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P300A  作者: 山田 潤
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Emotion(依子の想い)

「あたしが伊都淵さんを送ります」

「大丈夫かい? さっきみたいに居眠りをして事故でも起こさないでくれよな」

「あれで目が冴えました。任せといてください」

 社用車を返却した俺の移動手段は情けないことに徒歩のみとなっている。彼女に伝えておきたいこともあったので敢えて遠慮もせず、俺は黒いワゴンRの助手席ドアを開いた。

「さっきはごめんなさい。伊都渕さんの考えが鮮明に伝わってきて、つい嬉しくなっちゃったんです」

「聞かれたのが松井君だから良かったものの、注意は必要だね」

「気をつけます。松井さんにも試してみたんですけど、全然ダメ。あの人ったら残ったピザのひと切れに手を伸ばしていいかどうかで私達の顔色を窺うことで頭の中が一杯で……どうでしょう、これから二人で説得にあたりませんか? その所さんご夫婦を」

 とんでもないことを言い出す娘だ。

「何を言い出すんだ、そんなのダメに決まっているじゃないか」

「何故です?」

「同級生の俺をこんな目に合わす連中なんだぞ、ナチュラルに能力を授かった君のことを知れば、どうにかして実験対象にしようとするに決まっている。君をそんな危険な目に合わす訳には行かない」

「でも『 所が百パーセント間違っているとも思えない』あなただってそう考えていたじゃないですか。その人達がそんなことをします?」

 とうとう〝あなた〟になってしまったか――まあ呼び方など何でも構わないが、この無茶なリクエストにだけは応じられない。

「彼等には俺に分別を与えたという認識もある。でも、その結果は彼等の予想を遥かに超えてこんな化物を生み出してしまったんだ。生まれながらに力の備わった君をどう扱うかなんてことは俺にもわからないが〝君子危うきに近寄らず〟 だ。脳波を操ることが出来るといっても一度に複数を相手にしたことはない。個体差があって、どれが何の働きをしているかを確かめないといけないんだ。つまり万が一の場合、君を守ってあげられるかどうかさえわからないんだよ」

 俺の説明には嘘があった。目に映る全ての脳波をブルドーザで整地するかの如く均してしまえば大抵の決着はつく。ただ、その決着の正体を語る気にはなれなかった。

「……嬉しい」

 はあ? 俺の尻が車のシートからずり落ちる。

《あなたは、あたしを守ってあげたいって思ってくれた。それが嬉しかったんです》

 彼女の顔は車の進行方向を向き口は閉じられたままだった。何かの才能が開花する場面に出食わす機会など、そうそうあることではない。しかし、それを喜んでいられる場合ではなかった。自転車に乗れるようになって目茶苦茶ペダルを漕ぐ娘を見守る父親の気持ちがわかった。ちなみにうちの娘達は上の奈緒子がようやく三輪車に乗り始めたばかりである。

「無闇に力を行使しないほうがいい」

《大丈夫です、あなたの前でしかやりませんから。それにあたし達、親子ほどは歳も離れてませんよ》

 前を向いたままの彼女が、口元を綻ばせていた。俺は考えにしたくなかったことを思い浮かべて日高依子に送り付けた。

《だったら、言おう。俺は君に好意を持っている。だが、まだ妻との決着はついてない。勿論、所の件に関してもだ。全ての問題が片付いたら、俺はこの街を離れるつもりだ。傍に居て君を守ってあげることは出来ない。だからこそ、俺とは無関係でいて欲しい》

