第1話「異世界の目覚め」
目を覚ましたイツキは、見知らぬ森の中にいた。
そこで出会ったのは、リリに瓜二つの少女・リョカ。
しかし彼女はリリではなく、この世界の「神語者」だという。
AIも東京も知らない彼女の言葉に、イツキは自分が全く未知の場所にいることを悟る。
頬に、何かが触れた感触。
それはやわらかな――何か。
(何だ、もう少し寝ていたいんだ。‥‥いったい誰だよ。ん、誰? そういえば‥‥)
オレは跳ね起き、視線を落とした。
黒い装甲は寝る前と同じ。
胸部プレートが太陽の光を反射していた。
そして、手には丸くて黒く平らな形をしたものが握られていた。
リリが身につけていたガーディ――携帯型量子AI装置――だった。
――ここはどこだ?なぜオレはこんなところに寝ているんだ?
確か、ディモスと戦っていたはずだ。
しかし、体から痛みはなく、受けた傷はどこにも存在しなかった。
記憶は錯綜し混乱していた。
ふいに声が聞こえる。
「‥‥ぁ‥‥る‥‥か‥‥、‥‥ん‥‥(意味が掴めない)」
それは、全く理解ができない言葉だった。
そのとき初めて周囲を見渡す。
横たわっていた場所は、光がやわらかく降り、地面の草は猫の背のようにそろって風下へ倒れていた。
周囲を囲むのはブナの木。
まっすぐな幹に、葉の影が斑に揺れ、幹元では苔がびっしりと繁茂していた。
倒木が一本、低い腰かけのように横たわり、根の土は乾いて甘い匂いを立てている。
鳥が遠くと近くで順番に鳴き、風が止むと、葉先の揺れる音だけが聞こえた。
すぐそばで、一人の少女が困ったようなまなざしで見下ろしていた。
少女は黒の長い髪に青のメッシュが細く走っていた。
三つ編みがいくつも散らばり、金属のスリーブで留められている。
服装は白地に淡い水色の紋様が流れる装束をまとい、広い袖が羽のように揺れた。
青い短い着物を重ね、紺の帯に赤い縄紐。頭巾に似た白い被り物に青の飾り――どこか古代の神官を思わせる、神秘的な姿だった。
そして、その右手には――杖に似たものがあった。
棒は一本の木から削り出したようにまっすぐで、艶のない黒褐色をしていた。
握りのあたりは何度も手に馴染ませたのか角が丸く、指の置き場所だけが不自然に滑らかだった。
先端には金属の輪が幾重にも重なった「相輪」が据えられ、大小さまざまな勾玉に似た輪環がいくつも吊られている。
オレは少女を見た瞬間に驚きの声を上げた。
「リリ!無事だったのか?」
しかし、少女はそれに反応せず、不思議そうなまなざしでこちらを見ていた。
それは、初めてみるものをどう扱ってよいか分からないように。
少女は、何かに気づいたのか、右手に持っていた杖をこちらにゆっくりかざす。
そして、そっと何かを呟く。
その瞬間、杖の先が暖かな明るみを帯びる。
そして、少女はにっこり笑って口を開いた。
「よかった、起きたのね。
体調は大丈夫?こんなところに倒れてたら、ばっくり食べられて栄養源になるよ」
「そんなことより、リリ、あの後‥‥‥あの後はどうなったんだ?」
「リリ?誰それ?私の名前はリョカよ。
ここはヌーベルって村の近くで、たまたまここを通りかかったの。
そうしたら、お兄さんがバッタリ倒れているんだもの、ビックリしちゃった」
その答えに、オレは混乱する。
――意味が分からない。
もう一度彼女を眺める。
コスプレのような、見たことのない服装と謎の杖。
しかし、それらは明らかに使い古されたものだった。
そして、いつもの無機的な表情はなく、感情が躍っていた。
確かにリリとは雰囲気が全く異なっていた。
彼女はリリであり、リリでなかった。
オレは少女をじっと見つめる。少女は目をパチクリさせる。
「リリ、なにを言ってるんだ。そんな冗談を言ってる場合では――」
オレは呻くように言った。
「だーかーらー、誰かと勘違いしてるってば。
私、あなたに会うのは初めてだし。あ、分かった!新手のナンパ?でも気の長い方法だね」
リョカと名乗る少女は腰に手をあて、顔を少し上に向け何を言ってるの?といった風な表情を作る。
じゃあ、本当に他人の空似なのか?少なくとも、少女が嘘を言っているようには見えなかった。
そんな困惑した雰囲気を感じ取ったのか、リョカが口を開く。
「おにいさん、この辺の人じゃないよね。見たことない変わった服装だし、それに変な武器も持ってるしね。どこの国から来た人なの?」
まだ半信半疑で、少しためらいながら答える。
「東京から来た」
「東京?なにそれ、聞いたことないな。どこかの小さな国とかなの?」
リョカは興味津々の様子で聞く。
(東京を知らない?どれだけ辺境なんだ、ここは。いや、さすがに田舎でも知ってるだろ。そもそもここはどこなんだ?)
