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P300A  作者: 山田 潤
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Confinement(幽閉)

 目が覚めた時、僕に課せられたミッションは状況の把握だった。体を起こそうとするのだがびくともしない。四肢はおろか、胸部も頭部もきつく固縛されているようだった。何が起きているんだ? 視線の届く範囲で周囲を探ってみる。頭部に感じる違和感は電極でも貼り付けられているのか。ワイシャツもズボンも脱がされていた。となると先ほどの出来事は夢で、未だ脳波の測定中だったのだろう。と浅はかにも安堵しかけて気づく。壁の色が違うし助手も居ない。と、言うことは……

 病院で見たのと同じ脳波計、数基のモニタに向かう背中は所のようだった。

「所か?」

 ひとりで悩んでいても仕方ない、わからないことがあったら素直に訪ねるべきだ。僕は声を上げた。

「おう、起きたか」

 所が振り向いた。気安い言葉とは裏腹に彼の目には冷たい光があった。僕はぞくりとしてしまう。

「うん、ここは病院か? 部屋が変わったのかな? 眠ってしまったようだ、すまん」

「いや、ここは自宅地下のラボだ。眠ったのは薬のせいだよ、気にするな」

 薬? 頭部CTの前も脳波検査の前もそんなものを口にした記憶はない。とすると……

「ええと、これは夢か?」

 夢ならその登場人物にこう訊ねる僕はバカだ。頭脳明晰な意思である所は当たり前のようにそう指摘する。

「夢なら、こんなにしっかりした会話にはならんだろう」

 所はくっくっと笑って僕の足元に歩み寄った。梓との密事をどうにかして知った彼の怒りを買った結果がこれなのか。あちらは未遂で終わっている。それに僕は決して積極的ではなかった……はずだ。ちゃんと説明すれば入札の件にも猶予が与えられるのではないか。僕は粘り腰を見せる。

「すまん、他にも謝ることがある」

「梓が誘ったんだろう? お前が謝ることはないさ」

 え? やはり知っていたのか。しかし怒ってないなら何故僕を縛るんだ。それに梓はどうなった。数十年ぶりに再開した同級生をこんなふうに扱う男だ。殴られてでもいなければよいが――愚かにも彼女の身を案じる僕の頭上から涼やかな声が聞こえてきた。

「そうよ、伊都淵君はハルシオン入りビールを飲むのが早過ぎだわ。私はアレの後でも全然、構わなかったのに」

 声の主が僕の視界へと姿を現わした。頭痛が明瞭な思考に枷をかけていて次の言葉を探し出すのに一分ほどかかってしまった。

「グルだったのか……」

「その表現は正確ではないわ。あたしは創太郎の共同研究者なの」

「お前ら夫婦だろう、俺が梓を抱いてたらどうするつもりだったんだ。梓の不貞未遂は責めないのか」

 僕の幼き憧憬につけ込んだ策略への抗議と、あわよくば嫉妬心が仲間割れを引き起こしてくれるのではないかとの期待、それをまとめて所が打ち砕く。

「くだらん、生殖行為など犬やサルでもする。動物との差異を見出そうと愛だの恋だのを絡ませるからややこしくなるんだ。そうは思わんか?」

「思わんね、セックスは本来愛情の交換であるべきだ」

 女性の裸体は美しいと思うが、それを商品化した行為に僕は価値を認めない。いわゆるアダルトビデオを僕が観ない理由はそこにある。友人達はそんな僕を変人扱いしたものだが。

「見解の相違だな、まあいい。俺はそんなことで梓を責めないし、お前に俺の意見を押し付けるつもりもない」

「だったら、僕をどうしようというんだ」

「研究だよ、最終段階に入っている。その被験者をお前に頼みたい」

「これが人にものを頼む態度か、まずこれを解いてくれ」

「だめだ」

「そうよ、伊都淵君がうんって言うはずないもの」

 うんと言うはずがないようなことを、されようとしていた僕は考えた。とりあえず時間を稼がねば。今が何日で何時なのか分からないが、帰らぬ僕を心配した妻が何かしらアクションを起こしてくれるはずだ。『重役出勤とは大層なご身分だな』 若しくは課長の嫌味メールでもいい。そうだっ! 携帯は? そしてはたと気づく。梓と二人きり、あらぬ期待に携帯電話の電源を切っていたことを思い出した。それが入った上着も見当たらない。マヌケは罪であることを悟った。しかしマヌケにも自分を守る権利ぐらいはある。この窮地は自力で乗り切ってやる。

