第15話 四極星
中央広場は、一瞬にして音を失った。
再起動された数百の魔道具が放つはずの駆動音さえも、その男が指を鳴らした瞬間に「消去」されたのだ。
「……五月蝿いね。せっかくの静寂を、安っぽい輝きで汚さないでくれるかな」
広場の中央、浮遊する椅子から降り立った男は、漆黒の外套を揺らしながら冷笑を浮かべた。
「……名乗っておこうか。僕はゼノン。……君たち人間が、絶望を分かち合うために名付けた『四極星』。……その一角を担う者だよ」
ゼノンは優雅に椅子から降り立ち、まるで舞台俳優のように両手を広げた。
その瞬間、広場の全域が「真空」へと変質する。
「な……っ、四極星!? お伽話の存在ではなかったのですか……!?」
エレナが戦慄し、喉を押さえながら膝をつく。
彼女のような名家の令嬢にとって、その名は「決して出会ってはならない、歴史上の災害」と同義だった。
「……伝説だろうが何だろうが、……目の前にいるのは、ただの『巨大な汚れ』だ」
呼吸すらままならない空間で、レオンだけが濁った瞳でゼノンを見据える。
レオンにとって、相手が四極星だろうが雑兵だろうが関係ない。自分の平穏(と、日常)を侵食する術式があるなら、それを「消す」だけだ。
エレナが光の防壁を展開しようとするが、ゼノンの周囲では「魔力そのものが伝わらない」。防壁は形を成す前に、砂のように崩れ落ちていく。
「……レオン、あいつの周り……魔力が『死んでる』わ。あたしの火球が、出た瞬間に消される……!」
クラリスが焦燥に駆られ、杖を握り直す。ゼノンの「真空」は、魔術が発動するための媒体そのものを奪い去る。
レオンの左手の『刻印』が、かつてないほど激しく明滅し、肌を焼く。
ゼノンの「真空(媒体の消去)」に対し、レオンの《虚無》が「理の消去」として真っ向から衝突し、二人の境界線でパチパチと黒い火花が跳ねた。
「……面白いね。僕の『真空』の中で、唯一呼吸を保てる存在か。……ますます欲しくなったよ、その左手。……カスパール君、君は本来こちら側の人間だ。根元から切り落として、返してもらおうか」
ゼノンの支配する「真空」が、広場の酸素と魔力を食い尽くしていく。
膝をつき、意識が遠のきかける生徒たち。だが、その絶望の底で、レオン・カスパールだけが漆黒の左手をゼノンへと突き出した。
「……おい、エレナ、クラリス。……死にたくなければ、俺の背中に全魔力を流し込め」
レオンの低く、刺すような声が二人の鼓膜を叩く。
「……バカ言わないで! あんたの体、そんなことしたら……!」
「……あいつ相手に、出し惜しみしてる余裕があると思ってんのか」
レオンの背中越しに見える左手――そこから溢れ出す《虚無》の圧力が、ゼノンの真空とぶつかり合い、空間をミシミシと軋ませている。
クラリスとエレナは顔を見合わせ、同時に頷いた。躊躇いは、もうない。
「……分かったわよ! あんたが壊れたら、あたしが一生呪ってあげるから!」
「……わたくしたちの魔力、……すべて貴方に預けますわ。カスパールさん!」
二人がレオンの背中に両手を当てる。
直後、クラリスの爆発的な「白炎」と、エレナの純粋な「聖光」が、レオンという一本の導線を通して、彼の左手へと流れ込んだ。
「…………が、ぁぁぁぁぁッ!!!」
レオンの全身を、未曾有の魔力密度が駆け抜ける。
本来なら瞬時に焼き切れるはずの負荷。だが、彼の《虚無》がその二つの属性を「燃料」として喰らい、漆黒の炎と光を纏った**「無色の奔流」**へと変質させた。
「……なんだ、その術式は。属性を、……概念ごと混ぜ合わせたというのか!?」
ゼノンが初めて顔を引きつらせ、両手を突き出す。
「消えろ、真空に!!」
「……消えるのは、……お前だッ!!!」
レオンが左手を振り抜く。
放たれたのは、熱も光も、そして「真空」さえも消し去る虚無の咆哮。
ゼノンの絶対領域を真っ向から「削り取り」、その漆黒の外套を、そして魔族としての誇りすらも無慈悲に飲み込んでいった。
ズガァァァァァァァンッ!!!
爆音さえも虚無に吸い込まれ、一瞬の静寂のあと。
広場に、再び「空気」が流れ込んできた。
「……あは、あはははは! 傑作だ……! 僕の真空を、……物理的に『食い破る』なんて!」
煙の中から現れたゼノンは、右半身の術式装甲を無残に剥がされ、不気味な笑みを浮かべていた。致命傷ではない。だが、その瞳には明確な「獲物」への執着が宿っている。
「……レオン・カスパール。君をただの掃除屋だと思っていた僕が間違っていた。……君は、僕たちの『王』さえも脅かしかねない、最低で最高のバグだ」
ゼノンの姿が、闇に溶けるように薄れていく。
「……次は、もっと深い絶望を用意してあげるよ。……またね、僕の可愛い『虚無』」
ゼノンが完全に消え去ると同時に、レオンは糸が切れたようにその場に膝をついた。左手からは白煙が上がり、白手袋は跡形もなく焼き切れている。
「……レオン!」
「カスパールさん!!」
「ご主人様!!」
駆け寄る三人の声を遠くに聞きながら、レオンは意識を失う直前、時計塔の上に立つキャロルの姿を見た気がした。彼女は、相変わらず楽しげに、この地獄のような結末を「祝福」するように眺めていた。




