第30話 魔族と魔術
アステリア魔術学校に戻った翌日。レオンたちは報告を兼ねて、再びキャロルの研究室の扉を叩いた。
室内には、相変わらず古書の焦げた匂いと淹れたての紅茶の香りが漂っている。キャロルは窓辺の椅子に深く腰掛け、手元の人形のような魔道具を弄んでいた。
「……キャロル。昨日の魔族の目的は何だ。オーリエル王国から魔力を奪い、カリンの魔道具にも興味を持っていた」
レオンが単刀直入に問いかける。カリンを狙ったあの冷徹な眼差し、そして術式を喰らおうとした執着。それが単なる破壊衝動には見えなかったからだ。
キャロルは弄んでいた魔道具を置くと、薄く笑みを浮かべて四人を振り返った。
「目的、か。……彼らにとって、それは呼吸をするのと同じくらい単純で、残酷なことだよ。魔族という種族は、自らの『術式密度』を上げること、ただそれだけのために生きている。」
「術式密度……。魔族の強さと階級を決める、存在の根源ですわね」
エレナが、以前教わった知識をなぞるように呟いた。
「そう。彼らにとって『肉体』とは、術式を維持するための器に過ぎない。君たち人間が食事をして血肉を肥やすように、彼らは純度の高い魔力や、優れた術式の構造を喰らい、自らの構成式に取り込むことで密度を高めるんだ」
キャロルは立ち上がり、黒板に複雑な魔方陣を一つ描いた。
「魔族は術式が全て。術式が魂であり、心臓であり、命そのものなんだ。……カリンの『複合術式』は、異なる属性を無理やり一つに繋ぎ止めるという、極めて高密度で異質な構造をしていた。あの魔族にとっては、どんなご馳走よりも魅力的な『進化の素材』に見えたんだろうね」
「……つまり、あいつらは強くなるためなら、他人の知恵も命も、ただの餌だとしか思ってねえってことか」
レオンが不快そうに拳を握る。
「その通り。彼らには倫理も慈悲もない。あるのは、より濃く、より深く、完成された術式へと至ろうとする本能だけさ。……レオン、君の《虚無》も、彼らにとっては究極の脅威であると同時に、喉から手が出るほど欲しい『未知の式』かもしれないよ?」
魔族の不気味な生態を知り、一行は改めて、自分たちが足を踏み入れた世界の「深淵」を感じ取っていた。
キャロルの研究室に、重苦しい沈黙が流れた。魔族がただ「術式密度」を上げるためだけに生き、他者の術式を餌にする剥き出しの本能の塊であると知り、エレナが伏せていた瞳をゆっくりと上げた。
「……キャロル様。教えてください」
彼女の手は、胸元のゴールドバルト家のネックレスを強く握りしめていた。
「そもそも、魔術とはなんなのですか? 私たちが血を吐くような思いで構築し、磨き上げてきた術式。それが魔族にとってはただの『食事』でしかないのなら……。生まれながらに術式そのもので構成されている彼らに、私たち人間は本当に対抗できるのでしょうか」
エレナの声には、S級の資質を持ちながらも、魔族という「異質の完成体」を目の当たりにした恐怖と、人間としての限界への問いが含まれていた。
キャロルは窓の外の青空を眺め、ふっと懐かしむように目を細めた。
「魔術とは、世界の理に干渉するための『設計図』だよ、エレナ。でもね、君が言う通り、魔族はその設計図自体が命だ。彼らにとって魔術は呼吸であり、己そのもの。対して人間は、外側から不器用にその理を借りているに過ぎない」
キャロルはくるりと振り返り、エレナの真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
「だけどね、絶望することはないよ。人間には『心』がある。……それが、魔族との決定的な違いさ」
「……心、ですか?」
「そう。魔族は純粋すぎて、自らの術式という正解から逃れられない。でも人間は、迷い、悩み、時に理屈に合わない行動をとる。……大切な誰かを守りたい、この景色を残したい。そんな不確定で、術式には記述できない『想い』が、時に計算を超えた爆発的な力を生むんだ」
キャロルは全員を見渡す。
「みんなが洋館で見せた……3人の合体術式、そしてレオンが術式を殴るという……心という不純物があるからこそ、人間は自らの限界という術式を、何度でも書き換えることができるんだよ」
キャロルの言葉に、ルシフェリアが静かに胸元に手を当てた。感情を与えられ、主への好意を知った彼女もまた、その「心」の強さを理解し始めていた。
「……心、ね。……あいつらにはねえ、面倒くさい重荷ってことか」
レオンが鼻で笑う。だが、その瞳にはキャロルの言葉を否定しない、静かな覚悟が宿っていた。
「……分かりました。わたくしたちの魔術は、ただの術式ではありません。この心を通わせた、絆の証明ですわね」
エレナはネックレスを離し、晴れやかな表情で頷いた。
魔術とは技術ではなく、生きる意志そのもの。キャロルの教えは、一行の胸に深く刻み込まれた。
キャロルは窓の外の雲を目で追いながら、手に持った銀のスプーンを指先で弄んだ。その仕草はどこか浮世離れしていて、彼女だけが別の時間軸を生きているかのような錯覚を抱かせる。
「魔術、ね。……エレナ、君たちはそれを『奇跡を起こすための手段』だと思っているかもしれないけれど、僕にとってはもっと無機質で、それでいて残酷なほど純粋なものだよ」
彼女はスプーンを置き、空中に指で小さな円を描いた。すると、そこから淡い光を放つ幾何学模様――術式が浮かび上がる。
「世界は、目に見えない無数の法則で編まれている。火が燃え、水が流れ、命が尽きる。それらすべては、あらかじめ定められた『世界の記述』に従っているんだ。魔術とは、その記述を一時的に書き換えるための言語さ。」
キャロルは空中の術式を指先で弾き、形を変えさせた。
「魔力というインクを使い、術式というペンで、世界の余白に自分勝手な理屈を書き込む。それが魔術の本質だ。……でもね、世界は本来、書き換えられることを嫌う。だから、魔術師には強固な意志と、精密な設計図――つまり、術式を理解する知性が必要になるんだよ」
キャロルは視線をレオンへと移し、いたずらっぽく微笑んだ。
「魔族は、自分たちがその『記述』そのもので構成されているから、書き換える必要すらない。呼吸するように理を変えられる。……けれど、人間は違う。不自由な肉体の中に、術式には決して記述できない『心』という不確定要素を抱えている」
彼女は浮遊していた術式を霧散させ、静かに言葉を継ぐ。
「魔術は論理だ。けれど、その論理を突き動かすのは、君たちの心に灯る熱量なんだよ。……レオンの《虚無》が理屈を超えて術式を粉砕するのも、エレナの光が絶望を照らすのも、計算式の結果じゃない。君たちの心が、世界の記述を強引に捻じ曲げている証拠さ」
「だから僕は、『魔法』とは呼ばない。……魔法なんていう甘美な言葉は、棚ぼたの奇跡を待つ怠け者の言葉だ。僕たちが扱うのは、自らの意志で構築し、奪い取り、刻み込む『魔術』でなければならない」
キャロルは満足げに紅茶を啜り、四人を順番に見渡した。
「……さぁ、講義は終わりだ。君たちの『心』が、次にどんな新しい記述を世界に刻むのか。……僕は特等席で見物させてもらうよ」
その瞳には、師としての慈しみと、観測者としての冷徹な好奇心が同居していた。




