旅館姉妹と恋する男子
「この旅館人生で一度は行ってみたいよな」
昼休みも後半。生徒たちが席に着き始めた頃、博人が俺の机の上に旅行雑誌を広げていた。
写っているのは山に囲まれ、川が流れている緑豊かな地元の旅館。
「だよな。地元にこんな立派な旅館があるんだから、高校を卒業する前に訪れてみたい」
「来年は大学だもんな。都会にこんな場所はないはずだ」
「間違いない。じゃないと絶対後悔することになる」
俺と博人が熱心に話していると、後ろから声がかかった。
「あの……」
控え目だが、よく通る声。
同じクラスの女子、鈴木舞だ。モデルのように背が高く、体形もスラっとした女子。それにも関わらず人当たりがよく、誰にでも優しいまさに女神のような存在。
声の方向へ勢いよく振り向き、旅行雑誌を彼女に見えるように体をずらしながら二人は同時に首を傾げる。
「そこ、私の家だけど……」
細くて綺麗な人差し指で俺たちが読んでいた雑誌を指さした。
「まじ? すげえ」
「嘘だろっ……」
俺たちは二人顔を見合わせて仰天した顔をする。
「……よかったら、遊びに来る?」
「行く!」
即答した俺たちに薄紅色の頬で微笑む彼女にドキドキが止まらなかった。
放課後、連絡先を交換した俺たちは冷房の効いた図書館へ飛び込んだ。
「け、健一……舞さんの連絡先もらっちゃったよ……」
博人が震える手でスマホを握り、画面を凝視する。
「ああ……まさか、あんな作戦が上手くいくなんて」
舞さんとお近づきになるために、俺と博人はとある作戦を思いついた。
旅館の娘だと知っていた俺たちは目の前でその話をしたら、家に誘ってもらえるのではないかという博人の提案で一芝居を打っていたのだ。
「だから、言っただろ。やってみないと分からないって。散々僕の計画を馬鹿にしやがって」
「そうだな。それは悪かった。でも、いくら自分の実家を褒められたからって、こんなあっさり男子を誘ったりするものだろうか」
俺が疑心暗鬼だったのはこれが理由だ。
女子がそんなに無防備に男子を家に招くなんて普通考えられないだろう。
「うん。きっと舞さんは僕のことが好きだった。という可能性は?」
なぜか確信めいた顔で聞いてくる博人に、俺は首を振った。
博人は分類するならオタクグループに属するだろう。
やたら写真を撮ることが好きなようで何かあるたびにスマホでパシャパシャして暗い笑みを浮かべているようなやつだ。女子にモテるとは思えない。
「成績優秀でお淑やかな舞さんが? ありえない。この前勝手に写真を撮って嫌がられていたじゃないか」
「あれは恥ずかしがっていただけだ。お前は女心ってもんを分かってないな」
博人の顔が本気だったので、俺は肩を竦めるだけにとどめた。
「とにかく、俺たちにもチャンスが回ってきたってわけだ」
「こんなに夏休みが待ち遠しいのは初めてだよ。僕が舞さんと付き合っても恨むなよ」
「気が早すぎだ」
すでに付き合っている気でいるのか博人はうへうへと笑みを浮かべていた。
当日、俺と博人は最寄りのバス停を降りると、セミの声が耳朶を叩く。
肩にかかったボストンバッグで足が地面に縫い付けられるようだった。
舞さんの旅館は山に囲まれた人里離れた場所にあり、辺りにはコンビニが一軒も見当たらないほどの場所。森の一画を無理やり開拓したような印象を受ける。
地図を頼りにしばらく歩くと大きな鉄橋に出くわした。その下には町を分断するような大きな川が流れている。
「確か、この橋を渡って左に曲がるんだったよな」
俺が地図と睨めっこしながら歩く隣で、博人は息を荒げていた。
色白の細い体は見た目通り、大きなボストンバッグも相まって体力不足なようだ。
「はぁ、はぁ。あ、女の子がいる」
「は?」
疲労から幻覚を見たのかと、地図から顔を上げたら橋の終端で自転車に乗ってこちらを見ている女の子がいた。遠くて表情までは見えないが、明らかにこちらに視線を向けている。
「なんか僕たちをじっと見ている気がする」
「俺たちを待っている? いや、そんなわけないか」
