第2話 仮面の劣等生
あの日、雨の中で怪物に拾われてから、数年。
俺の日常は、復讐という名の「過酷な修行」に書き換えられた。
「……ご主人様。レオン様、起きてください。登校の時間です」
鼓膜を揺らす、鈴を転がすような、けれどどこか温度の低い声。
まどろみの中で目を開けると、そこには完璧にアイロンが掛けられたメイド服を纏った少女――ルシフェリアが立っていた。
かつて泥にまみれ、俺を背負って逃げた少女の面影は、その洗練された立ち振る舞いによって、今や「完璧な従者」という仮面に隠されている。
「……ルシフェリア。学校ではその呼び方はよせと言っただろ。目立つ」
「……善処いたします。ですが、私の魂が貴方様を『主』と定義している以上、他の呼び方は術式に拒絶反応を起こすのです」
大真面目な顔で嘘を吐く彼女に、俺は溜息をついた。
場所はアステリア魔術学校。キャロルの強引すぎる推薦により、俺たちはこの学び舎に放り込まれた。
教室へ向かう廊下。
周囲からは、隠す気のない陰口が突き刺さる。
「おい、あれが例の『推薦枠』か?」
「魔力量は並のBランク。属性は『無』。そのくせ、専属メイドを連れ歩いて『ご主人様』なんて呼ばせてるらしいぞ。とんだ放蕩息子だな」
そんな雑音を無視して歩く俺の視界には、彼らとは違うものが見えている。
彼らが誇らしげに身に付けている魔道具や、無意識に展開している防護術式。その「設計図」が、俺の脳内には欠陥だらけの落書きのように透けて見えていた。
不意に、前方から熱い魔力のうねりが押し寄せる。
「ちょっと、そこのあんた! どきなさい!」
燃えるような赤髪をポニーテールに結んだ少女――クラリス・シルバーフレイムが、実技演習用の杖を振り回しながらこちらへ突っ込んできた。
彼女の杖の先端では、制御を失いかけた白炎が膨れ上がっている。
「……危ない、ご主人様!」
ルシフェリアが瞬時に俺の前に出ようとしたが、俺はそれを手で制した。
(……術式構成、右側面に歪み。熱膨張の計算が甘い)
俺は白手袋をはめた左手を、すれ違いざまにその炎へ向けて、ほんの数センチだけ「翳した」。
――無音。
暴発寸前だった白炎が、俺の横を通り過ぎた瞬間、霧が晴れるように消滅した。
クラリスは勢い余ってつんのめり、目を白黒させて立ち止まる。
「え……? あたしの火球、消えた……? なんで!?」
「……さあな。湿気でも溜まってたんじゃないか、火の粉さん」
「なっ、火の粉……!? ちょっと待ちなさい!」
怒鳴る彼女を背に、俺は歩き続ける。
キャロルとの約束だ。この力は、魔族を消し去るその時まで隠し通す。
だが、その一部始終を、校舎のバルコニーから見下ろす冷徹な視線があった。
金髪を姫カットに切り揃えた「聖女」、エレナ・ゴールドバルト。
彼女は、手元の監視対象リスト――その最上段にある「レオン・カスパール」の名前を、ペンで強く囲んだ。
「……不自然ですわね。魔力の相殺ではなく、術式そのものが消えたように見えましたわ……」
アステリア王国の平穏。その水面下で、レオンの持つ《虚無》というバグが、静かに波紋を広げ始めていた。




