第20話 核心
「……いいかい、レオン。君が今、その左手で壊しているのは、ただの術式じゃない。……それは、この世界の『理』そのものへの反逆なんだ」
キャロルは窓辺に歩み寄り、淀んだ霧の向こうを見つめた。その背中は、S級魔術師としての威厳よりも、どこか遠い過去に取り残された子供のような寂しさを漂わせている。
「200年前、ある国が狂った計画を立てた。『神に代わって、完璧な魔族を造り出す』というね。彼らは、人間の柔軟な思考と、魔族の強大な術式密度を一つにしようとした。……でも、失敗したんだ。肉体は崩壊し、魂は術式の負荷に耐えきれず霧散した」
キャロルが振り返る。その瞳が、レオンの左手を射抜くように見据えた。
「……君は、その『失敗作の残骸』から、奇跡的に形を保って生まれた唯一の個体だよ。君の左手に組み込まれた術式は、本来、世界を書き換えるための『特異点』として設計された。だけど、あまりに強大すぎて、触れるものすべてを無に帰す《虚無》としてしか機能しなかったんだ」
「……俺が、造られたゴミだと?」
レオンの低い声が室内に響く。左手のグローブの下で、どろりとした熱が脈打つ。
「そうだよ。君を恐れた当時の各国の王たちは、君を殺すために暗殺者を送り、魔族たちは君という『異物』に興味を持って国を焼き払い君を探した……僕はね、そんな混沌の中で、泥の中に転がっていた君を拾い上げたんだ」
キャロルはレオンとルシフェリアに視線を移し、おどけたように肩をすくめたが、その口調には隠しきれない重みがあった。
「君を『兵器』としてではなく、『人間』として育てることが、僕が魔王と交わした……そして、この世界に対して仕掛けた、たった一つの悪戯だったのさ」
キャロルの告白が止むと、豪華な洋館は耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。
暖炉で弾ける薪の音さえも、今はレオンを断罪する秒読みの音に聞こえる。
「……そんな、造られた……なんて……」
エレナが力なく呟き、喉元にあるゴールドバルト家のネックレスを強く握りしめた。高潔な貴族として、術式の系譜と血統を重んじてきた彼女にとって、目の前の青年が「残骸から組み上げられた異物」であるという事実は、これまでの価値観を根底から揺さぶるものだった。
「…………関係ないわ」
沈黙を破ったのは、クラリスだった。彼女の瞳には、戸惑いよりも激しい怒りの炎が宿っている。
「あんたが何で作られてようが、レオンはレオンよ! キャロル、あんた……面白がって話していいことじゃないわ!」
怒りに任せて杖の先から白炎が漏れ出すが、キャロルはただ悲しげに目を伏せるだけだった。
「……ご主人様」
ルシフェリアだけは、動けなかった。
彼女の視線はレオンの背中だけに固定されている。彼女自身、ある国の暗殺計画の道具として育てられ、レオンに命を繋いでもらった身だ。レオンが何者であろうと、彼女にとっては「感情をくれた唯一の光」であることに変わりはない。だが、レオンから溢れ出す絶望の感情が彼女の胸を締め付けていた。
「…………黙れ」
レオンの低く、地這うような声。
彼は剥き出しの左手を見つめていた。術式を読み取り、破壊するこの手。それが「世界の書き換え」という傲慢な目的のために設計された部品に過ぎないという事実。
「……俺が何者かなんて、どうでもいい。……だが、俺を『兵器』として定義しようとするその理が……反吐が出るほど気に入らねえ」
レオンはキャロルを突き放すように背を向け、洋館のさらに奥――闇が濃く、術式の脈動が最も激しい地下階段へと足を踏み入れた。
「待って、レオン!」
「カスパールさん!」
三人が追おうとしたその時、キャロルがふわりと手を挙げた。
瞬間、地下階段の入り口に幾重もの幾何学的な魔方陣が展開され、彼女たちの行く手を阻む。
「……ここから先は、彼自身の『術式』との対話だ。……そして、君たちの覚悟を問う場所でもある」
キャロルの声から、先ほどまでの儚さが消え、S級魔術師としての冷徹な響きが戻る。
「レオンの左手は今、過去の記憶に触れて暴走しかけている。……彼が自分を『虚無』として完結させるか、それとも新たな意味を『書き換える』か。……君たちが彼を『人間』だと信じるなら、その壁を越えてみせなさい」
館全体が大きく震動し、壁に刻まれた古い術式が赤黒く発光し始める。
それはキャロルが200年間守り続けてきた、レオン・カスパールという存在を確定させるための、あまりに過酷な「卒業試験」の始まりだった。
「……レオン様ッ!」
ルシフェリアは過去の呪縛を振り払うように叫び、キャロルの展開した障壁を、実体化した双短剣で強引に切り裂こうとした。
「あの時、死ぬはずだった私に『心』をくれたのは、貴方です……! 造られた存在だなんて、そんな言葉で貴方を縛らせはしない!」
地下へと消えていくレオンの足音。
ルシフェリアの瞳には、かつての暗殺者としての冷徹さはなく、ただ一人の少女としての、献身という名の苛烈な愛が燃えていた。
「……エレナ様、クラリス様。……ここは私がこじ開けます。……ご主人様の隣に立つのは、私たちであるべきです!」