「聞いてみなきゃわからんだろう、説明ぐらいしろよ」

「よかろう」

 所がラップトップPCの乗ったカートを僕の目が届くところまで滑らせてモニタをこちらに向けた。

 彼の説明は、ERPがどうの誘発電位がどうのと難解を極めたが、要約するとおそらくこんなところだ。脳波というものは神経細胞の電位的変化を表したもので、物事を認識した時にP300波というものが発生するらしい。300ミリセコンドで大きな減値を示すところからそう呼ばれる。その300という数値を限りなくゼロに近づけることが出来れば、脳は飛躍的な進化を見せるはずだ。ある薬品がニューロンの増殖とシナプス伝達を活性化させるのを発見し、ラットやサルでは画期的な実験結果が得られた、と―― 脳は持ってはいても活用は苦手。無論、観察などしたこともない僕である。多少の誤謬は含まれているかも知れない。

「探したよ、頭のいい人間なら病院にも大学にも多くいる。しかし新大脳皮質のサイズがサル並みというと、そう簡単には見つからない。そんな時中学校時代のお前を思い出したんだ。弱いくせに喧嘩っ早い、内申書も気にせず教師には突っかかってゆく。そんな人間を探していたんだ」

 肉体の自由が効いたなら僕は同級生を殴りつけていただろう。言うに事欠いてサル並みの脳とは何ごとか。

「次からは病院で見かけた知り合いには知らんふりをするとしよう」

「病院に現れたお前が俺と出逢ったのは偶然ではない。興信所に頼んでお前を見つけ、ああなるように仕組んでもらったんだ。KYの課長も協力者だよ。俺は狙ったものは必ず手に入れる」

 僕は本当におめでたい。こんな男に義理立てして梓の誘惑を拒もうとしていたのだから。いや、誘惑に乗ろうが乗るまいがこうなっていたか。いっそ――不謹慎な考えを頭の隅に追いやり、沙悟浄への新たな復讐を誓った。その機会が訪れてくれることを願って。

「ここで頭を開かれるのか」

「安心しろ、そんなことはしない。手術の設備は揃っていないからな。投薬だけだよ」

 どうして安心など出来るものかとは思ったが、頭を切り開かれないことに安堵してしまう僕の新大脳皮質はやはりサル並みなのかも知れない。

「とんだマッドサイエンティストだな」

「その言葉が当時あれば、エジソンもアインシュタインもそう呼ばれていたのだろうな。俺にとっては賛辞にしか聞こえんよ」

 興奮が失態を犯しやすくするそうだが、冷静沈着に語り続ける所の牙城は難攻不落に思えた。もしそれを攻め落とすことが出来たとしても梓が残っている。諦観が僕に重くのしかかってきた。

「考えてもみろ、人間が如何にひ弱かを。これだけ科学の発達した現代でも地震一つ満足に予測出来ない。自然の猛威は去るのを待つしかないんだ。情けないとは思わないか? しかも技術の進歩は頭打ち。時代はソフトウェアの進化を要求しているんだ、つまり脳の開発だよ。俺はそれに気づいたんだ。お前に進化の先取りをさせてやろう、神の領域を見せてやるよ」

「本当にそんな事が出来ると思っているのか? だとしたらお前等は狂ってるぞ。進化ってのは遺伝子に環境が働きかけた結果に起こる突然変異の積み重ねなんだ。そしてそれは必ずしも調和のとれた変化をもたらすとは限らない。僕の脳味噌が壊れてしまうことだってあるんだぞ。そんなゼロサムゲームに同級生の僕を付き合わせようってのかあ」

 僕は何かの本で読んで覚えていたフレーズを口にした。後半が泣き落しみたいになってしまったのは情けなくもあったが。

「うろ覚えの知識をひけらかすなら相手を選べ。俺は脳神経外科医だ。遺伝子に関する知識なら梓だってお前より遥かに詳しい。それにゼロにはならん。ラット、うさぎ、サルと失敗例は皆無だ」

 物言うモルモットの運命は風前の灯火だった。

「創太郎、時間がないわ」

 梓に促された所は弁舌に終止符を打ち、テーブルの引き出しからポリ容器をつまみ上げた。

「時間稼ぎは終わりだ。これがそのP300Aだ。末尾のAはアクセラレータ、つまり加速装置を意味する。細かな理論や成分を説明したところでお前には理解出来まい。新大脳皮質のサイズはそのままにニューロンの濃度を上げる。俺達はそれを脳度と呼んでいる。

 何とでも呼べ、嚥下しなきゃ済む話だ。僕は固く口を結んだ。


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