生暖かい強風に吹かれながら二人無言で歩くも、女の子は移動する気配がない。顔の輪郭がはっきりと認識できる距離まで近づくと声をかけられた。
「お姉ちゃんの友達ですか?」
白いTシャツに青のショートパンツの女の子が、自転車にまたがりながら俺たちをじっと見る。
整った顔立ちをした可愛い子だった。
女慣れしていない博人がしどろもどろしている横で、もしやと閃く。
「えーと、舞さんのこと?」
「そう。私は妹の杏子」
「あっ、僕は、ま、舞さんと大変仲良くさせてもらっている小林博人と申しまして」
「あっそ」
博人の自己紹介に興味がないのかそっけない返事だった。
彼女は肩にかけた小さなショルダーバッグから半分だけ入った炭酸ジュースを取り出して口をつけた。
よく見ると首元にびっしりと汗が浮かんでいる。俺たちのことを炎天下の中ずっと待っていたのだろうか。
「俺は佐藤健一っていいます。その様子だと舞さんに頼まれごとでもされた?」
そう言うと、杏子ちゃんは喉を鳴らしながら横目で俺を見る。
「ぷはぁ」と口を離した彼女からは値踏みするような視線を感じた。
「はい。道に迷ってはいけないので、旅館まで案内するようにと」
「えらいね杏子ちゃん。ところで、中学生?」
博人が前のめりに割り込んでくる。
舞さんと比べて背が低く、小学生でも通用しそうな見た目。
「そう、中三」
「そうか、そうか。やっぱり高校は僕らのとこに?」
「まぁ、今のところは」
明らかに嫌悪感を出している杏子ちゃんに気付かずに話しかけ続ける博人。
普段は女子に対して消極的なのに、今日はやたら積極的だな。
ちょっとした世間話(博人の質問攻め)をした後、タイミングを見計らって俺は声をかけた。
「あはは、ありがとう杏子ちゃん。それじゃ、暑いしさっさと行こうか」
俺は博人を手で制して無理やり会話を断ち切ると、杏子ちゃんは安堵の顔を見せた。
「そうですね。では、付いてきてください」
歩きながら自転車を引いて先行する杏子ちゃん。背中に張り付いたシャツから薄っすらと肌が透けていた。
「なぁ、なぁ」
博人から脇腹を小突かれる。
「なんだよ」
「運命の人に出会ったかもしれない」
視線を前に固定したまま博人がボソッと呟く。
「……あっそ」
頬を上気させている博人に、俺は杏子ちゃんと同じ返事を返すのだった。
旅館に着いた俺たちはワンピース姿の舞さんと合流すると離れに案内された。
集会場としても利用できそうなほど広いスペースに二人分の布団が畳まれている。
「おおー、和室だ」
障子張りになっている昔ながらの部屋だ。
荷物を置き、障子戸を開けると縁側の向こう側には水遊びが出来そうな小川が流れている。
「すげぇ、ほ、本当に僕たちこんな立派な部屋に泊まっていいの?」
博人の臆した声も無理はない。それだけ見事な部屋だった。
「うん。昔は旅館で提供していた部屋だったんだけど、古くて危ないからって今は使われていないの。だから好きに使っていいよ」
「舞さんってもしかして本物のお嬢様?」
何てことなく言う舞さんに俺は畏怖の念を込めてそう言った。
「お嬢様だなんて言い過ぎよ。それに、私より杏子のほうがお嬢様っぽくないかな? こうツンとした感じとか」
照れ笑いを浮かべる舞さんが隣で泰然としていた杏子ちゃんの頬をツンツンとつつく。
「ちょっと、やめてよ。お姉ちゃん」
「ふふふ、可愛い。ツンツン」
「もう、知らない」
頬を赤らめてそっぽを向く杏子ちゃん。言葉とは裏腹に表情がふにゃふにゃしている。
二人の姉妹仲は良好のようだった。
「それで、二人はこの後予定は?」
舞さんの言葉に俺と博人は顔を見合わせた。
ぶっちゃけ、舞さんとお近づきになるという目的以外は何も考えていなかったのだ。
「いや、特にやることは決めてないんだ」
「じゃあ、今からハイキングにでも行こうよ」
「は、ハイキング? それって山登りってこと?」
畳に座り込んでいる博人はあまり乗り気ではないらしい。
というか舞さんがそんなにアクティブな人だとは意外だ。
「山登りってほどのものじゃないよ。ちゃんと道もあるからね。いい景色が見られるんだけど、どうかな」
「面白そうだね。俺は行くよ」
