第42話 喧嘩
「…ご主人様。……外に、動く影があります」
ルシフェリアの囁きに、全員が息を呑んだ。
レオンが窓から外を伺うと、外套を深く被ったジルヴァが、一人で駐屯地の裏門を抜けていくのが見えた。周囲を警戒するその足取りは、明らかに「公にできない用事」に向かう者のものだった。
「……あいつ、こんな時間にどこへ行くつもりだ」
「……追いかけましょう。彼が何を隠しているのか、確かめるチャンスですわ」
一行は気配を殺し、夜の闇に紛れてジルヴァの後に続いた。
気配を殺してジルヴァを追った先は、街の外れにある、今にも崩れそうなボロボロの建物だった。
ジルヴァは周囲に誰もいないことを慎重に確認すると、建物の古びた扉を軽く叩いた。
「……俺だ」
その低い声に応じるように扉が薄く開くと、中から背の曲がった老婆が顔を出した。
「……ああ、ジルヴァ。また来てくれたのかい」
「ババァ、ほらよ。今月分だ」
ジルヴァは懐から厚みのある封筒を取り出し、老婆の手へと押し付けた。老婆はその重みを確かめると、申し訳なさそうに眉をひそめた。
「ありがたいけどねぇ……いいのかい、こんなことして。あんた、騎士団の偉い人なんだろ? 自分のために使いなよ」
「かっかっか! いいんだよババァ、俺のことは。俺は好き勝手やってるだけだぜ」
ジルヴァが豪快に笑ったその時、扉の向こうから「あ、ジルヴァのおっちゃんだ!」という元気な声が響いた。数人の子供たちが駆け寄ってきて、ジルヴァの外套に縋り付く。
「おっちゃん、また来たの!?」
「遊んでくれる!?」
「おっ、待て待て。……ったく、まだ『おっちゃん』じゃねえっつってんだろ。せめて兄貴って呼びやがれ」
そう言いながら、ジルヴァは膝をついて子供たちと同じ目線になり、大きな手で乱暴に、けれど優しく彼らの頭を撫でた。
物陰からその光景を見ていたエレナが、驚きに目を見開く。
「……孤児院……でしたのね。キャロル様が仰っていた『不透明な金の流れ』の正体は……」
「……ああ。騎士団の予算や自分の給料を削って、ここに流してたのか」
レオンは呆れたように、けれどどこか納得したように呟いた。
乱暴な口調も、派手な金遣いの噂も、すべては監視の目を欺くため、あるいは「ただの放蕩者の小悪党」だと思わせて、この場所を守るためのブラフだったのだ。
「……良い人、じゃない」
クラリスが小さく微笑む。
物陰から見ていたレオンたちは、意を決して建物の入口へと足を踏み出した。
「……感心しねぇなぁ。尾けてやがったか、テメェら」
ジルヴァは子供たちを老婆の方へ促すと、振り返って苦笑いを浮かべた。殺気はない。ただ、隠し事を見つけられた気恥ずかしさを隠すように、いつもの乱暴な仕草で頭を掻いている。
「悪い。だが、あんたの本当の顔が見えた気がするぜ。……なぜ騎士団の隊長ともあろう男が、コソコソとこんなことをしてるんだ?」
レオンが真っ直ぐに問いかけると、ジルヴァは建物の古びた壁に背を預け、夜空を見上げた。
「……実はよ、俺もここのガキどもと同じ孤児だったんだぜ」
意外な告白に、エレナとクラリスが息を呑む。
「昔は王都のごろつきでよ、盗みも喧嘩もやりたい放題のクズだった。だがある日、あの白炎の旦那――ヴォルカニカスに捕まって、ボコボコにされた後に首根っこ掴まれて、強引に騎士団に叩き込まれたのさ」
ジルヴァは懐かしむように、腰の短剣に触れた。
「『その腕っ節を、国を守るために使え』ってよ……あの親父の説教、今でも耳にタコができるぜ。……だからよ、放っておけねぇんだよ。親がいねぇってだけで、腹空かせて泥水啜るような真似はよ。……ま、騎士団のツラ汚しだってのは自覚してるぜ。かっかっか!」
豪快に笑うジルヴァの瞳は、昼間の傲慢な態度とは違い、静かな決意に満ちていた。
「……そうですのね。ジルヴァ様のあの振る舞いは、すべて……」
エレナが言葉を続けようとしたその時、駐屯地の方から鋭い号笛の音が夜空に響き渡った。
「……チッ、何だ!? 夜襲かよ!」
ジルヴァが即座に短剣を引き抜き、戦士の顔に戻る。
号笛が鳴り響く中、レオンたちはジルヴァと共に全速力で駐屯地へと戻った。
門を潜ると、そこにはすでに武装を整え、整然と、かつ殺気立って整列する兵士たちの姿があった。ジルヴァが声を荒らげる。
「おい! 何があった! 報告しろ!」
「ジルヴァさん! 西方の未開拓地域より、多数の魔物の群れが確認されました! かなりの規模です、このままでは街に流れます!」
報告を聞いたジルヴァは、怯むどころか凶悪なほど不敵な笑みを浮かべた。腰の2対の短剣を引き抜き、その刀身に鋭い風の術式を纏わせる。
「かっかっか! ちょうど体がなまってたところだ。おい、ガキ共! 見てろよ。これが、泥を啜って地を這いずり回ってきた『西部王国騎士団』の戦い方だ!」
ジルヴァは短剣を天に掲げ、腹の底から咆哮した。
「野郎共ッ! 喧嘩の時間だッ! 一匹残らず切り刻んで、必ず勝つッ! 行くぞォ!!」
「「「「おおおおおォォォッ!!」」」」
地を震わせるような兵士たちの雄叫び。それは北部の騎士団が見せていた「軍隊としての規律」とは全く別物の、まるで荒くれ者の集団が放つ剥き出しの闘争心だった。
次々と戦地へ飛び出していく兵士たちの背中を見て、クラリスが目を見開いて呟く。
「……北部と全然違う。あんなにバラバラに見えるのに、信じられないくらいの熱量……!」
「ああ。規律じゃない、あの男への信頼だけで動いてるんだな。……行くぞ、俺たちも遊んでる暇はねえ」
レオンが左手のグローブを強く締め直すと、虚無の魔力が静かにその掌に集まり始めた。




