第13話 急速
演習から一夜明けたアステリア魔術学校の男子寮。
レオン・カスパールは、全身を襲う鉛のような倦怠感と共に目を覚ました。
「……っ、おい、ルシフェリア。離せと言っているだろ」
「……いいえ、ご主人様。昨夜の術式暴走による魔力経路の炎症がまだ残っています。今日はこのまま、私が責任を持って『清拭』と『強制休息』を遂行いたします」
ベッドの上で上半身を起こしたレオンを、ルシフェリアが無表情ながらも鋼のような意志で押し戻そうとしていた。彼女の手には、丁寧に絞られた温かいタオルが握られている。
「……過保護だ。俺はもう、何とも――」
「失礼いたしますわ、カスパールさん。……あら、まだお休みではなくて?」
ノックもそこそこに扉が開かれ、エレナ・ゴールドバルトが静かに入室してきた。彼女の手には、回復効果のある薬草を調合した茶が握られている。
「……エレナ。何の用だ」
「勘違いしないでくださいませ。貴方がここで倒れられては、アステリアの……いいえ、ゴールドバルト家の『管理能力』が疑われますの。これはあくまで、次なる演習に向けた『調整』ですわ」
エレナは努めて冷静に、貴族としての義務を強調する。だが、その鋭い視線はレオンの左手――白手袋の下にあるはずの刻印を、検分するようにじっと見つめていた。
「……勝手にしてくれ。だが、昨日のはただのオーバーヒートだ。もう動ける」
「……ふん、強がり言っちゃって。あんたがまた暴走して死にかけたら、あたしの火球が無駄になるじゃない」
扉の影から、クラリスが腕を組んでそっぽを向きながら付け加える。彼女の顔には、昨日の煤汚れこそないが、どこか落ち着かない様子で杖の柄を弄んでいた
「……勝手にしてくれ。だが、昨日のはただのオーバーヒートだ。もう動ける」
「……ご主人様。やはりこの二人、今のうちに――」
「ルシフェリア、やめろ」
いつもの不毛なやり取り。だが、レオンは気づいていた。
以前なら迷わず叩き出していた彼女たちの存在を、今の自分がどこか「許容」してしまっていることに。
騒がしい日常の裏側。
学園の最上階、キャロルの研究室では、彼女が窓の外――結界の「境界」を冷ややかな瞳で見つめていた。
「……来たね。僕の模倣の炎を嗅ぎつけて、本物の『掃除屋』が」
学園を囲む強固な結界。その一角に、魔術師の目には見えないほど微細な「術式の腐食」が始まっていた。
それは、レオンの故郷を焼いた者たちが使う、特殊な消滅術式の残滓。
「レオン。君が手に入れた『絆』というノイズが、牙を剥く魔族に対してどう作用するか……。見せてもらうよ、僕の可愛い最高傑作」
――――――――
その夜。
学園の回廊を、不気味な「沈黙」が支配した。
カチッ、カチッ。
見回りの魔術師たちが、異変に気づき魔道具の杖を構える。だが、魔力を通そうとした瞬間――「発動しない」。
魔道具に刻まれた術式そのものが、外側から未知のノイズに上書きされ、沈黙していた。
「……人間の魔術師は、道具がなければ何もできない。脆弱だな」
影の中から現れたのは、漆黒の外套を纏った魔族。
その手には、周囲の魔力伝導を強制停止させる「禁忌の魔道具」が握られていた。
「レオン・カスパールを差し出せ。さもなくば、この学園を丸ごと『虚無』に沈める」
鳴り響くはずの警報さえも、術式レベルで消去されている。
静まり返った寮の廊下。レオンは、左手の『刻印』が、かつてない激しさで疼き始めるのを感じていた。