《知ってます。小野木さんって方の遺志を継がれるつもりなんですよね。素晴らしいと思います》

《それが分かってて何故……いいかい? 君のその力が人に知れたら、追いかけてくるのは所だけではなくなるだろう。家族と一緒に居られなくなる――》

 俺がそれを伝え終わる前に、日高頼子の思考が束になって頭の中に流れ込んできた。

《やっとあなたを見つけたんです。見捨てないでください。何故、家族と一緒に居なきゃいけないんですか? 血の繋がりってそんなに大切なんですか? 共有出来る精神がなければ、却って違和感を感じるものではないですか? 迷惑は掛けません。傍に居させてさえくれれば、あなたを見て勝手に学びます。あたしは、あたしが生まれてきた理由を、その意味を知りたいんです。作られたとかどうかなんて関係ありません。あなたの内に元々ないものだったら、どんなことをしたってそれが目覚めるはずなんかないんです。あなたが嫌だって言ったって、あたしはついて行きます》

 こんな熱烈なプロポーズを受ける器量も資格も俺にはない。オイラーズに封印させておいた梓との情事を鮮明な画像にして送り付ける

《君が思うほど、俺は清廉潔白な人間じゃないんだよ。人にものを教えられるような人間でもない》

雄弁、思考をそう呼ぶのが適当かどうかはわからないが、奔流のようだった彼女のそれが弱まり、怒り、悲しみ、憐憫、驚嘆がごちゃまぜになって渦巻く様を、複雑な思いで俺は見ていた。言葉も思考もない。た、沈黙だけが流れていった。

《逃げなければ、どうされていたかわからないんですよね。今回だけは許してあげます》

 はい? きつく唇を結んだまま、複雑な表情をした彼女の瞳には涙の粒が張り付いていた。『許してあげますって、君は俺の妻でも恋人でもないんだぞ』その抗議は言葉にも思考にも出来ないまま、オイラーズがこそこそと仕舞い込んだ。

 光栄ではある。これほどまでに慕ってくれる女性の存在が嬉しくもあった。だが俺が決着をつけなければならない問題に何の見通しも立っていない。妻が頭を下げて戻ってきたらどうする? 所が新たな被験者を見つけ出して実験を続けようとしたら俺以外の誰が止められるんだ? 所邸まで後数百メートルの地点、信号で止まった彼女の注意を逸らして俺は静かに車を降りた。

 ひとつ明確になったことがある。電位を読み、それを言葉に変換せねばならない似非超能力者の俺と違って日高依子には思考がそのままの形態で伝わるようだ。例えて言うならインタープリター(同時通訳)と辞書首っ引きで慣用句は直訳してしまう通訳ほどの違いがある。

《胸が張り裂けそうか?》

 オイラーズの問い掛けに脳内で深く頷く。哀しみの回路の遮断には骨が折れるようだ。俺は所邸の玄関にたどり着くまで涙が止まらなかった。

「戻ったのか?」

「ああ、入札の件では世話になったな。この通りだ」

 俺は頭を下げた。

「気にすることはない、最初からそういう条件だったんだからな。それに嫌々ながらでもお前は研究に協力してくれた。もういいぞ」

 穏やかな表情の所を見ることなど、こうなって以来初めてのことだった。何があったんだ? 俺は所の脳波を探りかけて思い止まる。友人の思考を無闇に覗かないと決めていた。

「もういいとは?」

「出ていっていいってことだ。お前の頭を開くのは諦めたよ」

「実験を諦めたってことか?」

「研究者というのは、そんな淡白な人間では勤まらない。想定外ではあるが予想以上の効果を得られた実験だったんだ。ここで引き下がる訳には行かんのだ」

「お前、ひょっとして――」

 俺は新しい被験者の可能性を危惧した。日高頼子の涙を浮かべた顔が浮かぶ。

「誰も騙してはいない。お前の言った方法論云々には考えさせられるところもあったしな。ここから先、お前は部外者だ。話は終わった、出ていってくれ」

 これ以上、議論をする気はないといった意思表示に所は背を向ける。誰も騙してはいないという言葉に虚偽の電位は上がらない。となれば俺が居座る理由はなかった。障害が一つ消え、日高依子との距離を詰められるような気がしていた。

 この能天気さを後に俺は死ぬほど悔やむことになる。何故ルールを破ってでも、あの時所が考えていたことを探らなかったのだ、と。


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