断る理由もないし、向こうから誘ってくれるなら渡りに船だ。
「僕はここに来るまで結構歩いてくたくただから、杏子ちゃんと二人で待っているよ」
「私も行くけど」
「え? そ、それなら僕も行くよ」
無表情で答える杏子ちゃんに、博人は慌てて立ち上がる。
「じゃあ決まりだね。ハイキングにレッツゴー」
そんな様子を見届けて腕を上げる舞さんにつられて俺も「おー」と答える。
だが、ハイキングを甘く見ていた俺はすぐに後悔をすることになるのだった。
「……これを道と呼んでもいいのだろうか」
俺は階段状になっている坂を見上げながら言う。
整備された石階段ではなく獣道に無理やり足場を作ったようなものだった。
周囲に立つ鉄杭に繋がれた細いロープが頼りなさげに揺れている。
「道だよぉ。見た目に反して歩きやすいから心配しないでね。それに、ここが最大の山場だから」
そう言って舞さんは先頭で歩き出す。続いて、俺、博人、最後尾に杏子ちゃんという並び。
最後尾に杏子ちゃんで大丈夫かと思ったけれど、すぐに杞憂に終わった。
山登りに慣れていない俺と博人とは対照的に小柄な体でひょいひょいと鼻歌まじりに登っていたからだ。
最初の急坂を登り終えると、舞さんの言う通り緩やかな坂道が続いていた。
「確かハイキングってカナダとかだと割とメジャーな遊びらしいね」
そんな雑談を振るぐらいには俺にも余裕ができていた。
「へぇ~、こっちもそうなったらいいのに。自然の中歩くのって楽しいからね」
木漏れ日に照らされた舞さんはそう言って楽しそうに笑った。
「僕は……はぁ……日本人でよかったな……はぁ……」
「博人君、文句ばっかだね」
それに比べて暗い表情の博人に対して杏子ちゃんが無表情で答える。坂を上っている最中に弱音を吐きまくっていた博人にうんざりの様子。
初対面の時からそうだけど、年上に対しても物怖じしない子だな。
「杏子ちゃんは大丈夫? 結構急坂だったけど」
俺はそんな杏子ちゃんの雰囲気を和らげるために話しかけた。
「はい、私は平気です。昔からここは遊び場なんです」
頬に付いた土を拭いながら自慢げな笑みを浮かべる杏子ちゃんに思わずドキッとしてしまう。
待て待て、舞さんの妹にときめくのはまずいだろ俺。
「……なんか杏子ちゃん、僕にだけ冷たくないかな?」
薄々気づいていたけど、杏子ちゃんは俺に対しては敬語だが、博人に対してだけため口だ。
まぁ、博人の擁護をするなら距離感が近いとも言う。
「別に、気のせいですよ」
「あはは、あまり気にしないほうがいいよ博人君。杏子は昔から人によって態度が変わる子だから」
舞さん、それ言外に嫌われているって言っているようなものじゃないだろうか。
恐る恐る振り返ると、博人はなぜか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「……ふへへ、杏子ちゃんはツンデレだったんだ……」
その呟きを無視して俺たちは坂道を登り切った。
突風が吹き、額の汗を吹き飛ばす。そこで飛び込んできたのは自然と融合した町。夕日に照らされて、宝石のように大きな川が光っている。
「……すげえ」
「でしょ? 私の宝物見せたかったの」
足に溜まった疲労が吹き飛ぶぐらいの景色だった。
「ふぅはぁ、もう動けないよ」
「博人君は普段から運動したほうがいいかもね」
後ろから遅れてやってきた博人は頂上で座り込む。
なんだかんだで杏子ちゃんは面倒を見てくれていたようで、体育教師のように腰に手を当ててため息をついている。
「あははは」
「健一君?」
舞さんや杏子ちゃんから不思議そうに見つめられ、笑い疲れた俺は涙を拭って笑顔で答えた。
「なんか、いいなって思ってさ」
「ふふふ、変なの」
「杏子は大変だったんですから」
「わっ、杏子ちゃんって一人称名前なんだ。可愛い……い、痛、痛いよ」
杏子ちゃんに頭を叩かれる博人が面白くて俺と舞さんは二人で笑い合う。
そして四人並んでしばらく景色を眺めたのだった。
夕飯をいただいた俺と博人は近くの小川で女子たちを待っていた。
あの後、花火をしようと舞さんから提案されたのだ。
