第23話 晩餐
アステリア王国の学生寮、レオンとルシフェリアの部屋。
そこには、王国の結界の内側特有の、柔らかく穏やかな時間が流れていた。荒野の砂塵も、あの禍々しい洋館の冷気も、今は遠い夢のようだ。
「――はい、あちらのオーブン、いい具合ですわ! クラリスさん、焦がさないように気をつけて!」
「分かってるってば! ほら、この白炎で一気に表面をカリッと……」
「……待て。クラリス、お前の魔術は火力が強すぎる。肉が炭になるぞ」
キッチンでは、エプロンを借りたエレナが手際よく指示を出し、ポニーテールを振り乱したクラリスがフライパンと格闘している。レオンは椅子に座り、包帯の巻かれた左手で器用に野菜の皮を剥いていた。
「失礼いたします。……お肉の焼き加減は、私が。クラリス様はサラダの盛り付けをお願いできますか?」
「あーもう! ルシフェリア、あんた何でもできすぎなのよ!」
ルシフェリアは、新調されたばかりの汚れ一つないメイド服を揺らし、流れるような動作でキッチンを支配していく。彼女の足元はまだ少し引きずっているが、その表情は驚くほど晴れやかだった。
一時間後。テーブルの上には、王国の特産品をふんだんに使った料理が並んだ。
「……ようやく、まともな飯だな」
レオンがポトフを口に運び、短く呟く。
「まとも、なんて失礼な! 私とクラリスさんの自信作ですわよ?」
エレナが頬を膨らませながら、自身のネックレスを指先で弄ぶ。彼女の魔道具も、レオンの「上書き」と洗浄術式のおかげで、今はかつての輝きを取り戻していた。
「そうよ! それにしてもレオン、あんたのあの『物理で解決』、学校の先生が見たら卒倒するわね。魔術理論の教科書、全部書き換えなきゃいけないんだから」
「……知るか。……あんなの、二度とやりたくねえよ。手が腫れて食いづらいしな」
レオンが不器用そうにスプーンを持つと、隣に控えていたルシフェリアが音もなく動いた。
「ご主人様。……私が、お口まで運びましょうか?」
「………………死んでもやめろ」
「あら、いいじゃない。ルシフェリアさん、遠慮することはありませんわ」
エレナがクスクスと笑い、クラリスも「あはは! 食べさせてもらいなさいよ、英雄サマ!」と囃し立てる。
「……ったく。……これだから、女共は」
レオンは顔を背けたが、その耳の端が微かに赤い。
ルシフェリアはそれを逃さず、少しだけ満足げに微笑むと、彼のために新しく淹れた紅茶を置いた。
「……でも、キャロル様。……あの方は結局、どこへ消えたのでしょう」
ふと、エレナが窓の外を見つめて呟いた。
あの洋館と共に消えた師。彼女の「約束」も、レオンへの「出生の秘密」も、まだ多くの謎が残されたままだ。
「……あいつのことだ。……どうせまた、どこかで僕たちを見て笑ってるさ。……『楽しませてくれるかい?』なんて言いながらな」
レオンが紅茶の香りを吸い込み、視線を落とす。
その時だった。
コンコン、と軽やかなノックの音が響く。
「やぁ、楽しそうだね。……僕の分のご飯も、残っているかな?」
扉の向こうから聞こえたのは、聞き間違えるはずのない、あの悪戯っぽい、底知れない「声」だった。
四人の動きが一瞬で止まり、次の瞬間、絶叫と椅子を引く音が重なった。
「「「「キャロル!!??」」」」
キャロルは、湯気の立つティーカップを弄びながら、四人の驚愕をどこ吹く風で受け流した。彼女は空いた席にごく自然に腰を下ろすと、ポトフを一口運び、「味が薄いかな」と不敵に微笑む。
「……おい、キャロル。あんた、あの洋館と一緒に消えたんじゃなかったのかよ」
レオンが眉間に皺を寄せて問い詰める。
キャロルはカップを置くと、窓の外、遠く離れた「北の森」の方角を見据えた。その瞳には、先ほどまでの茶目っ気とは違う、底知れない深い色が宿る。
「……あそこに残したのは、僕の『未練』だよ。そして、君たちに伝えたかったのはね……『記述された運命は、ただの紙切れに過ぎない』ということさ」
彼女の声が、静かに部屋に染み渡る。
「レオン。君が『造られたゴミ』だという事実は、誰かが書いた過去の記録だ。でも君は、それを自らの拳で叩き壊した。読み取ることも、書き換えることもしない。ただ、理屈を殴り飛ばすという『意思』でね。それは、どんな高等な術式よりも尊い、君だけのオリジナルの記述なんだよ」
キャロルは次に、エレナ、クラリス、ルシフェリアへと視線を移した。
「エレナ、クラリス、そしてルシフェリア。君たちが放った合体術式……あれは理論上、不可能なはずだった。性質の違う三つの魔力が反発せず、一つの光になったのは、君たちが互いを『仲間』だと強く認識したからだ。魔術理論なんて、人間の感情の前では脆いものだろう?」
「僕はいつも言うだろう? 『魔法なんて存在しない。あるのは魔術だけだ』と。……魔法は、奇跡を待つだけの言葉。でも魔術は、自分の意志で理を構築し、壁を抉じ開ける技術だ。あの洋館で君たちが見せたのは、奇跡じゃない。……泥臭く、必死に足掻いた末の、正真正銘の『魔術』だった」
キャロルは満足げに背もたれに体を預けた。
「君たちが、僕の用意した『悲劇の出生』というシナリオを笑い飛ばしてくれた。……それだけで、長年待った甲斐があったというものさ。……さあ、レオン。君の新しい『記述』は、ここから始まるんだ」
「……相変わらず、食えない奴だ」
レオンは鼻で笑い、包帯の巻かれた左手を見つめた。
そこにはもう、自分を兵器だと思い込ませるような不快な疼きはない。
「……ま、いいさ。……あんたの期待通り、世界中の『理不尽な理』を、片っ端から殴り壊してやるよ」
ルシフェリアが誇らしげにレオンを見つめ、エレナとクラリスもまた、新たな覚悟を胸に視線を交わした




