大山興信所
ちゃんと施錠して出たはずのドアが開いていた。カフェに併設されたオフィスは五坪ほどのこじんまりとした居住いで『身上調査・家出人搜索・企業調査全般 大山興信所』と書かれた小さな看板も注意して見なければ大抵の人なら見過ごすことだろう。加藤祐二は警戒しながらオフィス内へと体を滑り込ませる。
「おかえり、ご苦労さん」
「あ、お戻りだったんですか」
奥のデスクでファイルに目を通していた男が顔を上げた。表情に乏しく、口調も平坦な男の年齢は分かりづらいが、加藤の口ぶりからして上司、若しくはここの責任者といった様子だ。
「ここのところ、ずっと戻れないで迷惑をかけている。業務は順調か?」
「身辺調査、まあ浮気調査ばかりですけどね。でも、こんな時代だから仕事には困りません。他には営業部で接待名目の支出が多過ぎるから調べてくれといった企業の内部調査が一件進行中です」
「これは?」
手にしていたファイルを掲げて男が訊ねる。〝伊都淵〟の文字が読み取れた。
「ああ、よく分からない調査です。脳に障害がある男を保護したいからと、同級生だった医者の夫婦に依頼されたんですが、最初は誰でもいいから直情径行型の人間を探してくれと言われ、何だか気味が悪くて放っておいたんですよ。そうしたら次にその男の名前を電話してきて、見つけて現況を調査しろと依頼内容が変更されたんです。ですが報酬は悪くないです」
「ふむ、あまり怪しげな依頼は受けない方がいい。私はまだ農園の一期生と共に被災地から離れられないでいる。面倒は避けておくんだ。小野木さんがあんなことになって、東北と中ノ原市を行ったり来たりで、こっちまではなかなか目が届かない。お前ひとりで手に余りそうな依頼は断った方がいい」
「そうします。農園では葬式もあげなかったんですよね?」
「生前、奥さんに遺言として伝えてあったそうだ。遺骨は砕いて農園に撒いてくれ。俺なんかと別れを惜しみたいって奇特な御人は居ないだろう。義理で参列する人々も暇ではない。何より被災地の支援が滞るのが心配だ、そう言われていたそうでな」
「で、奥さんはその通りにしたんですか?」
「ああ、気丈な人だ。最後の最後までバカなんだから、この人は、と涙を浮かべていらした。今、農園で預かっているのは就学援助が必要な家庭の子供たちが殆どだ。元教師だった奥さんも幾らかは気が紛れることだろう」
「小野木さんと言えば……」
加藤は伊都淵が口にした言葉を思い出す。
「どうした?」
「いえ、その調査のターゲットなんですがね、嫁さんの浮気で頭でもおかしくなったのか、人の考えが見えるなんて話していたんですよ。そうかと思えば俺が解析に苦労していたパスワードをパソコンも使わずに探り当ててみせて……八桁のパスワードはまぐれでは解けません。医療機器の冴えない営業マンに出来ることじゃないんです。その上、まるで小野木さんが生き返ったみたいに、あの人そっくりの口調で、あの人が言ったままの内容で俺に話し掛けてきたんです。顔も外見も全く似ていない。強いて言うなら広めの額ぐらいが相似点といったところで――どうやら俺、そこで一服盛られたようなんです。そのせいなのかな? ……いや、あれはその前だったはずなんだけど」
加藤は顎に手を当てて考え込んだ。
「ほう、見てみたいもんだな、その男を」
「俺も気になっているんです。男が逃げないように見張りを頼んだ俺を眠らせたことも、亭主の医者が勤務から戻った途端に追い払われるように依頼を中断されたことも不自然です。あそこでは何かが起こっているように感じます」
「依頼された以上の詮索は止めておけ。身を滅ぼすことにもなりかねん」
「ええ、それはそうなんですが――あっ!」
ドアの外へ何気なく視線を振った加藤の表情が強ばる。
「どうかしたのか?」
「さっき話した男が隣の店に……ほら、あいつです。そのファイルの男」