この時をお待ちしておりました
ざっくりふんわり設定です。
貴族の子女が通う学園に入園することになったとき、二歳上の幼馴染は言ってくれた。
「もしヤバくなったら、俺がいるからさ」
彼は、わたくしの家に隣接する領地の次男。幼馴染、というだけあって小さな頃から交流があり、そして現在のわたくしの状況もよく知ってくれているから。
「心の隅に、止めておきますわ」
だからわたくしは、万が一のお守りとしてその言葉を胸の中にしまっておいた。
さて。
わたくしは、第三王子殿下の婚約者である……いや、婚約者であった。
学園の卒業を祝う宴が始まった、たった今まで。
「よって、お前との婚約はこの時をもって破棄させてもらう」
殿下の宣言をもって、婚約は破棄と相成った。まあ口頭での申し出だし、書類上では未だ婚約者だろうけれどそれも時間の問題ね。
何しろ殿下の隣にはわたくしとは違う令嬢が、自慢げに微笑みながら佇んでいるもの。あちらが今後、殿下の奥方となられる方らしい。
「承知いたしました。殿下のお言葉を受け入れます」
これから大変ね……と思うだけで顔には出さず、私は頭を下げる。視界の端に、わたくしについていてくれた侍女や寄り子の家の令嬢が退場していく姿が映った。よろしい。
さて、かのご令嬢がわたくしに代わり殿下の婚約者になられる。ということは、これまで私が務めていた殿下を補佐するお仕事を引き継いでくださるということだ。
というか、数か月前からかのご令嬢と睦まじいことは私、よくよく知っていたの。だから、既に引き継いでいただくための準備は終わっているわ。不要であればいいわね、と思いながらだったのに。
第一。
「とはいえ、俺もそこまで冷酷ではない。お前には……」
「いえ、早急に王都より退去の手続きを取らせていただきます」
殿下が私を引き留めようとすることも、分かっていたわ。
殿下が選ばれた彼女には、殿下の妻としての教育がなされているわけではない。もっとも、王子妃としての教育は必要ないのだけれど。
だって、殿下は実家の次期当主たるわたくしの夫として臣籍降下することになっていたから。学園卒業後、わたくしと婚姻して領地に入り、父上の元で最終的な教育を受けることになっていたの。
もしかしたら、殿下御本人は王家より何某かの爵位を与えられてわたくしと共に家を立てる、とお考えだったのかもしれない。国王陛下はその旨きちんと説明されたとは思うのだけれど、殿下の実母たる第二妃殿下がどうお伝えになったのか、さて。
ただ。貴族家の当主もしくは配偶者になるはずだった殿下は正直、大したお仕事をされていなかった。当主教育の一環として、多少の実務はあてがわれていたのだけれど……結局、そのほとんどはわたくしに押し付けられたものね。
そのような実務を、新たな婚約者たる彼女にはさせたくない、故にわたくしを手元に残したい、と殿下はお考えなのだろう。浅はかだわ。
「学園卒業と婚約の破棄により、わたくしが王都に滞在する理由はなくなりました。おふたりの仲をお伺いしたときより引き継ぎの文書は既にしたためてございますので、後任のご令嬢にはそちらの確認をよろしくお願いいたします」
それに、口頭での宣言とはいえわたくしは殿下の婚約者ではなくなった。役職にも就いておらぬ『ただの』貴族の娘が、殿下の補佐をする理由はない。それを、殿下にはご理解いただかねばならない。
『は?』
そうお伝えしたところ、おふたり揃って目を丸くされる。殿下、あなたの思うままになるほどわたくしは愚かではない。
……だからこそ、国王陛下があなたの婚約者に望み、そして据えられたのに……この始末。
「あ、いやだから、お前には彼女の補佐を」
「殿下の婚約者でなくなった以上、これ以上殿下のおそばに侍ることはございません。わたくしの手掛けていた事務は殿下に振られていた事務の補佐でございますが、こちらはもともと我が家の仕事でございますのでそのご令嬢に扱っていただくまでもございませんのよ」
ふふ、なぜ殿下はそこまでお顔を引きつらせておられるのかしら。あなたはわたくしの家に婿として入るはずだったのだから、当然振られるお仕事は我が家に関するものなのに。
それとご令嬢、どうして顔色を悪くされておられるのかしら? まさか、『引き継ぎの文書』の内容に怯えておられる? そちらは単なる、『第三王子殿下の取扱説明書』なのだけれどね。
「まあ、よろしいですわ。では、失礼いたします」
深く礼をして、身を翻す。と、視線の先に偉丈夫の姿があった。
わたくしの、幼馴染。
「よう、卒業おめでとう。退出されるのなら、案内はいるかな?」
一足先に学園を卒業した彼は、実家で兄君を補佐して働いていると伺っている。本日は……実家のお隣の領地で領主をしている貴族の跡取り娘が卒業する、ということで実家を代表して祝いの客人として参加なさったの。
その彼に手を差し伸べられて、わたくしは頷いた。
「是非に」
差し伸べられた手に、わたくしは自身の手を乗せた。さあ、参りましょう。
背後で名を呼ばれた気がしたけれど、気のせいでしょうね。ええ。
「噂は聞いていたんだけど、本当にやらかすとはね」
「ええ。……お噂は、どなたから?」
「義姉上のお父上が、学園長と懇意でな。君のことは知ってるから、それとなく話をしてくれてたんだ」
ゆるゆると、彼の半歩後を歩いていく。行き先は馬車溜まり、わたくしの家の馬車が止まっているところ。
