第7話「夢の中の約束」
眠りに落ちたイツキは夢を見る。
それは過去の記憶――廃墟の屋上で、リリと交わした約束。
孤独に囚われるリリに、イツキは誓う――。
――それは遠く儚い夢
開かなくなった自動ドアをこじ開ける。
ギィ――
そこは――廃屋の屋上。
白昼の光が場を照らしていた。
崩れた高層の輪郭が遠景に薄く並び、屋上のコンクリートにはひび割れから細い草が伸びている。
折れた手すりは影だけを残し、欠けた腰壁は低いベンチのように形を失っていた。
風が、壊れた板をかすかに鳴らし、空の青さだけが秩序を保っていた。
その欠けた壁に、リリが腰を下ろしていた。
黒を基調に銀の小装甲を散らしたドレスアーマーは、縦に走る青のラインを弱く灯し、膝下で緩やかにひらめく。
漆黒の長い髪には細い三つ編みがいくつも編み込まれ、所々に青のラインが揺れていた。
耳元に装着された機器が微かに明滅し、視線ははるか先の廃街――その目に光はなく無機的に遠くを見つめていた。
視線の奥にあるのは、おそらく悪夢にとらわれた――今も消えない記憶の残滓なのだろう。
「‥‥また、あそこに戻ってるな」
低く優しい声を背後から届ける。
振り向くまでもない。リリには聞き慣れた声だった。
「何の話よ」
リリが無感情に言った。
「リリが、一人でこんな風に佇むときはいつもそうだ。過去の記憶を、ひとりで抱えて、押しつぶされそうになってる」
リリはしばらく沈黙したまま、ゆっくり目を閉じた。
そのまま答えないつもりかと思われたが、やがて目を薄く開き、かすれた声で言った。
「‥‥過去の記憶は、決して消せない。どれだけ先に進んだと思っても、ふとした瞬間に元に戻ってくる」
「そうだな。でも、前と違うのは――」
オレはリリの隣に腰を下ろし、少しだけリリに顔を向ける。
「今はもう、リリはひとりじゃない。オレたちがいる。オルターも、アメンドも。どんなに強くても、心まで全部ひとりで背負うことはない」
リリはゆっくりと、オレに視線を向けた。
その瞳の奥には、どこか戸惑いと、ほんのわずかな揺らぎがあった。
そこに戦場で見せる鋼のような強さはなかった。
「‥‥これは私の過去。私の過去に、みんなを巻き込むわけにはいかない」
リリの声は、いつになく小さかった。
「何を言ってるんだ」
オレは首を振った。
「とっくに巻き込まれてる。いや、そうじゃない。自分の意思で、オレたちは巻き込まれたんだ」
リリが顔を上げる。
「オレたちはみな同じように孤独と痛みを抱えている。それは決して一人で立ち向かえるものではない。だから、"仲間"が必要になる」
オレは遠くの廃ビルを見つめた。
「そして‥‥‥仲間である以上、仲間のために『正しいことを、ただそれが正しいから行う』それだけだ」
風が、二人の間を静かに通り過ぎる。
オレは戦いの結果がどうであれ、心からリリのことを助けたいと思っていた。
その決意は固く、決して揺らぐものではなかった。
それは、長く隣にいた人間だからこそ向けられる、まっすぐな想い。
「――怖いの。信じるということが。いつだって運命に裏切られてきた」
リリも遠くの廃ビルに目を移して言った。
「いつか期待は破られ、温もりは失われる。それが――私が学んだことのすべて」
「オレのことも信じられないのか?」
オレは静かに、だが真っ直ぐに問いかける。
「どうかしら?」
リリは首を傾げる。
「なら教えてくれ」
オレは立ち上がり、リリの前に立った。
「もし、リリがディモス――AI最強兵器――と対峙し、後ろからも強敵が迫っているときに――オレに背中を預けることはできるか?」
風がやさしく頬をなでる。
リリは一点を見て、全く動かなかった。
耳元で明滅する光だけが強調され、沈黙がその場を支配する。
「当然――できるわ」
リリの言葉は、確信に満ちていた。
「あなたは"絶対"裏切らない。そして、命を賭して背中を守る」
「それが――信じるということだ」
オレは優しく微笑んだ。
リリは少しだけ視線を落とす。
そして、わずかに笑った。
ほんの一瞬、風の中にほどけた笑み。
誰も知らない、オレだけが知る彼女の素顔。
「‥‥ありがと。イツキ」
それは彼女が決して発することのない、素直な"感情"が含まれた言葉だった。
「何度だって言ってやるよ。オレたちは、リリの仲間だって。過去に負けそうなときは、オレたちを思い出すんだ」
オレは軽く手を差し出した。
リリはその手を少し見つめた。
やがて顔を上げ、オレの目をまっすぐ見た。
そして――迷いなく、強く手を掴んだ。
「"信じる"わ」
その瞳に、強い意志が宿っていた。
立ち上がったリリの横顔を見て、オレは心の中で強く誓う。
――そう、オレが側にいる限り、リリの歩みはもう一人きりにさせない。
それはオレにとって、不確かな世界で、ただ一つの確かなものだった。