疑問がオレの頭にあふれる。
「いや、国というか都市なんだが。AIによる群知能に支配されている場所だ」
オレはリョカから目を逸らし答えた。
「AI?何それ?」
キョトンとした表情を見せる。
「AIを知らないのか?」
(まさか日本以外の場所にいるのか?しかも統制の外?だが日本語が通じているし。)
オレは頭を抱える。
「ちなみに、ここは何という国名だ?」
オレは、祈るような気持ちで聞いた。
「ここは、セレストラ王国領内よ」
「セレストラ?」
全く聞いたことのない国名だった。
「ちなみに大陸名は?」
「アウロラ大陸」
リョカは軽く返す。
オレは、言葉を失った。
(アウロラ‥‥‥。そんな大陸聞いたことがない。オレが知らない小さな大陸?それって島では?)
風が木々をゆらし、木の葉がカサカサと音を立てる。
オレは茫然としていた。
そんな状況を見かね、リョカは少し思案してから言った。
「ところで、お兄さんの名前は?見たところ、遠くから来て、このあたりのこともわからないみたいね。ひどい顔してるし、困っているようなら、体調が戻るまで私の村に来て休んだら?空き家があるから休んでもらってもいいわよ」
そして、リョカはオレの顔から目を少しそらし、ためらいがちに言った。
「それに――初対面でゴメンなさいね。あなた、とても‥‥そう、とても大変な出来事があったんじゃない?」
オレは驚いてリョカを見た。リョカは前を向いたまま話し始める。
「私、人の心の中のいろんな断片が見えたりすることがあるの」
「心の断片?」
「例えば感情や意志のような‥‥深い部分の断片よ。でもあなたの場合は‥‥とても不思議。まるで複数の意思や考えが混ざり合っているような」
それを聞いて、オレは自分の"殻"というものが、意味を失ったことを知った。
「でもね、この能力があるお陰で、村では神語者として神語りをしてるの」
リョカはどこか皮肉気な表情を浮かべた。その表情はオレの心に引っかかりを作る。
「神語者?なんだそれは」
「神の言葉を紡ぐ人のことだよ。まあ、ほとんどは過去から伝承されている決まった言葉を話すだけなんだけどね」
リョカは笑顔をみせる。
そんな話を聴きながらオレは、リリのことを思い出す。
そうだな、まずは自分の置かれた状況を正確に把握する必要がある。
そして、――もしこの子がリリではないのなら、リリがどうなったのかを確かめなければならないと思った。
リリに似た少女。AIが皆無の謎の場所。
(これは偶然なのか?それとも――リリが、何か仕組んだのか?)
「すべては私の"言葉"から始まるの」
リリの最後の言葉が、頭をよぎる。
(リリ――お前は、何をしたんだ?)
答えは、どこにもない。ただ――目の前の少女が、微笑んでいるだけ。
「ところで、会ったばかりで見ず知らずの"ヤツ"を村に連れていっていいのか?」
「大丈夫。さっき言ったでしょ。私にはわかるの。そして感じるの。あなたは村に『来るべき』だと」
リョカはオレに手を差し出しながら言った。
「あ、それとリョカでいいよ」
オレは、差し出された手を見つめた。
今はただ、目の前の少女に従うしかなさそうだ。
慎重にその手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
オレの足元で苔むした大地が微かに震えた。
それは新たな冒険の始まりを告げるかのように。
「オレもイツキでいい。ありがとう、そうさせてもらうよ」