幼い頃は無造作に手を繋いで、彼がわたくしを引っ張るようにして歩いた。
今は優雅なエスコートを会得した彼が、わたくしの歩みに合わせて歩く。
「書類上はまだ、君は彼の婚約者だよね」
「そうですが、そろそろ父の元に仔細が伝えられているかと」
王子殿下の言動に、そそくさとわたくしの侍女は会場を離れた。そのまま表面上は冷静に、内心は案外嬉々として父上のところに伝えに行ったはずよ。何しろ、父上はここ数日、学園のある王都においでだもの。
「婚姻準備のために、王都に来られていたんだっけね。そうすると」
「数刻もしないうちに、婚約解除の書類握りしめて怒鳴り込んで来られますわね。父上、この婚約にとてもとても気が進みませんでしたもの」
ああ、目に見える。
悪鬼のような形相で、「だから言ったでしょう陛下! うちの娘とあんたの息子、しかもアレは絶対合わないって!」なんて怒鳴りつける父上のお姿が。父上用の馬車はタウンハウスにあったけれど、馬車の準備時間も惜しいとばかりに愛馬にまたがって突入してくるかもしれない。
そのくらいには、わたくしは父上をはじめ家族から愛されている。
父上の態度が不敬だと言われるかもしれないけれど、王子の婚約者として据えられるだけの身分をこちらは持ち合わせている。それに、陛下と父上は幼い頃から喧嘩友だちとも言われていたものね。
故に、わたくしの家が第三王子の婿入り先として選ばれた。陛下としては、よく知る臣下の家に婿入りさせることで殿下の将来を安堵させたかったらしいのだけれど。
なお、わたくしと殿下は合わない、というのは実際婚約を申し込まれたときの父上及び母上の第一声だったそうで。こうなった以上、おふたりの言葉は正解だったのだとわかる。きっと、国王陛下にもご理解いただけよう。
「君の実家に入れてもらえるから、ボンクラ王子でもやっていけるはずだったんだけどねえ」
「それならそれで父上のシゴキ……ではなくて教育を受けるだけですから、数日で泣いて帰りそうなものですけれど」
「帰らせないだろ。泣いて帰ったら、あの第二妃殿下が黙っちゃいねえ」
「……確かに」
第三王子殿下を溺愛しておられる、生母の第二妃殿下。王子殿下が婿入り先から泣いて帰ろうものなら、権力を乱用して我が家に圧力をかけてくるのは目に見えている。……王子殿下が『泣いて帰る』人物だと理解されているところがポイントかしら。
たださすがに、王子殿下ご自身が学園の卒業生や賓客の前で婚約破棄を宣われた、という今回の事情は第二妃殿下でもどうにもなるまい。父上がねじ込み、陛下がため息をつきながら解決してくださるはず。
父上は、しぶしぶ婚約を受け入れた時に陛下からそのような内諾は得ているそう。そんな条件付きでの、わたくしとの婚約だった。
我が家の紋章が付く馬車のところまでたどり着き、彼はそっとこちらに身体を向けた。いたずらっ子のような笑顔は、わたくしが知る幼い頃から変わることがない。
「ところでさ」
「はい」
「ここに、未だに婚約者がいない貴族家の次男がいるんだけど。どうかな?」
あらまあ。
今のうちにご予約、ですか。まあ、あなたなら両親もよく知っているし、特に文句は出ないかと思うのだけれど。
「実務はできまして?」
「兄上の補佐として、存分にしごかれてな。今はまず、問題ないはずだ。領地によって違うところがあるだろうから、それは覚え直しになるけれど」
「ご自身のお仕事を配偶者や配下にすべて押し付ける、なんてことは」
「ないない冗談でもやらない。というか、自分のサインだけでもその文書には責任持たにゃならねえっての、あの王子殿下理解してねえの???」
ああ、この方はわたくしの知る彼のままだった。それが嬉しくて、少しだけ顔の緊張を緩める。
「父上が王宮から戻り次第、話をしてみますわ。そちらからも、申し入れを是非」
「当然。何なら今からでもいいんだけど、そうすると第二妃殿下と王子殿下が自分のことを棚に上げて不倫だー、とか言い出しそうだからね」
「助かります」
ええ、こちらに少しでも不利益がないように話を進めなくてはね。さて、馬車で帰宅するとしましょうか。
ほぼ入れ違いに、大変威勢の良い騎馬が突入してこられたけれどあれ、父上だわ。早かったわねえ。
「終わったぞー!」
翌朝、帰宅された父上の晴れ晴れとしたお顔がすべてを物語っていた。
そう、わたくしと殿下の婚約解消がすっきりとまとまったのよね。
「おかえりなさいまし、あなた。今宵は祝いの宴でよろしいですわね?」
「ああ、もちろんだ……祝い、でいいのか?」
まあ、前夜にわたくしの話を聞いてくださった母上もこの調子だものね。
と言いますか、祝いというのは。
「隣の領地の次男くんがね、ほら」
嬉しそうに母上が取り出してきたのは、『婚約者がいない貴族家の次男』氏からの釣書だった。律儀にというか、たった今父上がお戻りになったのを見計らって母上にそれをお渡ししたわけ。
つまり。
「第三王子殿下には大変失礼と存じますが、この日をお待ちしておりました」
「いやいや、こちらも待っていたんだよ」
父上のお戻りを待っていた彼と、面倒な婚約をさくりと終わらせてくださった父上は、大変朗らかに握手を交わした。
そういえば。
第三王子だった方とそのご生母様あれからしばらくしてひっそりと遠い離宮に『療養』に行かれたそうね。
まあ、もうわたくしには関係のないことだけれども。




