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P300A  作者: 山田 潤
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Trick or Treat?

「ねえ、教えてくれない? あなたはどう変わったの?」

 怖々ながらも好奇心には勝てなかった梓が俺に訊ねてくる。俺は怯えの感情を和らげ、彼女に落ち着きを与えてやった。人に畏怖されるのは本意ではない。

「人の考えが見える、そしてそれに介入することが出来る。正確に言えば電位の変化が見えてそれを大気中の静電気や電磁波を使って操作出来るんだ。更には認知と情報処理の速度がべらぼうに上がった。例えていうならパソコンの8ビット機が64ビット機に変わったぐらいにね。ただそこには様々なノイズが混じる。恐らく葛藤とか逡巡といったものなんだろうな。機械と人間の違いぐらいはないと困るからな」

 梓は俺の話す通りを、さらさらとカルテらしきものに書きとめる。後半の冗談まで記録しているようだった。そんな梓との会話をラップトップPCで作業をしていた加藤も聞いていた。

(バカバカしい、この伊都淵という男は嫁さんを寝取られて頭のネジが飛んでしまったようだな。まあいい、ハッキング片手間の監視には多過ぎるほどの報酬を約束してくれたのだ。こいつがマトモだろうがイカレていようが俺の関知したことではない)

 思考は正対していなくとも見える。興信所か――欺瞞と汚濁に満ちた世界ばかり見続けてきた男に、俺の告白は気のふれたコキュの戯言にしか聞こえないのだろうな。加藤は作業に思考を戻していた。

「具体的には? 昨夜、私にしたような――」

「いいのか?」

 探究心に溺れ視野が狭くなっていた梓を制し、顎をしゃくって加藤の背中を指し示す。はっと気づいた顔になった梓は余所行きの笑顔になった。真意を覆い隠して声のトーンを上げた。

「朝食は? 加藤さんも昨夜から居ていただいてるから、まだなの。ご一緒に如何?」

「ありがたいね。いただこう、今度は眠剤抜きで頼むよ」

(眠剤?)再び加藤の思考がこちらに向いた。

「嫌ねえ、加藤さんが本気にするでしょう」

「して欲しいもんだね」

 牽制を含んだ非難の言葉尻を捉とらえて俺は言った。俺がどんな目に遭ったのかを伝えたかった妻は去り、正体を知られたくない松井君と日高依子には何も伝えられない。そのジレンマを加藤に向けてみたのだ。肩書きはご立派な脳神経外科医が持つ暗黒面と美貌に隠された梓の奸計。それらを白日の下に曝け出せるのは、こういったニュートラルな立場の人間ではないだろうか。例え所が依頼人であっても、彼なら冷静な判断を下せるのではないかと期待したのだった。

「待っててね。加藤さん、お願いします」

 暗に俺を逃すなと言いたかったのだろう。目的を果たすまでは、どこへも行かないさ。わかりました、と頷く加藤の思考に大きな乱れはない。席を立った梓から視線を戻す途中で俺と目が合った。俺は友好的な笑顔を向けたが、加藤にはお気に召さなかったようだ。取り立てて反応も見せずラップトップPCに意識を戻す。高度なモラル云々は語ったが、本来の俺は悪戯っ子だ。知らぬ顔をされると、余計に悪戯心が掻き立てられてしまう。

「何をしてるんです?」

「我々の仕事は守秘義務がありましてね。部外者にほいほい明かす訳には行かないんですよ」

 こう言っておけば、このコキュも黙るだろうといった加藤の思慮が感じられた。アンチグレイ(低反射)の液晶は、俺が座った位置からでも十分判別可能だった。

「ははあ、パスワードの解析ですね。オープンソースソフトは使わないんだ。そのレインボーテーブルはオリジナル生成ですか?」

 何だこいつは……そんな思考と共に、加藤が何か気味の悪いものでも見るかのような視線を向けてきた。

「ハッシュにsaltサルトが使われてましてね」

 専門用語を並べ立てて煙に巻こうとするが、暇を持て余している時の俺はしつこい。

「朝食が出来るまで、お手伝いしましょうか?」

 ふっと鼻で笑うような声を出し加藤がスペースを空けた。素人に何が分かる、彼の立ち振る舞いにはそんな嘲笑が含まれていた。

 膨大なレインボーテーブルの数となったが、オイラーズが目を見張る速度で演算をこなしてゆく。どれ、と加藤を押し退け俺はキーボードを叩いた。

「これでどうです?」

「勝手なことを――」

 加藤の口は苦情を言いかけたまま閉じることを忘れる。俺が打ち込んだパスワード画面は数秒の後にそれを認証していた。

「どう……やったんだ」

「そのレインボーテーブルをsaltの値だけ広げて計算したんですよ。理屈は同じでしょ?」

(しかし、あんたはキーボードにも触れず……頭の中でだと? バカな――しかし……)

 加藤の脳波は大きく乱れ始めていた。

「入れたんだから、いいじゃないですか。へえ、会計ソフトの会社かあ、こんなに簡単に侵入されちゃいけませんよね。おっと、守秘義務、守秘義務。何も見てませんよ俺は」

「あんた、一体何者なんだ?」

 遠い過去、加藤はこれと同じ質問を投げかけた男の姿を思い描く。またぞろ悪戯心が湧き起こった俺はその記憶をなぞってみた。

「言ったろ? ただのサラリーマンだよ」

 加藤は更に大きく口を開け、手にしていたペンを取り落とした。

「……小野木……さん」

「失礼、ちょいと悪ふざけが過ぎたようですね。そろそろ朝食が来そうだ。腹が減っては戦は出来ぬ。でしょ? 戦は終わっちゃったみたいだけど、腹ごしらえとまいりましょうか」

 一瞬、加藤の内に広がったノルスタジアと善意に触れ、すっと退く。

《善良な人間を脅かすべきではない》

 俺は素直にオイラーズの忠告を受け入れた。


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