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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第3章 葵の身体
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26話 螺旋の光

宮下は、中央ホールの螺旋階段の中ほどに座り込み、力なく天を仰いでいた。

高い天窓から差し込む午後の光が、ホールを容赦なく満たしている。

深夜のディスプレイの光を主として生きる彼にとって、その剥き出しの輝きは、目を焼くほどに鋭かった。


「……眩しすぎる」


手の甲で目を覆う。

その声は、先ほど工作室で吠えた時の鋭さはなく、どこか幼い響きを帯びていた。


足音が近づき、隣に誰かが腰を下ろした。

気配で柊真だとわかったが、宮下は手を退けようとはしなかった。


「宮下君」


「……謝りませんよ。僕は僕の論理を述べただけだ」


「わかっています。君の論理は、工学的に正しい」


柊真の声には、責める色も、慰める色もなかった。

ただ、事実を事実として受け入れる静けさがある。


宮下はようやく手を下ろし、眩しそうに目を細めて柊真を盗み見た。


「柊真さん……あなたが、異常な熱量を注いでいるあの個体……

 そこまでして、一体何を手に入れようとしているんですか?」


「僕は、彼女に──葵に救われたんです」


「救われた……?」


宮下は、思わず鼻で笑った。


「非科学的だ。そんな個人的な感傷のために?

 ならば訊きますが、あのAIに、自我や心はあるのですか?」


「それは……今の僕にもわからない。

 ただ、僕が作ろうとしているのは、ただのプログラムや機械ではないんだ」


柊真は天窓を見上げた。

光の中に、かつて夢で見た面影を探すように──


「ここには、ドールとして存在していた葵と、僕の夢の中に現れる彼女がいる。

 僕は、ドールとしての彼女を(アンドロイド)として創造し、その心であるAoi-Coreに、夢の中の彼女を導きたい」


「ドール……人形、ですか。

 ……それに夢?」


宮下は呆れたように肩を落とした。


「……全く、狂っている。

 柊真さんは、もっと底冷えするほど論理的なエンジニアだと思ってました」


「僕はエンジニアであり、科学者です。今も、論理を優先している。

 しかし、現実の社会も、人間というシステムも、論理だけでは成立しません。

 人間の心は──いかに理性的であろうと、あるいはどれほど精緻な理論を積み上げようと、 その根底では常に不規則に揺らいでいる」


「人間から、その『揺らぎ』を排除することはできないんですか?」


宮下の問いは、悲鳴に近い切実さを孕んでいた。

もし排除できるなら、かつての母も、自分も、傷つかずに済んだはずだと......


