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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第3章 葵の身体
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27話 ニューラル・リンク

作業の舞台は、埃の舞う工作室から二階のラボ内にあるクリーンルームへと移っていた。

葵の身体へのニューロプロセッサの実装、各種センサーからの神経接続は、微細な塵一つが致命的なエラーを招く。外部サーバーという“生命維持装置”を切り離し、葵が自身のプロセッサのみで自律駆動を開始するこの繊細な工程には、極限まで管理された無菌の環境が不可欠だった。


中央のプラットフォームに横たわる彼女の身体は、テスト用の試作機から、ついに“本番仕様”へとその姿を変えていた。

骨格は、強靱なカーボンファイバーとドールから流用したスチールフレームを組み合わせたハイブリッド構造。身長は145cmと小柄だが、その内部には総重量60kg弱に及ぶ機体を確実に支え、人間と変わらぬ敏捷性を発揮するための、無骨なまでの“強度”が封じ込められている。


その上を覆うのは、内部機構を保護するための黒いカーボン皮膜と、要所に配され白銀に輝くチタン外装。人間の皮膚を模したシリコンの皮膚で覆われるのは、すべてのパーツが実装された後になる。


この本番機の実装に先立ち、研究所内の通路や階段、庭の遊具を使った過酷な実証テストは、試作機を使って行われた。


「大方の動作パターンのテスト、最適化も完了したぜ」


工藤が、油の滲んだモニターを指して言う。


「おめぇが用意した中庭の遊具での動作パターンは学習済みだ。

 滑り台を滑る時の重心移動から、ブランコでの膝の送りまでな。

 ハード側の“遊び”がうまく機能してやがる」


「僕がそのデータを最適化し、本番環境用に再構築しました。

 極めて、人間の少女に近い動きを模倣しています」


宮下が淡々と継ぐ。


工藤が動作の基本骨格を作り、宮下がそれを磨き上げ、最後に詩織が感情ラベルを定義して“心”の反応として実装する。

その連携が、葵に生命を吹き込んでいた。


「ありがとうございます、皆さん」


柊真は、プラットフォーム上の機体を見つめ、静かに頭を下げた。



クリーンルーム内での作業は、細部への執念によってその密度を増していた。

宮下はマイクロスコープ越しに、脊柱沿いに配置された熱伝導プレートの固定を確認する。


「ニューロプロセッサとアクチュエータの熱は、このPCM(相変化材料)ユニットが一時的に吸収し、うなじのスリットから逃がす設計です。

 ……まあ、演算負荷が想定を超えれば、すぐにオーバーヒートするでしょうが」


続いて、複雑に絡み合う内部配線の処理に移る。


「宮下、可動部の配線は全部テフロン被覆の特注銅線に変えておいた。

 100万回の屈曲テストをクリアした代物だ。光ファイバーじゃ、このしなやかな指の動きにはついてこれねぇからな」


工藤が、太い指で細い線を器用に捌きながら言う。


「……当然の処置ですね」


宮下はモニターのログから目を離さずに応じた。


「末端の伝送にそれだけの高品質な銅線を使ってくれるなら、僕の側でノイズ除去のしきい値を追い込む手間が省けます。

 ……計算外の“不純物”を弾くのは、僕ら二人の仕事ですからね」


宮下の毒舌は、工藤の抜け目のない技術に対する信頼の裏返しでもあった。


「へっ、相変わらず可愛げのねぇ野郎だ」


工藤もそれを分かっているのか鼻で笑い、再びレンチを握り直した。



機体のうなじの接続端子からは、信号用と充電用の太いケーブルがラボのメインフレームへと伸び、膨大なログをリアルタイムで刻み続けている。

そのモニターの端には、赤い文字で『Limiter: 30% Active』という表示が点灯していた。


「安全リミッター、正常に稼働しています」


宮下が、コンソールを叩きながら柊真へ告げる。


「彼女のアクチュエータは、本気を出せば人の骨など容易に砕く。

 現状では、出力を三割に制限しています。

 ……不用意にリミッターを外せば、制御不能な“凶器”になりかねませんから」


柊真は、その言葉を重く受け止めるように頷いた。



すべてのハードウェアの実装が完了すると、いよいよ外装の仕上げ、“皮膚”の実装が始まった。

ドール葵の3Dデータから精密に型取られたシリコン皮膚は、一括成形ではない。メンテナンスを考慮し、分解可能なカーボン外装に合わせてパーツごとに成形されている。そのため、接合部には薄っすらと成形痕(パーティングライン)が浮かぶ。


詩織は、工藤から渡された特殊なパウダーを、葵の肌へ刷毛を使って丁寧に塗布していく。


「女の子にとって、肌は大切ですからね」


すると、その境界線は魔法のように消え、滑らかな肌へと変わっていった。


最後の仕上げに、柊真が準備していた白いワンピースを、詩織の手を借りて着せていく。

柊真がワンピースを広げる横で、詩織は小さく咳払いをして、手元に隠していたものを差し出した。


「……下着は、私が用意しておきました。

 機能性だけでは、あまりに無機質かと思いまして……」


それは、縁に控えめなレースと、淡いピンクのリボンがあしらわれた、清潔感のある柔らかな下着だった。選んだ自分に気恥ずかしさを感じたのか、詩織は頬をわずかに染め、柊真の視線を避けるようにして手際よく葵の身体を整えていく。

