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P300A  作者: 山田 潤
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Return of the Fool(愚者の帰還)

《すまない、失敗だ。所にそう伝えてくれないか》

 俺は日高依子に呼びかけた。

《いいえ、梓さんの脳波は戻っています。諸反応も概ね。所さんは梓さんに呼びかけ続けています。あ、梓さんが体を起こされました》

《そうか、良かったあ――》

 意識の構成は複雑を極め、どこが浅くどこが深いのかなど、他人が認識出来るものではないようだ。ミッション成功とは言えずとも、最低限の仕事は出来たようだ。

《伊都淵さんは、これを予測されていたんですか?》

《誰かの頭の中を冒険するなんて経験はなかった訳だし、予測なんて出来やしないよ。出たとこ勝負さ、俺はどうなってる? 肉体と精神が上手くシンクロしないみたいなんだ》

《所さんはあなたにも声をかけ続けています。でも反応がありません。今の梓さんとそっくり。戻れないんですか? お願いです、戻ってきてください》

《オイラーズともはぐれちゃったんだ。でも、さっきより君を近くに感じられる。おそらくここは梓の中じゃない。俺をつねってみてくれないか?》

《こうですか?》

《あはは、痛いや。するとこっちかな》

 所の声が響いて体を強く揺さぶられる感覚があった。

「…のか?」

「すまん。もう一度、言ってくれ」

 まだ精神と肉体に微妙なズレがあるようだ。言葉の認識に時間がかかる。そして残念ながらオイラーズの存在は感じられない。

「お前は……戻ったようだな」

 所の顔がぱっと輝いた。

 ああ、多分。梓の反応は?」

 日高依子が梓の様子を伝えてくれてはいたが、専門家の判断を仰ぐのは常道である。ボンクラに戻った俺なら尚更のことだ。

「どう礼を言えばいいのかわからんが、とにかくありがとう。梓は――これを、見てくれ」

 所はラップトップPCを操作して、古い日付の脳波を表示させた。

「データも測定機器も古いものだから比較しにくいだろうが、これは俺の中学生時代の脳波だ。今の梓が示すものと瓜二つなんだ。梓はすぐそこに居る」

 オイラーズの助けなくして脳波が示す意味など理解出来るはずのない俺であった。曖昧に頷いてお茶を濁す。

「力が及ばずすまん。俺に出来たのはここまでだ。でも、お前ならそこに居る梓を連れ戻せるはずだ。かつてお前のおふくろさんがそうしてくれたようにな」

「質問の意味が分かったよ。そして俺のすべきことも見えた気がする。人々の能力の底上げはお前の言った通り進化を待つのが正解なんだな。よくわかった。今苦しんでいる人の助けになるような研究に切り替える。そして俺は絶対に梓を取り戻してみせる」

「その意気だ」

 俺は所が差し出す右手を強く握り返した。

「俺の頭を開くことを諦めたくれたのは有難い。尤もオイラーズは消失してしまったようだがな」

「そうだったのか、すまん」

「いや、あんなものはない方が気楽でいい」

 そう言って笑うと、所の顔にも笑顔が浮かんだ。

「良かったですね」

 所の意識下に、日高依子が姿を現した。

「……君は?」

「すまん、勝手に同席させた。彼女の協力がなければ梓を連れ戻すことは出来なかったはずだ」

「そうだったのか、こちらのお嬢さんにも礼をいうべきだな。ありがとう」

「奥様はきっと元通りになられます。頑張って下さい」

 微笑んで差し出す日高依子の手を、所が握り返した。


《俺に残ったのは、これだけみたいだよ。君には苦労をかけるかも知れないけど、それでもついてきてくれるかい?》

 彼女は返事の代わりに俺の手をぎゅっと握り返してきた。

《いいじゃないですか、あたしが伊都淵さんを守ってあげますよ》

 男として、しかも彼女より十三も歳上の俺が庇護される側になるのも情けない話だ。オイラーズを失った今、ヘッジファンドの取引からも手を引かざるを得ない。生活の糧を得る手段も講ずる必要がある。自宅を売ればローンの残債が幾らかでも減ってくれるのだろうか――凱旋したばかりのヒーローの思考を、小市民的発想が包み込んでいた。

《お任せあれ》

《ん?》

 消失したはずのオイラーズがわらわらと顔を出してくる。確保したはずの潜在領域だったが、無意識下で留守番を残していたのか――俺の免疫細胞群も捨てたものではないな。とにかくこれで一切の禍根を残すことなくこの街を離れることが出来る。

「旨いコーヒーが飲みたくないか?」

 日高依子がぴたりと体を寄せてきた。

「いいですね、行きましょう」

                                      完 


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