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P300A  作者: 山田 潤
20/40

Confused(梓、取り乱す)

 そのうちスキップでも踏むのではないかと思えるほど上機嫌になった深尾が、所邸のチャイムを押す。その指先までもがリズミカルに踊っていた。

「どちら様でしょう」

 梓の抑揚に乏しい声がインターフォンから返ってくる。

「深尾君だよーん、伊都淵も一緒だよーん」

 上首尾に終わったクレーム処理で、深尾はどこかのタガが外れてしまったようだ。

「彼も一緒なのっ! 待ってて」

 梓の声に緊張感が走る。何だ? どうしたんだ? 深尾はそんな顔を俺に向ける。俺はただ肩をすくめて返答に代える。上品な建物に不似合いなけたたましい足音に続いてドアが開かれた。同時に梓が血相を変えて俺に詰め寄ってくる。

「どこに行ってたのっ!」

 いや、家出したペットじゃないんだから、と抗議しようとするが梓の剣幕がそれを許しそうもなかった。仕方なくありのままを答える。

「深尾と一緒にクレーム処理だよ。ほら、君が眠っちゃったから深尾が困っててさ」

「黙って出てくことないでしょう。創太郎とは連絡がつかないし、加藤さんは起きないしで、あなたを探すことも出来ず、私がどんな気持ちでいたか……」

 言葉だけ聞いていると痴話喧嘩の末、舞い戻った恋人を責めるようにも聞こえなくない。深尾が変に勘ぐらなけれがよいが。

「起こしたじゃないか、何度も。君も加藤さんも、あんまり気持ちようさそうに眠っているから、そのままにしておいたんだ。心配させたなら悪かったよ、次からは書き置きでも残しておく」

「次って――」

 ようやく落ち着いたのか、梓はふうっと大きな息を吐いた。

「もういいわ、上がって」

 深尾の姿など目に入らないかの如くまくし立てた梓を、怪訝そうな表情で眺めていた彼がポツリと呟く。

「どうしちゃったんだ、あの冷静な岩下が……てゆうか、お前ら、どんな関係?」

 俺達の関係は非常に説明しずらい。

「またあ、深尾君たら。伊都淵君はね、創太郎が検査して脳に障害があることが判ったの。ひとりでフラフラ出歩いては危ないから創太郎と私で保護していたのよ。お昼はまだなんでしょう? パスタを茹でるわ、一緒にどう?」

 咄嗟に思いついた嘘にしては上出来だが『脳に障害がある』はひどい。しかも深尾はそれを信じる顔になっている。或いはパスタに買収されたのか。おいおい普通そうだとしたら入院してるだろう。まあいい、穴だらけの言い訳でも真実を伝えるよりは幾らかましだ。そして俺の中の別の思考は我が家へと飛んでいだ。幸にこの演技力があれば、若しくは俺が元の俺だったら家庭は平和なままだったろうか。いや、あのまま嘘を塗り重ねてゆくだけなら、未来にもっと大きな悲劇を生んだことだろう。以前の俺ならここで暗澹たる気持ちとなっていたのだろうが現在の思考は極めて明瞭。オイラーズ推奨の人生訓が脳裏に描かれる。

《起こってしまったことをクヨクヨ悩んでも仕方ない。明日は明日の風が吹く》

「だな!」

 俺は意気揚々と所邸の玄関をくぐり抜けた。


「で、どんな病気なんだ? お前が変わったように感じたのは気のせいじゃなかったんだな」

 おめでたいことに深尾はすっかり梓の嘘を信じ切っていた。いっそ発作が起きたふりをして彼の腕にでも噛み付いてやればよかったなと、呑気にパスタをすする深尾を見てそう思った。そもそも脳に障害のあるのが本当なら、それに触れない程度の配慮ぐらいしろよ。仕方ない、話を合わせておくか。

「所曰く、喜怒哀楽が徐々に減っていって最終的にはなくなってしまうんだそうな。仏の伊都淵君になっちまうのかもな」

「へえ、大変だな」

 皿から顔も上げずにそう言った深尾の言葉は単なる社交辞令の域を出ないもので、平然とパスタのお代わりを梓に要求していた。

「しかし起きないな、この人」

 話題は未だソファで眠ったままの加藤へと移った。どうやら俺の病気に関する興味は完全に失われたようだ。

「ごっそさん、美味かったあ。岩下のパスタは天下一品だな、所に宜しく。いやあ、クレーマーの処理に夕方までかかると踏んでたからな、時間が余っちゃったよ。スロットにでも行ってくるかな」

 疑問は勝手に解釈し、空腹も満たされた深尾は、好き勝手な理由で自分を納得させると辞去を表明した。とんだスチャラカ公務員だ。石田、お前の深尾評は正しかったぞ。無念は俺が晴らしてやる。公用車へ足を運ぶ深尾の作業服の背中で〝只今、サボリ中〟の貼り紙がヒラヒラとはためいていた。


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