第29話 宴
オーリエル王国の危機は去った。汚染術式が浄化された大聖堂の広場には、復興を祝う提灯が掲げられ、きらびやかな晩餐会の準備が整えられていた。
「アステリアの若き英雄たちよ。諸君らの献身がなければ、我が国は今頃、黒い氷に閉ざされていただろう。心より感謝する」
玉座の間でオーリエル王が直々に謝辞を述べると、豪華な宴の幕が上がった。
会場では、各々の個性が爆発していた。
「……左様ですわ。術式の構築において、最も重要なのは基礎の密度。オーリエル王国の伝統的な水魔術、非常に感銘を受けました」
エレナはゴールドバルト家の令嬢として、王宮貴族たちを相手に淀みのない社交術を披露している。その隙のない完璧な淑女の振る舞いは、周囲の貴族たちから感嘆の溜息を漏れさせていた。
「これ、おいしいわね! このソース、何のスパイスを使ってるのかしら!?」
一方、クラリスは社交などどこ吹く風で、テーブルに並んだ豪華な宮廷料理に夢中だ。ポニーテールを揺らしながら、次々と運ばれてくる未知の味覚を堪能している。
「……失礼。この魚料理に使用されている香草の調合を伺えますか? はい、ご主人様の健康と、今後の献立の参考にするためですので」
ルシフェリアは、給仕係の料理人たちを捕まえ、真剣な面差しでレシピを問い詰めていた。その手元のメモ帳は、すでにレオンのための「最強のメイド料理」構想で埋まりつつある。
そんな喧騒をよそに、レオンは一人、会場から離れたテラスの隅に立っていた。手元のグラスには、甘さの控えめな飲み物が入っている。
「……ふぅ。……騒がしいのは、性に合わねえ」
黒革の手袋を撫でながら、夜風に当たっていると、背後から控えめな足音が近づいてきた。
「カスパールさん、ここにいらしたんですね」
淡い水色のドレスに身を包んだカリンだった。彼女は少しだけ頬を染め、レオンの隣に並ぶ。
「改めて、お礼を言わせてください。……貴方のあの拳がなければ、私は今頃、あの魔族に飲み込まれていたかもしれません。……本当に、ありがとうございました」
カリンが深々と頭を下げると、レオンは決まり悪そうに視線を逸らし、グラスを口に運んだ。
「…………別に。俺はキャロルに言われて来ただけだ。礼なら、あのクソ教師に言えよ」
そっけない返し。だが、その耳の端が微かに赤くなっているのを、カリンは見逃さなかった。
「ふふっ。……それでも、私は貴方に救われました。貴方のその不器用な強さに、救われたんです」
「………………。……勝手に言ってろ。」
「はい! 次はもっと、カスパールさんの進路を完璧にサポートできる術式を準備しておきますね」
二人の間に、穏やかな空気が流れた――その時だった。
「あーっ! 見つけた! レオン、あんただけこんなところでカリンと良い雰囲気になってんじゃないわよ!」
「そうですわ、カスパールさん。主役がいなくては宴が締まりませんわ。さあ、戻りましょう」
「ご主人様……。お召し上がりいただきたい料理が、まだ山ほどございます」
クラリス、エレナ、そしてルシフェリアが、嵐のようにテラスへなだれ込んできた。レオンは「おい、引っ張るな!」「離せ!」と毒づきながらも、三人にずるずると会場の中央へ連行されていく。
カリンは、賑やかに去っていく四人の背中を眺めながら、そっと口元を緩めた。
「……素敵な仲間ですね、カスパールさん」
夜空に浮かぶ月は、救われた水都を静かに照らし続けていた。
数日後、オーリエル王国の正門前。
復興の活気に包まれた街を背に、アステリアへと戻る馬車が用意されていた。
出発の直前、カリンはレオンの前へ歩み寄ると、少しだけ名残惜しそうに、けれど決意の宿った瞳で右手を差し出した。
「カスパールさん……。今回の戦いで痛感しました。私の魔道具も、複合術式の安定性も、まだまだ研究不足です」
レオンはその手を見つめ、ゆっくりと自分の右手を差し出す。新調された黒革の手袋越しに、二人の手が重なった。
「次に貴方に会うときは、もっと……もっと完璧に貴方の進路をサポートできるよう、死ぬ気で研究しておきますね。一発撃ったら終わり、なんて言わせませんから」
カリンの言葉に、レオンはふっと口角を上げた。それは、戦場で見せる冷徹な笑みではなく、対等な技術者、そして仲間として認めた者だけに見せる、稀な笑みだった。
「……期待して待ってるよ。」
「はい! 約束です」
カリンは力強く握り返すと、パッと手を離して一歩下がった。
「レオン! 早く乗りなさいよ、置いていくわよ!」
「カスパールさん、お別れは済みましたの?」
「……ご主人様、馬車の中の軽食の準備が整いました」
馬車の窓から顔を出すクラリスとエレナ、そして扉を開けて待つルシフェリア。彼女たちの賑やかな催促に、レオンは一度だけカリンに背を向けて手を振った。
「……じゃあな、カリン」
「さようなら、皆さん! また、必ず!」
動き出した馬車の車輪が石畳を叩く音。カリンはその姿が見えなくなるまで、淡い水色の髪を風になびかせながら、ずっと手を振り続けていた。
アステリアへの帰路。レオンは揺れる馬車の中で、自分の右手の感触を確かめる。
新しい記述。それは、誰かに造られた宿命ではなく、自らの足で歩き、出会った人々との間に刻まれていく、確かな物語の断片だった。