「健一って浴衣が似会うよな。なんか江戸時代の人間みたいだ」
「それ褒めてんのか?」
温泉に入った後、寝巻用に浴衣を貸してもらえた俺たちはさっそく着替えていた。
「それにしても、こんなにいい待遇をしてもらえるなんて思わなかったな」
「しかも無料だぜ。無料。さすが舞さんだ。あれは本物だ。本物のお嬢様だ」
今回の作戦を立てるほどに舞さんに執心していた博人が、ここにきてから舞さんに対してどこか一歩引いていたのが気になっていたが、その理由はこれだった。
「僕には荷が重いよ。なんかさ、舞さんって思ったより大人っていうかさ。身分が違うって感じで、彼女を見ていたら自分が小さく見えてきちゃってダメだ」
博人はしゃがみこんで川に映った月を眺めながら言った。
「そうか」
俺も隣に座り込み、体を倒して夜空を見上げると、電灯がないからか夏の大三角が鮮明に見えた。
どれくらいそうしていただろうか、小石を引きずるような足音が聞こえてきて体を起こすと、
「やっほぉ~」
「もう、お姉ちゃんが遅いから待たせちゃってるじゃない」
月明りに照らされて露になったのは浴衣姿の二人。
青い生地に白い円が重なり合った模様の舞さんと白い生地に赤色の麻の葉模様の杏子ちゃん。
手にはバケツと花火が握られていた。
「あはは、大丈夫だよ。こんなに綺麗な星を見れたのは久しぶりだから楽しかった」
「おっしゃ! さっさと花火始めようぜ」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、博人が二人に手を振った。
俺がマッチで火をつけて舞さんの花火を着火させると、次々とリレーさせる。
「綺麗ね」
色とりどりの花火の閃光が小川に向けて飛び散った。
火花の明かりが隣の舞さんの横顔を照らす。
どことなく昼間より綺麗な気がした。
少し離れたところで博人と杏子ちゃんが腕を振り回しながら楽しそうに遊んでいる姿に俺と舞さんは二人微笑えみ合う。
「楽しそうね、あの二人」
「意外と気が合うのかもな」
「ふふふ、そうかもね」
舞さんの花火が消えると、新しく取り出したものに俺の花火の火を分け与える。
逆もしかり。その瞬間に彼女との距離が近づき、そのたびに香る石鹸の匂いに胸が早鐘を打つ。
「……健一君は将来どうするの?」
「大学に進学してそこで何か興味があるものに出会えたらいいなって思ってる」
行けるから行く。
そんな自分に情けなくなったので誤魔化すように笑った。
「いいなぁ、自由で」
舞さんは星を見上げて憂いた眼差しを浮かべる。
「舞さんは旅館で働くの?」
「うん。将来は女将だってさ」
そこにどんな葛藤があるのか、俺には分からなかった。だから素直な感想を言うことにした。
「すごいじゃないか。女将って旅館のトップってことだろ?」
「すごくないよぉ。私が長女ってだけなんだから」
舞さんは遠くではしゃいでいる杏子ちゃんを見てため息をついた。
「生まれるのが遅かったら杏子が女将だったに違いないわ」
勢いよかった火花も意気消沈するようにしおれていく。
「そうかな? 僕が親だったら、やっぱり跡継ぎは舞さんに任せていたと思うよ」
「ほんとぉ?」
「うん。学校ではしっかりもので誰にでも分け隔てなく接してる舞さんを見ているからね。みんな舞さんと話しているときは楽しそうにしてる」
「うーん」
燃え尽きた花火の先をじっと見つめながら、舞さんは真剣な表情をしていた。
足音が聞こえてきて振り返ると杏子ちゃんが俺の隣にしゃがむ。
「ふぅ~花火なくなっちゃいました」
「こっちもだよ。後は線香花火だけかな」
使い終わった花火の束に視線を向けると、
「今日のお姉ちゃん綺麗でしょ」
にこっと悪戯っぽく笑った杏子ちゃんは俺の耳元でぼそっと呟いた。
どうやら、そう思っていたのは俺の勘違いではなかったらしい。
「お姉ちゃん、気合入れてメイクしてたんですよ。健一さんがいるからって」
「えっ? それってどういう……」
「もう、聞こえてるよぉ」
「別にいいじゃん。お姉ちゃんが奥手すぎるのが悪いんだよ」
俺を挟んで言い合いを始める二人。
