第18話 戦闘
アステリア王国の巨大な結界が地平線の彼方に沈み、一行の周囲にはどこまでも続く赤茶けた荒野と、乾いた風の音だけが支配する世界が広がっていた。
「……空気が、ひりつきますわね。学園の結界がいかに温室だったか、身に沁みますわ」
エレナ・ゴールドバルトが日差しを遮り、周囲を警戒する。
王国を一歩出れば、そこは魔族と魔物が跋扈する弱肉強食の地。学園のように「訓練用」に調整された魔力などどこにもない、剥き出しの自然がそこにはあった。
「……当然だ。あそこはキャロルが無理やり『安全』を記述した箱庭だからな。……ここは、強い術式を持ってる奴がルールを決める場所だ」
レオンは先頭を歩きながら、周囲の魔力密度を測っていた。
彼ら人間にとって、魔力はあくまで「魔道具という機械」を動かすための燃料。ガス欠になれば、あるいは機械が壊れれば、その瞬間にただの無力な存在に成り下がる。
「……ご主人様。前方の岩場に、魔族の小隊。……待ち伏せです」
ルシフェリアが音もなく影から現れ、短く報告した。
彼女の指し示す先、岩陰から現れたのは、三体の中級魔族。彼らは詠唱も魔道具も必要としない。その身に宿る高い術式密度をそのまま魔術へと変換し、即座に「火球」を生成して放ってきた。
「――っ、来ますわ!」
エレナが反射的にネックレスに魔力を流し、防壁を展開する。
ドォォォン! と激しい衝撃が走り、周囲の砂塵が舞い上がった。
「……あいつら、呼吸するように魔術を撃ってくるわね。……こっちは魔道具の冷却も考えなきゃいけないっていうのに!」
クラリスが苛立たしげに杖を構える。
人間側の弱点は、連続使用による魔道具のオーバーヒート、そして魔力の煤による劣化。一方で、魔族は「生命力=術式」そのもの。彼らにとって魔術を放つことは、人間が汗をかくのと同義だ。
「……無駄撃ちするなよ。……一度の戦闘で魔道具を焼き切れば、この先、野垂れ死ぬのは俺たちだ」
レオンが左手の手袋を脱ぎ捨てる。
彼は知っている。このサバイバルの本質は、敵を倒すことではない。「いかに自分のリソース(魔道具)を温存しながら、魔族という無限の暴力から生き延びるか」だということを。
「……ルシフェリア、隙を作れ。……エレナとクラリスは、一撃でコアを貫け。……残ったカスは、俺がまとめて消してやる」
剥き出しの荒野での、最初の実戦。
レオンたちは、種族としての絶望的なハンデを抱えたまま、魔族の支配する大地へと深く踏み込んでいった。
三体の中級魔族が放った火球が、エレナの防壁に叩きつけられ、激しい爆炎を上げた。その爆煙を裂いて、銀色の閃光が跳ねる。
「……遅いです」
影の中から溶け出すように現れたルシフェリアが、双短剣を振るった。彼女の固有魔法《透明魔法》が、自身の姿と武器を陽炎のように揺らし、魔族たちの視覚を狂わせる。
特A級相当の身体能力を活かしたアクロバティックな機動。魔族が反撃の術式を練るよりも速く、ルシフェリアは彼らの視界の死角を縫い、関節や魔力伝導路を的確に刻んでいく。致命傷は与えず、しかし確実に術式構成を乱し、隙を生み出す――まさに「隠密の極致」たる翻弄。
「――今です、お二人とも!」
ルシフェリアの合図とともに、エレナとクラリスが同時に魔力を魔道具へ流し込んだ。
「聖魔法――『光の矢』!」
「白炎魔法――『白炎火球』!」
エレナの放つ高密度の光の矢が魔族の動きを縫い止め、直後にクラリスの凝縮された白炎が、魔族たちの胸部にある術式核を正確に貫いた。
「…………仕上げだ。ゴミは残さない」
レオンが前進し、手負いの魔族たちの頭部に左手をかざす。ドクン、と黒い拍動が響いた瞬間、魔族たちの肉体を成す術式そのものが根こそぎ破壊され、塵一つ残さず虚空へと消え去った。
戦闘の余韻が冷めやらぬ岩陰。そこには、魔族に襲われたのであろう行商人の無惨な残骸が転がっていた。
瓦礫を調べていたクラリスが、古びた、しかし不自然なほど保存状態の良い皮の巻物を拾い上げる。
「……何これ。…開かない…!」
クラリスが拾い上げたその巻物は、一見するとただの古びた羊皮紙に過ぎなかった。しかし、彼女が無理矢理開けようとした瞬間、パチリと青白い火花が散り、その細い手を無情に弾き飛ばした。
「痛っ……! なにこれ、拒絶されてる? ……この地図、普通の魔術師には読めない術式で厳重に封印されてるわ」
「……どれ、貸せ」
レオンはぶっきらぼうに手を伸ばし、その巻物を受け取った。
彼が左手でその封印――複雑に絡み合った「拒絶の紋様」に触れた瞬間、ドクン、と黒い拍動が走る。レオンの《虚無》が、時を止めていた術式の「鍵穴」を、力任せに抉じ開けたのだ。
「――――ッ!?」
視界が、一瞬で真っ白に染まった。
レオンの脳裏に、今の荒野とは似ても似つかない、鮮烈な「記憶」が直接流れ込んでくる。
――――――――
そこは、豊かな緑に包まれた深い森だった。木漏れ日が揺れる石畳の道の先に、白亜の壁と蔦に覆われた、気品漂う「洋館」が佇んでいる。
洋館のテラス。そこには、今と全く変わらない姿で、悪戯っぽく微笑むキャロルがいた。そして、その対面に座る、影に霞んで顔の見えない「ある男」。
• 交わされる約束:
『……いいかい、君が絶望し、世界を消し去りたくなったその時……その時は、誰かが君を消してくれるよ』
キャロルの声が、今の彼女よりも少しだけ、儚げに響いた。
「……はぁ、……はぁ、っ!」
レオンが荒い息をつきながら現実に引き戻されると、手にしていた巻物はサラサラと灰になり、宙にひとつの「光の道標」を描き出していた。
「レオン!? 大丈夫なの、今、何が見えたの……?」
心配そうに顔を覗き込むクラリスと、咄嗟に彼の肩を支えたエレナ。ルシフェリアも警戒を解き、レオンに駆け寄る。
「…………あそこだ。キャロルが隠し続けていた、200年前のゴミ溜め。……あそこに秘密が隠されている…!」
レオンは、激しく脈打つ左手をグローブの上から抑えつけ、光の道標が指し示す「北の森」を見据えた。




