第9話 遺失遺構(ロスト・ダンジョン)
アステリア王国の辺境、鬱蒼とした原生林の奥深くに、その「穴」は口を開けていた。
かつて高度な魔術文明が栄えたとされる時代の名残――遺失遺構。苔生した石柱が歪な角度で並び、大気には数百年前に棄てられたはずの、澱んだ魔力が濃密に満ちている。
「……さあ、着いたよ。僕の可愛い教え子たち」
崩れかけた石柱の上に腰掛け、退屈そうに銀髪を揺らしていたのは、アステリア魔術学園の特別顧問にして、世界で唯一のS級魔術師、キャロル・エインズワースだ。
200年以上前から姿が変わっていないというその容姿は、少女のような幼さと、全てを見透かすような老獪さが同居している。
「今回の『合同特別演習』の舞台はここだよ。最深部にある『星のメダル』を持ってこれたチームが合格。……あ、ちなみに中の術式は僕が少しだけ『弄って』おいたから、死なないように気をつけてね?」
世界にただ一人、国家を凌駕する力を持つと定義された『S級魔術師』。
そのキャロルが「少し弄った」という言葉の重みを、エレナとクラリスは誰よりも理解していた。それは、並の魔術師なら足を踏み入れた瞬間に精神が崩壊しかねない、神の悪戯に等しい。
「……光栄ですわ、師匠。貴女の試練を直接受けられること、ゴールドバルト家の誇りにかけて、必ずや乗り越えてみせますわ」
エレナ・ゴールドバルトが、心酔と畏怖の混ざった眼差しで跪く。
彼女にとってキャロルは、魔術の深淵を体現する神に近い存在。その隣で、クラリスもまた、緊張で杖を握る手に汗を滲ませていた。
「あたしも……シルバーフレイムの名に恥じない戦いを見せてみせるわ。見ていてください、キャロル様!」
二人のヒロインにとって、キャロルは「導くべき光」であり、絶対的な師だ。
しかし、その背後で一人、隠す気のない溜息を吐く少年がいた。
「……相変わらず悪趣味だな、あのクソババア」
レオン・カスパールは、不機嫌そうに吐き捨てた。
エレナとクラリスが驚愕してレオンを振り返る。学園の象徴であるキャロルに対し、これほど不遜な口を利く生徒など、後にも先ほどにも彼一人だろう。
「カ、カスパールさん!? 師匠に対してなんて無礼な……っ!」
「ちょっとレオン、あんた頭おかしくなったの!? キャロル様に消されても知らないわよ!」
二人の非難をよそに、キャロルは石柱からふわりと飛び降りると、楽しげにレオンに近づいた。
「ふふ、相変わらず口が悪いね、レオン。僕が君を拾って、その使い物にならない『左手』の面倒を見てあげた恩を忘れたのかな?」
「……拾ったんじゃない。お前が勝手に俺の『バグ』を観察したかっただけだろ」
レオンにとって、キャロルは「学校の先生」などではない。
絶望の淵にいた自分を拾い上げ、左手の《虚無》を制御するための「死ぬより辛い修行」を強いた怪物であり、腐れ縁の育ての親だ。
キャロルはレオンの横を通り過ぎる際、彼にだけ聞こえる囁きを残す。
「――ねえレオン。奥には『君の左手でも消せないもの』を置いておいたよ。……君が絶望する顔、楽しみにしてるからね」
キャロルが指を鳴らす。
重厚な石の扉が、数百年ぶりの悲鳴を上げてゆっくりと開いた。
「……ご主人様。あの女、本当に一度埋めたほうがいいかもしれません。……殺気、抑えきれませんので」
レオンの影に寄り添うルシフェリアが、感情の消えた瞳でキャロルの背中を見据えていた。
「……よせ、ルシフェリア。時間の無駄だ。……行くぞ」
レオンを先頭に、一行は光の届かない迷宮へと足を踏み入れた。
背後で、キャロルの不気味で無邪気な笑い声だけが、いつまでも森に響いていた。