まるで舞さんが俺のことを意識しているみたいな会話に顔が熱くなる。
いや、自意識過剰だろ。モデルみたいにスタイルがよくて、お淑やかな舞さんが俺のことを好きなんてありえないって。
「おぉい! 僕の居ぬ間にイチャイチャしてんじゃねえ!」
戻ってきた博人が俺を見て大声を出す。
気が付いたら右には杏子ちゃんが、左には舞さんが俺に寄りかかっていた。
しかし、二人は博人に顔を向けたまま離れようとはしない。
「くそ……見せつけやがって……」
徐々に涙目になる博人に俺は苦笑を浮かべることしかできなかった。
「そ、そうだ。せっかくだから、二人の浴衣写真撮らせて……くれない?」
負けじと、声を振り絞る博人だったが、
「えっ? 無理だけど」
「うーん。恥ずかしいから……ごめんね」
「そんなぁ~……」
膝をつき、崩れ落ちる博人が面白くて俺たちは三人で笑い合ったのだった。
翌日、俺と博人はボストンバッグを肩にかけて離れの外にいた。
舞さんと杏子ちゃんが見送りに来ている。
「昨日は楽しかったよ。ありがとう」
「もう一泊ぐらいしてけばいいのに」
杏子ちゃんが唇を尖らせてそう言った。
初対面の時はそっけない態度だったけど案外人懐っこい性格なのかもしれないな。
意外と博人のことも悪く思っていないのかもしれない。
「あ、杏子ちゃん……! 僕ももっと杏子ちゃんと一緒にいたいよ~」
「え……杏子は健一さんに言ったんだけど」
露骨に顔をしかめる杏子ちゃん。
前言撤回しよう。杏子ちゃんは博人のことをよく思っていないようだ。
昨日の夜、楽しそうにしてたのは単に花火が好きだったからなのかもしれない。
「ふふふ、そんなこと言わないの。ごめんね。一日だけって条件で許してもらったの。杏子も知ってるでしょ?」
「まぁね。でも、反対してたのはお父さんだけだし、お母さんはむしろ乗り気だったよ」
「うーん……それはそれで何か勘違いしてそうだったけれどね」
どうやら、俺たちを招待するのにひと悶着あったようだ。
急に申し訳なくなってきたな。
「なんか、無理言ったみたいで悪い……」
「ううん。私も楽しかったから。それに……健一君のおかげで決心もついたからね」
本当に舞さんは優しい。
俺たちに罪悪感を湧かせないように、そう言ってくれるのだから。
「それじゃ、俺たちは行くよ。誘ってくれてありがとう」
「舞さん! 杏子ちゃん! 僕も今度は客としてくるよ!」
「げ~……」
舌を出した杏子ちゃんの頭を舞さんが叩いた。
「そんなこと言わないの。待ってますね博人君」
手を前で組んでお辞儀する舞さんはすでに立派な女将然としている。
うん。やっぱり似合ってるな。
「舞さん……僕、絶対泊まりに来るよ! 家族や友達連れて常連客になるよ!」
「ほら博人。そろそろ行くぞ。あまり長居しても彼女たちの迷惑になる」
「わ、分かってるよ」
俺は後ろを振り返り二人に手を振ると、舞さんは控えめに杏子ちゃんは両手で振り返してくれた。
町を分断するように流れる川の鉄橋。
杏子ちゃんと出会った場所にたどり着きタオルで汗を拭う。
「はぁ~、二人の写真撮りたかったな」
「まだ言ってるのか」
「だってよ~、美女二人の浴衣姿だぜ? 普通見れないって! 一生の宝物にしたのにさ~」
後頭部で手を組んで橋を渡る博人に続いて足を踏みだした瞬間、ポケットに入れていたスマホが振動する。
「ん?」
取り出してみると、杏子ちゃんからのメールだった。
『健一さん、また遊びに来てくださいね。お姉ちゃんもきっと喜びます。杏子も健一さんなら大歓迎ですから。追伸、うちには混浴風呂もあるんですよ』
本文と共に浴衣姿の舞さんが添付してあった。
「まったく、杏子ちゃんは悪戯っ子だな」
「ん? 健一なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
俺は慌ててスマホをポケットにしまった。
博人にばれたら、絶交されるなこれは……。
突然吹いた熱風が肌を撫で、一枚の木の葉が風に乗って飛んでいく。
橋の上から見える景色は、どこまでも澄んでいて光り輝いていた。