その指先は、硬い金属フレームを扱うエンジニアのものではなく、大切な娘の身支度を手伝う母親のそれのように、どこまでも優しかった。


白いワンピースを纏い、クリーンルームの椅子に静かに座る葵。うなじから伸びるケーブルは、彼女がまだ“こちら側”に繋ぎ止められている証でもあった。




──翌朝。

ラボへ続く螺旋階段を上っていた詩織は、踊り場で足を止めた。

天窓から差し込む青白い朝陽を、柊真が静かに仰いでいた。


(……もう、一年になるのね)


詩織は、彼の心細げにも見える広い背中を見つめる。

この場所で四人が顔を揃えてから、ちょうど一年。

季節は巡り、窓の外には春の気配が満ちている。試行錯誤と衝突、そして数え切れないほどの修正を積み重ねた日々は、すべて今日、この瞬間のためにあった。


「……柊真さん。おはようございます」


「おはようございます、詩織さん。

 ……いよいよ、ですね」


柊真の短い答えには、高揚と、それを押さえつけるような覚悟が混ざっていた。


二人がラボの扉を開けると、そこにはまだ昨夜の熱気と、独特の静けさが同居していた。

メインコンソールの脇。モニターの明かりを遮るように、寝袋に丸まって床に転がっている塊がある。


「宮下くん、朝ですよ。起きてください」


詩織が肩を揺らすと、寝袋の中から「うぅ……」と低い呻き声が漏れた。

宮下は這い出すようにして起き上がると、無造作な髪のまま眼鏡をかけ、瞬時にモニターのログを走査し始める。


「……おはようございます。

 システム、全系異常なし。いつでもいけます」


そこへ、重い足音と共に工藤が顔を出した。


「……おう、早ぇな。どいつもこいつも、よくそんなにパッと目が覚めるもんだぜ」



四人が揃い、ラボの空気の密度が変わる。

ラボとガラスの壁で仕切られたクリーンルーム、中央に座る葵。

柊真は、葵の心が転送される場所──ニューロプロセッサが実装されている胸の中央に、そっと手を当てた。


(準備は整った。……葵、行こう)


柊真はコンソールの前に座り、デプロイメント・プログラムを呼び出した。


「Aoi-Core、ローカルデプロイを開始。

 ……転送(デプロイ)、開始」


クリーンルームに、静かな電子音だけが響く。

サーバーとの接続を示すインジケーターが消灯し、代わって彼女の胸の中央──ニューロプロセッサが設置された深部で、自律駆動を示す青い光が静かに灯った。その光は、半透明のシリコン皮膚を内側から淡く透かし、まるで初めて脈打つ心臓の鼓動のようだった。


宮下は、眼鏡の奥の瞳を一度も瞬かせることなく、滝のように流れるログを追い続けていた。


「……中継プロセッサ、同期完了。

 ニューロプロセッサへのデータ転送、整合性チェック……すべてパス。

 不具合はありません。Aoi-Coreのシステム・イメージは、プロセッサ内のニューラル・ネットワークへ完全に展開されました。

 ──現在、スタンドアロン状態です」


報告を聞き、詩織は、祈るように組んでいた手を、ゆっくりと解いた。白衣越しに伝わる、自分自身の速まった鼓動に戸惑いを隠せない。


(……どうして、こんなに手が震えているんだろう)


詩織にとって、葵はあくまでAIであり、最新の工学技術が詰まった機械だ。けれど、目の前で静かに佇むその機体は、もはや単なるシリコンと電子部品の集積体──冷たい造形物には見えなかった。


「……よかった。無事に、定着してくれたんですね」


詩織の言葉に、柊真は彼女の肩にそっと手をおいた。


「工藤さん、駆動系の最終チェックを」


「おう。大腿部と腰の電動ロッド、圧力正常だ。

 各関節のアクチュエータ……内部応力の解放を確認。

 ……よし、駆動系に噛み合わせの不具合はねぇ」


工藤の報告と同時に、宮下の手元で新たな波形が踊り始めた。

宮下は、端末に表示されるログを見定め、短く頷く。


「身体からのフィードバック……中継処理を経て、Aoi-Coreへ流入。

 追加学習フェーズへ移行します。

 詩織さん、反応は?」


「……安定しています。

 手足や指先の温度、圧力センサーからの情報が、神経網を通じて“経験”として蓄積されています。

 葵が……自分を認識し始めています」


人工皮膚の下で、カーボンとスチールの骨格が微かに軋んだ。

それはプログラムされた命令ではない。身体から伝わる“重力”や“空気の圧力”に、彼女の心が初めて驚き、反応した証だった。


「よし。これで(ソフト)身体(ハード)の統合は完了だ」


柊真は、彼女の指先に静かに触れた。

Aoi-Coreは、その未知の熱源を感知した瞬間、演算速度を一気に跳ね上げた。

処理されるのは“情報”ではない。

触れられた場所から広がる“戸惑い”という名の電気信号だ。


「さあ、葵。

 ……目覚める準備を始めよう」


モニターには、次なる禁忌のステップが映し出されていた。

『Phase-14 Protocol:Initializing...』


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