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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第26話 術式生命体

 大聖堂の地下へと続く階段を降りると、そこには地上以上の絶望的な光景が広がっていた。本来なら清らかな水を蓄えているはずの貯水池は、どす黒く脈動する「黒い氷」に埋め尽くされ、侵食された壁からは魔族の汚染術式が触手のように伸びて、侵入者を拒んでいる。


「……汚ねえ術式が、さらに濃くなってやがる。胸糞悪いな」


 レオンが黒革の手袋を鳴らし、一歩踏み出す。だが、通路の四方八方から、意志を持つかのように黒い氷の棘が急成長し、彼の進路を完全に塞ごうとした。


「レオン、無理に突っ込まないで! 氷の再生速度が速すぎるわ!」


 クラリスが白炎を放とうとするが、狭い地下通路で高火力を出せば酸素が枯渇し、仲間まで危険にさらしかねない。エレナの光の矢も、次々と生えてくる氷の壁に阻まれ、決定打に欠けていた。


「ここは、私に任せてください……!」


 カリンが鋭い声を上げ、一歩前に出る。彼女は腰のベルトから、赤く輝く瓶を迷いなく腕の魔道具に叩き込んだ。


「術式結合!――水+炎 水蒸気爆裂!!」

 

炎属性の猛烈な熱が、魔力伝導路マナ・ラインを通じて腕部魔道具のコアへと吸い込まれていく。

 カリンが掌を突き出した瞬間、合わさった術式が極限まで圧縮され、一気に解放された。

生成されたのは、ただの熱湯ではない。術式によって極限まで高圧化され、触れるものすべてを瞬時に融解させる『高圧沸騰水流』だ。

 ズガガガガガガガッ!! と、凄まじい破壊音とともに、レオンの進路を塞いでいた黒い氷を、再生する間もなく溶かしてゆく。


「……はぁ、はぁ。……今です、カスパールさん! 私が氷を抑えている間に、奥へ!!」


 カリンは魔道具の反動に耐えながら、必死に水流を維持して一本の「道」を作り続けた。


 「……上出来だ。あとは、俺がその『根っこ』を叩き潰してやる」


 レオンはカリンが切り拓いた真っ直ぐな最短距離を、弾丸のような速さで駆け抜ける。背後では、ルシフェリアが影から現れ、水流の隙間から伸びようとする汚染の残滓を、視認不可能な速度の短剣で切り裂いてカリンを守る。


「……カリン様、お見事です。ご主人様が、あんなに迷いなく背中を預けるとは」


「……っ、ありがとうございます! カスパールさん、お願いします……!」


 だが、汚染の核も黙ってはいない。侵入者を感知した結晶が狂ったように脈動し、レオンが踏み込む直前、地面から数えきれないほどの黒い氷の棘が、槍の雨となって彼を襲った。


「チッ、しつけえな……!」

レオンが左拳を構えるが、全方位からの波状攻撃をすべて叩き落とすには、あまりに数が多すぎる。


「――ご主人様。……瞬きは、お控えください」


 レオンの背後から、銀髪を翻したルシフェリアが、物理法則を置き去りにした速度で飛び出した。

 彼女は空中で自身のメイド服の術式を全開に駆動させた。光の屈折が歪み、彼女の姿と双短剣が、現実から切り離されたかのように「透明」へと溶ける。


「……っ!? 消えた……!?」


 カリンが驚愕の声を上げる。

 敵である術式生命体にとっても、それは同じだった。標的を見失った氷の槍が空を切る中、虚空から銀色の閃光だけが、断続的に、そして冷酷に奔った。


「……邪魔です。……ご主人様の道を、塞がないでいただけますか」


 ガギィィン! と硬質な音が地下室に連続して響き渡る。

 ルシフェリアは透明化したまま、レオンに迫る氷の棘を、根元から正確に切り落としていった。彼女の身体能力は特A級。常人には視認すらできない速度で、レオンの周囲に「絶対不可侵の円」を描き出す。


「……ルシフェリア。……助かる」


「……滅相もございません。……さあ、あのような醜い核、早々に塵へと還して差し上げてください」


 ルシフェリアの声は、レオンの耳元で囁かれるほど近くにありながら、その姿はどこにも見えない。ただ、彼女が切り裂いた氷の破片だけが、空中に舞い踊っている。

 ルシフェリアが全ての迎撃を完璧に「掃除」し、レオンの目の前には、無防備に晒された汚染の核だけが残った。

レオンは黒革の手袋を脱ぎ捨て、剥き出しの左手を固める。

 カリンが命懸けでこじ開け、ルシフェリアが死守したその最短距離。


「……お前の理屈は、俺が全部消してやるよ。……あばよ、ゴミ溜め」


 レオンの左拳が、汚染の核を真っ向から撃ち抜いた。


 バキィィィィィィィィン!!


 凄まじい衝撃波が地下空間を駆け抜け、貯水池を埋め尽くしていた黒い氷が一気に光の塵となって消滅していく。術式の根源を断たれた汚染は、澄んだ水飛沫へと還った。


「……はぁ。……終わったな」


 レオンが濡れた左手を振り、手袋をはめ直す。


 その背後に、スゥ……と空気から染み出すように、一滴の返り血も浴びていないルシフェリアが姿を現した。


「……お見事でした、ご主人様。……ですが、少し無茶が過ぎます。お怪我はありませんか?」


 ルシフェリアは、先ほどまでの冷徹な暗殺者の顔をどこへやら、心配そうにレオンの左手を両手で包み込んだ。


「……あ、あの……ルシフェリアさん、凄すぎます……。あんな速度で、しかも透明になりながら……」


 カリンが呆然としながらも、尊敬の眼差しを向ける。


「……ふん。こいつは、俺の自慢の従者だからな」


 レオンがぶっきらぼうに、だが誇らしげに言うと、ルシフェリアは頬を微かに染め、これ以上ないほど幸せそうに微笑んだ。

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