第14話 沈黙
演習の喧騒から一晩が過ぎ、アステリア魔術学校は深い眠りに包まれていた。
深夜。男子寮の一室で、レオン・カスパールは浅い眠りの中にいた。
隣の椅子には、主の寝顔を見守るように、ルシフェリアが音もなく腰掛けている。
――キィィィィィンッ!!
唐突に、レオンの左手の『刻印』が、肌を焼くような熱を帯びた。
「…………っ!」
レオンが跳ね起きるのと、ルシフェリアが短剣の柄に手をかけるのは同時だった。
窓の外を見れば、月明かりに照らされた穏やかな校庭。だが、レオンは言い知れぬ違和感に総毛立つ。
静かすぎる。
夜風が木々を揺らす音も、遠くの校舎で誰かが歩く足音も、そして学園全体を優しく包んでいたキャロルの「結界」の微かな共鳴音さえも、ぷつりと断線を起こしたように消え去っていた。
「……ご主人様。魔力の流れが、完全に停止しています」
ルシフェリアが影のようにレオンの傍らに寄り添う。
その時、廊下から微かな、しかし慌ただしい足音が近づいてきた。
「……カスパールさん! 起きていらっしゃいますの!?」
寝間着の上にガウンを羽織ったエレナと、同じく着の身着のままのクラリスが、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「レオン、大変よ! 杖が、あたしの杖が……反応しないの!」
「……わたくしのネックレスもですわ。魔力を流しているのに、防御術式が起動しませんの。……まるで、世界から魔術という概念が奪われたかのように……」
エレナが自身の胸元を握りしめ、青ざめた顔で告げる。
詠唱では簡単な魔術でも10秒以上かかるこの世界において、即応性を司る魔道具の沈黙は、魔術師にとっての「死」と同義だ。
「……『沈黙』か。外側から術式回路を塗り潰されてやがる」
絶望する二人の前に、レオンが立ち上がり、エレナのネックレスとクラリスの杖を両手でひったくるように掴んだ。
「な、何するのよレオン! 今はそれどころじゃ――」
「貸せ。……術式の回路が、変なノイズで目詰まりしてやがる」
レオンが左手でネックレスの「核」を強く握りしめる。
バチィィィィィッ!!!
黒い火花が散り、ネックレスを覆っていた魔族の「沈黙」が霧散した。レオンがやったのは、純粋に**「敵の術式だけを選別して消去した」**こと。
「……ほら、直ったぞ。……ルシフェリア、行くぞ。外の連中も片付ける」
レオンは興味なさげにネックレスを投げ返したが、それを受け取ったエレナの手が震える。
「……な、何ですの、この感覚。……ただ直っただけではありませんわ。魔力の伝導率が、信じられないほど跳ね上がっています……!」
この世界の魔道具には、長年の使用で「魔力の残滓(煤)」が蓄積し、本来の性能を少しずつ損なわせるという常識がある
レオンが「敵の術式を消した」際の余波が、ついでにその「蓄積された煤」まで根こそぎ消し去ってしまった。
「……あんた、何をしたのよ。あたしの杖、……貰ったばかりの時より、ずっと白炎の巡りがスムーズなんだけど!」
クラリスもまた、自身の杖から溢れるかつてない熱量に戸惑い、そして歓喜する。
「……何をしたって、ただゴミを消しただけだ。……性能が戻ったんなら、さっさと動け」
レオンは自分のしたことの重大さに気づかないまま、廊下へと踏み出す。
彼にとっては「正常化」させただけのつもりが、魔術師たちにとっては「魔法」に他なりませんでした。
一行が廊下へ飛び出すと、そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。
突き当たりでは、3年生の上級生が、魔族の放つ「沈黙の術式」に侵食された特注の杖を握り、無様に地を這っている。
「……ひっ、どうして……! 3年生の僕の杖が、反応しないなんて……!」
魔族が嘲笑いながら爪を振り上げた瞬間、レオンがその爪を左手で無造作に掴み取った。
パキィィィィィンッ!!
「な……ッ!? 我が術式の肉体を、直接破壊しただと!?」
「……うるさいな。3年も学んで、泣き言の詠唱しか覚えてないのか?」
レオンは倒れ伏す上級生から杖を奪い、その場で「掃除」して投げ返す。黒い火花が散り、再起動された杖は、上級生がかつて経験したことのない瑞々しい光を放ち、一撃で魔族を吹き飛ばした。
一行は、数百人の生徒が「沈黙の檻(結界)」に閉じ込められた中央広場へと辿り着く。
広場の中央、浮遊する椅子に腰掛けた特級魔族が、退屈そうに指を鳴らした。
「……おや。想定外の『ノイズ』が混じったようだね。……1年生の分際で、僕の芸術を汚すのは誰だい?」
レオンは答えず、広場を覆う巨大な結界に直接触れた。
バリィィィィィィィンッ!!!
教員ですら傷一つ付けられなかった結界が、レオンの指先が触れた箇所からガラス細工のように崩れ落ちていく。
「な……ッ!? 結界の術式を、構成要素ごと消去しただと!?」
「……おい、動けるやつは武器を掲げろ。……掃除してやる」
レオンは生徒たちの間を歩き、次々と魔道具に触れていく。
再起動された武器たちが、かつてない輝きを持って蘇り、反撃の火蓋が切られた。その光景を、時計塔の縁に座るキャロルが、楽しげに眺めていた。
「……ふふ、合格だね、レオン。……自分の《虚無》を、壊すためではなく『生かす』ために使い始めた」
キャロルは助けない。だが、彼女の瞳には、レオンが「一人の復讐者」として完成へと近づいたことへの、歪な歓喜が宿っていた。




