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P300A  作者: 山田 潤
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三度(みたび)、所邸へ

 事情を知らなければ正に白堊の御殿。明るくなりかけた九月の早朝、本物の光触媒を使用しているらしい外壁は朝日を浴びて燦然と輝いていた。そこに悪意や奸計が隠蔽されていることなど、屋敷の前を行き交う人々は誰ひとりとして気づくことはないだろう。さすがに医者の邸宅は立派だ、いつかはこんな家に住みたいものだ。ありきたりだが、そんな感想を持つのが普通ではないだろうか。

 三桁に増えていた預金から数万円をATMで下ろし、勝手に拝借した所のサンダルが入った紙袋を提げてブラブラとたどり着いた俺は、ポロシャツにジーンズの軽装で建物を見上げていた。カーテンゲートは開いており、ガレージには所のボルボがある。脇に停められたシルバーのアルトは来客のものなのだろうか? 脱走した俺が警察に駆け込んだりはすまいかと案じた彼等が、誰かを呼び寄せたのかも知れない。家族への責任は果たした。何が待ち受けていようと構うものか、所が説得に応じなければ刺し違えてでも実験を止めさせる。そんな気概に溢れた俺であった。玄関の扉を引いてみる。鍵はかかっていなかった。

「ただいまあ」

 気概はご立派でも小市民的発想は変わってないらしい。無言で上がり込むのも気が引けて間抜けな挨拶を口にする。声が聞こえなかったのか、或いは誰も居ないのか、出迎えてくれる様子はない。靴を揃え「勝手にお邪魔しちゃいますよー」と言ってリビングに向かった。

 所と梓、そして見知らぬ男がテーブルを挟んで膝を突き合わしている。俺を目にとめた瞬間、三人は呆気にとられたような表情になった。ややあって所が声を発する。

「伊都淵、お前……」

「やあ」

 もう少し気の利いた台詞はなかったものかと後悔するが、言ってしまったものは仕方ない。彼等にそれを指摘するゆとりがなかったことに感謝した。

 夜を徹して話し込んでいたのか、三人の目は充血していた。遁走したモルモットの足取り調査や捕獲の方法についての会議でも開いていたのだろう。よもや伝書バトのように舞い戻ってくるとは夢にも思わなかったようだ。ぽかんと口を開いていても梓は美しかった。

「かけていいか?」

「あ……ああ」

 真ん丸い目をして真ん丸く口を開けていた男が尻をずらしてくれたので、その隣に腰を下ろす。しかし男の体温が残るソファはあまり気色の良いものではない。

「どこへ行ってた? 家には帰ったのか?」

 所と隣に座った男の脳波に幸の不貞が表示される。ははあ、こいつが興信所の調査員だな、と目星をつけた。家庭のイザコザを話すつもりはなかったが、彼等は先んじてそれを知っていたようだ。ちぇ、俺はそれで戻った訳じゃないぞ。もっとこう大義があってだな――と説明しかけたが、彼等に心の準備は出来てなさそうだ。俺は別の話題を選んだ。

「俺がどこに行こうと、お前に報告の義務はないだろう。と、言いたいところだが隠す必要もないな。家に戻って会社に行って、こっそり入札の書類を仕上げてきた」

 所はごくりと生唾を呑み込んでから言った。

「何で戻ったんだ」

「いけなかったか? 研究の途中だろ、これの」

 額に人差し指を当て、にんまりと笑う俺を梓が怯えきった顔で見る。おいおい、君がレイプした男だぞ、それはないだろう。

「……そう……だが、お前、協力してくれるのか?」

「うんにゃ、そうゆう訳じゃない。俺がどう変わったかをお前等が理解したら考え直してくれるんじゃないかと思ってな。研究を止めさせるために戻ったんだよ。ロクなもんじゃないぞ、これは」

「ロクでもないか、どうかはお前の決めることじゃない」

 少しムッとしたような顔で所が返してきたが、微かに言葉が揺れるのを俺は見逃さなかった。理解の及ばない存在に畏れを抱くのは人間としてごく当然の反応なのだ。

「何ならCTも撮らせてやる。その代わりと言っちゃなんだが、入札の件は頼んだぞ。担当を代わってもらった若いのに借りがあるんだ」

「本当か? 是非頼む。入札の方は任せておけ」

 CTを撮らせてやるとの言葉に所は目を輝かせた。研究を断念させるといった俺の話をちゃんと聞いていなかったのか、それともモルモットが手元にあれば、なんとでも言いくるめられると思ったのか、頭のいい人間がよく陥る錯覚だ。俺の今の姿を理解してもらうためなら協力もしよう。だが経路は同じでも目指す着陸点は北極と南極ほどかけ離れている。俺はじっと所の目を見て言った。

「で、どうすればいい? また電極だらけのフランケンシュタインにされるのか?」

「お前がそうさせてくれるならな。だが今日は病院を休むわけには行かない。俺が戻るまで梓の聞き取りに付き合ってやってくれ。加藤さん、私が戻るまで宜しく」

 所の視線を受けた男が頷く。悪意でも善意でもないところで振れる彼の思考はニュートラル、俺に関する調査は仕事として引き受けたが、それ以上でも以下でもないといったところか。年の頃は俺と同じか少し上、感情を表に出さないトレーニングは積んでいるようだが、それが彼本来の姿でもないようだ。今の俺に付け焼刃は通用しない。

「拘束はなしだぞ」

「ははは、冗談はよせよ。俺がいつそんなことを」

 警戒と焦りの色が所に浮かぶ。加藤と呼ばれた調査員に詳細は伝えていないのだと判断した。

「期限の圧している調査があります。そちらと兼務でもよろしいでしょうか?」

 とはいえモルモットの捕獲を依頼された加藤だ、俺が単なる家出人ではないことは承知している。彼の脳裏に浮かんだ〝監視〟という言葉がそれを証明していた。

「構いませんよ、こいつも暴れはしないでしょう」

 加藤の思考がピクリと振れた。逃走を企てる俺を取り押さえることが出来るかどうか、俺の体格と身のこなしから推し量っていた。

「俺は出かける。後は頼んだぞ。夕方には戻る」

 腕時計の文字盤を指でコツコツと叩き、意図を持った視線を梓に送る。彼女は心得たように頷いた。

 やれやれ、どうやら二人とも未だに俺を進化したサルだと思っているらしい。所の帰宅が楽しみになってきた。


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