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P300A  作者: 山田 潤
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Depend or parasit(依存か寄生か

 大学病院のある市内北部へと、所はボルボを走らせる。革張りのシートがよく冷えていて心地良かった。

「人口多能性幹細胞は使えんのか? Glis1(グリスワン)は画期的な代替遺伝子だそうじゃないか」

「iPSか、試してはみたんだがな。アルファSAほどの効果は見られなかった。いずれにせよn(数)が足りん。お前の検証が終わったら、もう少し新大脳皮質の大きめな被験者を探すつもりだ」

 知らない人間が俺達の会話を聞いていたら、医学会にでも向かう熱心な研究の徒といった風に見えたことだろう。しかし研究は諦めないぞと牽制を交える所と、それを止めさせようとする俺の主張は未だ接点を見い出せないでいた。

「再生医療か、人は傲慢だな。神の与えた寿命や運命に従おうとしないんだから」

「神だと? 今やそんなものは偶然のみにしか存在しない。ところでお前、家庭はどうなってる?」

「探偵に調べさせたなら知っているんだろう、女房は実家に帰ったよ」

 所は嫌な話題を振ってくる。

「愛だの恋だのを盲信した結果だな。能力に劣る人間はそういった不確かで目に見えないものに縋る。そんな感情は三年も経てば消滅する。愛情をなくして尚、寄り添う理由は何だ? 経済的依存か寄生でしかないだろう。家族愛とか子供のためとかで自分を納得させ、本音に蓋をして暮らす日常がお前達の望みなのか」

「理由がどうあろうと、双方が納得していれば他人が口を差し挟むことじゃないさ」

「その通りだ、知的レベルの似通った夫婦が互いに我慢し合えばいい話だからな。哀れなもんだ、俺にはこの程度の妻が似合いだ、この生活に不満などないと自らを騙し続ける人生にどんな意義がある。そこへゆくと俺と梓は夫婦としても理想的だ。つまらない感情には左右されない。経済的自立が十分可能な梓が俺と一緒に居るのは、成長の喜びを分かち合えるからだ。俺にはわかっていたよ、覚醒したお前が現状に満足出来るはずはない。奥さんの不貞がなくとも俺の所へ戻ってくるとな」

 オイラーズの知恵をもってしても、所の主張の全てに反論は出来ない。俺は彼の語る家族観に幾つか頷ける部分を発見してしまっていた。

「お前はそうでも、梓はどうなのかな。彼女が恋愛感情も求めているとは考えないか?」

 所が苦い顔になった。

「皮肉で言ってるんじゃない、単なる質問だ。成長の喜びを分かち合うといいながら梓に見せないファイルがあったろう。お前達の繋がりが同じ研究とその成果にあるなら、彼女はそれを不満に思っているんじゃないか」

「さっきも言った通り、n が足りないんだ。ちゃんと立証出来れば見せるつもりだったさ」

 虚偽の電位が上がる。ただ梓を出し抜こうといった功名心ではないようだ。ラップトップPCにあった別のファイルと所の思考から俺はある仮説を立てた。恐らく間違いないだろうとの予感はあったが、今は口にしないでおく。しかし愛情だけではダメ、同じ志を持っていてもこうなのだ。男と女には一定の距離感が必要なのではないかと俺は思った。例え、それが社会の存在理由を否定することになろうと〝相手の望む自分〟を演じ続けることの出来る距離が。

「技術者に気づかれたくない、お前のデタラメな脳波と輝点の生成を気取られない方法はないか?」

「記憶してしまったものはいつか蘇る。記憶させないよう他に注意を向けさすしかないだろうな。やってみるよ」

 人の注意を逸らすだけなら奇術師ほど巧みな連中は居ない。俺はそれを真似てみるつもりでいた。

「頼むぞ、まだ誰にも知られたくないんだ」

「相手はひとりか?」

 オペレーティングルームのエンジニアには手を打ってある。お前は検査担当技師の注意を逸らしてくれ」

「あいよ」

 無断ではないにせよ公的機関の機器を使って、その結果を知らせないとなれば何がしかの罪状はつくだろう。善意の共犯者となる俺の心中は複雑だった。


 数年前に市街地の中心部から移転した大学病院のロビーは総大理石張りのグランドフロアが誇らしげで、三階まで続くエスカレータは高級ホテルと見まごうばかりだ。実際、病院を舞台とした映画の撮影にも使われたと聞いている。放射線科は何故地下やフロアの奥まった場所にばかりあるのだろう。