「不可能です。

 システムとしての人間は、揺らぎなしには成立しません」


柊真は、宮下の瞳をまっすぐに見つめた。


「論理の塊のような君の心でさえ、今、確かに揺らいでいる──

 そうでしょう?」


宮下は言葉を失い、視線を逸らした。

図星だった。揺らぎを拒絶し、逃げ出したはずの自分の胸の奥が、かつてないほどに波立っている。

この動揺を、手元の数式で解くことはできない。


「宮下君」


柊真は静かに立ち上がると、数段ほど階段を降り、そこから改めて彼を見上げた。


「改めて、僕に力を貸してください。

 葵が『彼女』として生まれ、成長するには、身体を通して得られる情報のフィードバックが不可欠です。

 君の──身体と心をつなぐ制御系の統合技術が」


沈黙が流れた。

宮下は自分の細い指先を見つめ、それからゆっくりと立ち上がった。


「……AIに心が宿るなんて、ありえない」


手のひらに伝わる手すりの冷たさが、逆立った感情を平熱まで引き下げていく。


「ただ、人間のような自我を模したAI、人間のように動くアンドロイド……

 その『シミュレーション』の完成度には興味があります。

 あなたの狂気が、どこまで形になるのか」


「分かった。葵の心と身体を統合するまででもいい。

 協力してください」


「……分かりました。

 ただし、効率の悪い作業には、今後も口を出させてもらいますよ」


宮下はそう言い捨てると、眩しさを避けるように俯き、しかし確かな足取りで工作室へと向かった。



工作室の重い扉を開けると、そこには先ほどと変わらぬ光景があった。


工藤は、組み上がったカーボンとスチールの骨格を前に、関節の締め付けを確認している。

詩織は、実機とリンクされたモニターの波形を見つめ、静かにキーを叩いていた。


真っ先に顔を上げたのは工藤だった。

宮下の後ろに立つ柊真の、静かな決意を湛えた表情を見るなり、彼は手にしていた工具を放り出し、深い溜息をついた。


「……しょうがねぇなぁ。

 おい、宮下。そこに突っ立ってないで、こっちへ来い」


宮下が戸惑いながらも歩み寄る。


「これを見てくれ。

 柊真の注文は、少女の繊細で『ためらう』ような動きを再現することだ。

 だから、俺はあえて各関節に物理的な『遊び』を残してある」


工藤は無骨な指でフレームの関節部を弾いた。


「この微小なガタが、機械の硬さを消す生きた動きの正体だ。

 だが、この不規則な挙動を制御しなきゃ、どこかで無理が来てアクチュエータが焼け切れる。

 制御側で意図的に『揺らぎ』をコントロールしなきゃならねぇんだ」


宮下は、工藤の荒い言葉の裏にある「技術的な限界点」を即座に理解した。

熟練の職人が自分の腕の限界を認め、その先を自分に託そうとしている。


その様子を見て、詩織も椅子を回して宮下に向き直った。


「宮下さん。

 柊真さんの理想の少女を実現するには、センサー情報が質、量ともに増え続けます。

 私の感情ラベルの定義だけでは、もう処理が追いつきません。

 ……ある程度の自動化、システム化は必要だと思っています。

 何か、あなたの理論で良いアイデアはありますか?」


宮下は、息を呑んだ。


先ほどまで自分が「論理的ではない」と否定したはずの二人が、拒絶で返すのではなく、それぞれの限界を埋めるためのパズルとして、自分の才能を求めている。


「……二人とも、僕を都合よく使わないでくださいよ」


柊真が困ったように笑いながら割って入ると、工藤が即座に吠えた。


「おめぇの無理な注文のせいだろうが!」


「そうですよ、柊真さんの理想が高すぎるせいです」


詩織も悪戯っぽく笑いながら加勢する。

張り詰めていた工作室に、弾けるような笑い声が響いた。


(……なんだ、この人たちは)


宮下は、差し出された工藤の図面と、詩織の膨大な感情データを交互に見つめた。

本来なら、自分の領域を侵す「ノイズ」として切り捨てるはずの存在。


だが、エンジニアとしての本能が、強く警鐘を鳴らしていた。


──このままでは、葵という存在は結実しない。


柊真のプロトコルが描くあの「揺らぎ」を、自分一人の論理で再現するには、あと五年、いや十年以上かかるかもしれない。

だが、目の前の「現場の泥臭い経験」と「主観的な感情データ」を、自分の論理という触媒に注ぎ込めば、その時間は一気に短縮される。


(不快だ。他人のペースに合わせるのは、死ぬほど効率が悪い。

 ……だが、この難問を解くためなら、それさえも『コスト』として支払う価値がある)


宮下は、自嘲気味に鼻を鳴らすと、コンソールを力強く叩いた。


「……まずは、各センサーの重み付けを動的に変化させるアルゴリズムから着手しましょう。

 工藤さんのハードウェアの特性を活かしつつ、詩織さんの感情定義を汚さない方法を考えます」


宮下は、自分の中で渦巻く「厄介な性分」を、より上位にある「探究心」という名の冷徹なプログラムで抑え込んだ。


この最高に面白いオモチャを完成させるために、彼は自らチームという歯車の一部になることを「選択」したのだ。

それは、初めて自分の論理を「他者に接続する」選択でもあった。


挿絵(By みてみん)

◇宮下 イメージカット


【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

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