第19話 森の洋館
「…北の森、ですわね。ですがあそこは……」
エレナが言葉を濁し、地図が指し示す方角を見つめる。その先には、不自然なほど濃い霧が立ち込め、陽光さえも拒絶する漆黒の樹海が広がっていた。
「……ああ。魔族さえも足を踏み入れない、高密度の魔力が淀んだ『魔術の墓場』だ」
レオンは冷たく言い放ち、左手の震えを抑え込む。
先ほど脳裏に過ったキャロルの姿。今よりもずっと幼く、それでいて世界を達観したようなあの瞳。そして、彼女の対面に座っていた「何か」。その存在の残滓が、巻物を通じてレオンの《虚無》に触れた瞬間、彼の術式破壊能力が「共鳴」ではなく「拒絶」を示したのだ。
「……ご主人様、顔色が。……オーバーヒートですか?」
ルシフェリアが至近距離まで寄り添い、懸念を顔に出しながらレオンの様子を伺う。
彼女は知っている。レオンが術式を読み取りすぎた際、その処理能力を超えて脳が焼き切れるような苦痛に襲われることを。
「……構うな。……行くぞ」
静寂の館
数時間の行軍の末、一行は霧の帳を抜けた。
そこには、荒野の乾燥が嘘のような、静謐で湿った空気が流れていた。崩れかけた石畳、手入れの途絶えた噴水。そしてその奥に、記憶の断片にあった通りの「白亜の洋館」が佇んでいた。
「……本当にあった。……200年以上前の建物のはずなのに、風化してない……」
クラリスが杖を握り直し、周囲の魔力密度に顔を顰める。
「……気持ち悪い。ここ、空気そのものが誰かの『術式』で固定されてるみたい」
「……間違いありませんわ。この建物自体が巨大な魔道具……いえ、それ以上の何かですわね。……カスパールさん、扉の封印は?」
エレナが問いかけるまでもなく、レオンは無言で重厚な玄関の扉に手をかけた。
通常なら数人がかりでも動かないはずの扉は、レオンの左手が触れた瞬間、抵抗を放棄するように吸い込まれて開いた。
「…………入れ。……中に『何か』いる」
館の内部は、まるで住人が今さっきまでそこにいたかのように整えられていた。
埃ひとつ落ちていない大理石の床、暖炉にくべられたままの薪。
そして、サロンの中央にあるテーブルには、二つのティーカップが置かれていた。
「……いらっしゃい。……思ったより早かったね、レオン」
「――――ッ!?」
部屋の奥から響いたのは、聞き慣れた、しかしどこか決定的に温度の違う声だった。
暖炉の前の椅子に腰掛けていたのは、キャロル・エインズワース。
だが、その瞳に宿る光は、学園で彼らを指導していた「教師」のものではなく、悠久の孤独を知る「観測者」のそれだった。
「……あんた、本物か。……それとも、術式が残した残像か」
レオンが低い声で問い、手袋に手をかける。
「……さて、どっちかしら。……ここにあるのは、僕が『魔術』と出会い、そして『ある約束』をした記憶の貯蔵庫だよ」
キャロルは立ち上がり、ゆっくりと一行を見渡した。その視線が、レオンの左手で止まる。
「……その手、随分と疼いているだろう? ……君を作った連中は、それを『完成形』だと言った。……でも僕は知っている。……それは、世界の書き換えを拒むための『終わりの始まり』だってことを」




