第35話 白炎
崩落した石材と土煙が舞う中、ヴォルカニカスの荒い呼吸だけが、その場の生存を証明していた。アステリア王国騎士団北部隊長として、数多の戦場を潜り抜けてきた姿は、今や見る影もない。
「……ク、ラリス……逃げ……ろ……。奴は……危険だ……」
その震える声は、父として、そして一人の騎士としての最後の警告だった。
クラリスの視界が涙で歪む。握りしめた杖が、恐怖でカタカタと音を立てた。その時、肩に置かれたのは、体温を感じさせないほどに冷え切った、だが鉄のように揺るがないレオンの左手だった。
「……おい。顔を上げろ、クラリス。お前が信じねえで、誰がその炎を信じるんだよ」
低く、突き放すような、けれど確かな信頼を湛えた声。レオンは視線を敵から逸らさぬまま、言葉を続ける。
「あいつの風の術式は完璧じゃねえ。循環の継ぎ目に一点、全火力を叩き込め。盾の演算処理を焼き切るんだ。……あとは、俺がやる」
「レオン……」
クラリスの胸の奥で、燻っていた火種が爆発した。恐怖を焼き尽くし、純粋な闘志へと昇華される。彼女は涙を拭い、シルバーフレイムの名に懸けて、全魔力を杖の先端へと流し込んだ。
「……やってやるわよ。アタシは、甘やかされただけの箱入り娘じゃない……レオンが信じてくれた、アタシだけの炎で!!」
大気が鳴動した。周囲の酸素が猛烈な勢いで吸い込まれ、クラリスを中心に巨大な魔力の渦が発生する。
杖の先から噴き出したのは、眼を焼くほどの純白。それは物理的な熱を超え、高密度な「白炎の大剣」へと収束していった。
「おおおおおおおッ!! 貫けぇぇぇぇ!!」
クラリスが渾身の力で杖を振り下ろすと、白炎の巨剣が空間を断ち割りながら魔族へと肉薄する。
魔族の展開した風の盾が、金切り声を上げて回転を速めた。物理法則を無視した超高速の演算が、熱量を散らそうと抗う。しかし――。
「何っ……!? 処理が、追いつか……ッ!?」
盾の表面にひびが入る。演算速度を、クラリスの「想い」という名の出力が凌駕した瞬間だった。
「――今よ、レオン!!」
風の盾が弾け飛んだコンマ数秒の隙。
レオンは既に、そこへ踏み込んでいた。地面を蹴った衝撃で瓦礫が粉砕される。
「……あばよ」
レオンの左手が触れた瞬間、魔族を構成する精密な術式が、まるで古い羊皮紙が火に焼かれるように崩壊を始める。
「……が、は……っ。……流石、だ。……唯一の……『成功例』……」
魔族の瞳に宿っていた不気味な光が、急速に色褪せていく。
「だが……これで……終わったと思うな……よ……。計画は、既に……最終……段階……」
負け惜しみか、あるいは呪いか。
その言葉が消えるより早く、魔族の肉体は塵となって霧散した。レオンの「虚無」は、死体すらこの世に残さない。
戦場を支配していた圧迫感が消え、重苦しい静寂が戻る。
「お父様! お父様、しっかりして!」
クラリスは魔力を使い果たし、ふらつく足取りでヴォルカニカスの元へ駆け寄った。
「……が、はは。……いい、炎だった……。誇りに、思うぞ……クラリス……」
娘の成長をその目に焼き付けたヴォルカニカスは、安堵したように深く目を閉じた。
すぐにエレナが膝をつき、ゴールドバルト家の紋章が刻まれたネックレスを握りしめる。
「離れてください、クラリスさん! すぐに止血します……
『聖なる光よ、傷えし命を繋ぎたまえ』!」
エレナの放つ柔らかな光が、ヴォルカニカスの深い傷を塞いでいく。その傍らで、ルシフェリアは周囲の索敵を片時も怠らずにレオンの隣へ着陣した。
「ご主人様……お怪我は」
「……ああ、なんともねえよ」
嘘だ。レオンの鼻からは一筋の血が流れ、酷使した左手は、術式の過剰流入で痙攣している。
レオンは北の空を見上げた。魔族が最後に遺した「成功例」という言葉。そして、あの空に居座る不気味な暗雲。
「計画は終わらない、か……」
左手の痛みを、自分自身の存在への忌々しさとともに噛み締める。
「……ああ、分かってるよ。……全部ぶっ壊すまで、終わらせねえ」
彼の視線の先、王国の平穏を嘲笑うかのような暗雲は、ゆっくりと、だが確実に広がり続けていた。