《それはMRIもCTもデカくて重いから》

 オイラーズが答える。なるほど、道理だな。しかし薄暗い廊下をとぼとぼ歩いていると、電気椅子に向かう囚人になったような気がする。

 放射性物質の注射はオイラーズが断固として拒否したため、SPECTはナシ。所は不服そうだったが、血流低下があればこんな冴えちゃあいないだろう、との弁証に、不承不承だが納得した。なんやかんやで四時間ほどは病衣のままあちこちを連れ回された。金属を身に付けていてはいけないそうで、ワンピースの病衣の下はすっぽんぽん。部屋の移動で回廊を渡る時、風で裾がまくれるのではないかと冷や冷やしたものだ。

《マリリン・モンローかよ》オイラーズの突っ込みは、些か古い。

「上手くいった、奴等は何も覚えちゃいないようだ」

「機器だけ動かして記録が残ってないんじゃ後で不審がられるんじゃないか?」

「俺の知ったことか。これだけの規模の病院だ、カウンターと記録が合わないことなんざ日常茶飯事さ。連中もいちいち気にはとめんよ」

 魚屋のオヤジが「ええい、オマケだ。持ってけ泥棒」と渡したのを忘れ、残った鰯の数が合わないのとは訳が違う。そういった馴れ合いや緊張感の鈍麻が、医療過誤を生むのではないか? この世界も案外恐ろしいものだなと思ったが、今の俺は所の共犯者である。脳内に意識を向けると、オイラーズがシュラッグのウェーブの真っ最中だった。

 コンピュータ処理が終わり、数枚の画像を受け取る時の所の顔は少年のように輝いていた。骨ならまだしも脳味噌の画像だ。所と梓がそれを真剣に眺める様子を想像して、俺はちょっぴり気恥しくなった。


「伊都淵、それだけの脳を手にして、お前は今何がしたい」

 上機嫌を継続したままの所が、帰りの車中で訊ねてきた。

「さあな。こうなる前の俺は細く、長く、目立たず、平凡に家庭を維持して人生を終えることが幸せなんだと思っていた。今の目標は……お前と梓の説得、そしていい人間の笑顔のために出来ることがあれば力になりたい。そんなところかな」

「持てる力を有効活用しないのは、罪悪で怠慢だ」

「何を以って有効活用だというんだよ」

「例えば政治だ。元来、役人の類は有事の際にのみ存在を示せばいいのだが、今は違う。彼等は国家の主役たろうとしている。そのツケはお前が後生大事に思っているいい人間――つまり弱者だな。彼等に回されているんだ。今のお前なら現行の腐ったシステムを叩き潰し、新しい社会を構築することも可能なはずだ」

「現状が正しいとは俺も思わんが、それは作られた俺がすべきことではない。精神の暴力にあたるだろう」

「行政ってヤツは複雑になり過ぎてしまった。それを簡略化出来るのは暴力だったりもすることを覚えておけ。では医療においてはどうだ。お前に芽生えた力がお前の言う通りなら、病に苦しむ人の痛みを取り除くことも免疫物質の分泌を増やして快方に向かわせることだって可能だろう?」

「今朝も言ったじゃないか、俺は人が寿命や運命に逆らうことをよしとしない。老いが恥ずかしいことだとは思わない。若さにしがみつくこの方が見苦しいと思う。老化した脳なら、己のくたびれ果てた姿だって認識せずに済む。ボケて痛みを感じにくくなれるなら、それでいいじゃないか。それが自然の摂理ってもんじゃないのか?」

「違うな、人類は次なる進化を待つために生きている。お前だって風邪をひけば医者にも行くだろう? 来るべき進化が訪れるまでは、蓄積した知識で病や災害に立ち向かう。医療も科学もそのための経過措置として存在しているんだ」

 実験の手段と目的には賛同できなくとも、所の語ることが全て間違っているとも思えなかった。肉体も知性も刺激によって成長を遂げるものだ。以前の俺のように、お仕着せの人生に唯々諾々としていては、人は何も成長できないのだということを悟っていた。

「入札結果の発表は四日後だったよな。そのぐらいの外出は許してくれるんだろう?」

「ああ、いいとも。GPSの発振器を皮膚に埋め込むませてくれたらな」

「電位の操作が出来る俺に、そんなものが役に立つとでも思うのか? いい加減に人を信じることを覚えたらどうだ。俺はお前たちが研究を諦めてくれるまで居座っててやるよ」

 今の俺にはそれ以外特に何をする当てもない。今夜のディナーは何だろう? 所邸における奇妙な居候生活は二日目に入っていた。

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