をベッドに縛り付けていた拘束具を外し始めた。


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