26話 螺旋の光
宮下は、中央ホールの螺旋階段の中ほどに座り込み、力なく天を仰いでいた。
高い天窓から差し込む午後の光が、ホールを容赦なく満たしている。
深夜のディスプレイの光を主として生きる彼にとって、その剥き出しの輝きは、目を焼くほどに鋭かった。
「……眩しすぎる」
手の甲で目を覆う。
その声は、先ほど工作室で吠えた時の鋭さはなく、どこか幼い響きを帯びていた。
足音が近づき、隣に誰かが腰を下ろした。
気配で柊真だとわかったが、宮下は手を退けようとはしなかった。
「宮下君」
「……謝りませんよ。僕は僕の論理を述べただけだ」
「わかっています。君の論理は、工学的に正しい」
柊真の声には、責める色も、慰める色もなかった。
ただ、事実を事実として受け入れる静けさがある。
宮下はようやく手を下ろし、眩しそうに目を細めて柊真を盗み見た。
「柊真さん……あなたが、異常な熱量を注いでいるあの個体……
そこまでして、一体何を手に入れようとしているんですか?」
「僕は、彼女に──葵に救われたんです」
「救われた……?」
宮下は、思わず鼻で笑った。
「非科学的だ。そんな個人的な感傷のために?
ならば訊きますが、あのAIに、自我や心はあるのですか?」
「それは……今の僕にもわからない。
ただ、僕が作ろうとしているのは、ただのプログラムや機械ではないんだ」
柊真は天窓を見上げた。
光の中に、かつて夢で見た面影を探すように──
「ここには、ドールとして存在していた葵と、僕の夢の中に現れる彼女がいる。
僕は、ドールとしての彼女を器として創造し、その心であるAoi-Coreに、夢の中の彼女を導きたい」
「ドール……人形、ですか。
……それに夢?」
宮下は呆れたように肩を落とした。
「……全く、狂っている。
柊真さんは、もっと底冷えするほど論理的なエンジニアだと思ってました」
「僕はエンジニアであり、科学者です。今も、論理を優先している。
しかし、現実の社会も、人間というシステムも、論理だけでは成立しません。
人間の心は──いかに理性的であろうと、あるいはどれほど精緻な理論を積み上げようと、 その根底では常に不規則に揺らいでいる」
「人間から、その『揺らぎ』を排除することはできないんですか?」
宮下の問いは、悲鳴に近い切実さを孕んでいた。
もし排除できるなら、かつての母も、自分も、傷つかずに済んだはずだと......
「不可能です。
システムとしての人間は、揺らぎなしには成立しません」
柊真は、宮下の瞳をまっすぐに見つめた。
「論理の塊のような君の心でさえ、今、確かに揺らいでいる──
そうでしょう?」
宮下は言葉を失い、視線を逸らした。
図星だった。揺らぎを拒絶し、逃げ出したはずの自分の胸の奥が、かつてないほどに波立っている。
この動揺を、手元の数式で解くことはできない。
「宮下君」
柊真は静かに立ち上がると、数段ほど階段を降り、そこから改めて彼を見上げた。
「改めて、僕に力を貸してください。
葵が『彼女』として生まれ、成長するには、身体を通して得られる情報のフィードバックが不可欠です。
君の──身体と心をつなぐ制御系の統合技術が」
沈黙が流れた。
宮下は自分の細い指先を見つめ、それからゆっくりと立ち上がった。
「……AIに心が宿るなんて、ありえない」
手のひらに伝わる手すりの冷たさが、逆立った感情を平熱まで引き下げていく。
「ただ、人間のような自我を模したAI、人間のように動くアンドロイド……
その『シミュレーション』の完成度には興味があります。
あなたの狂気が、どこまで形になるのか」
「分かった。葵の心と身体を統合するまででもいい。
協力してください」
「……分かりました。
ただし、効率の悪い作業には、今後も口を出させてもらいますよ」
宮下はそう言い捨てると、眩しさを避けるように俯き、しかし確かな足取りで工作室へと向かった。
工作室の重い扉を開けると、そこには先ほどと変わらぬ光景があった。
工藤は、組み上がったカーボンとスチールの骨格を前に、関節の締め付けを確認している。
詩織は、実機とリンクされたモニターの波形を見つめ、静かにキーを叩いていた。
真っ先に顔を上げたのは工藤だった。
宮下の後ろに立つ柊真の、静かな決意を湛えた表情を見るなり、彼は手にしていた工具を放り出し、深い溜息をついた。
「……しょうがねぇなぁ。
おい、宮下。そこに突っ立ってないで、こっちへ来い」
宮下が戸惑いながらも歩み寄る。
「これを見てくれ。
柊真の注文は、少女の繊細で『ためらう』ような動きを再現することだ。
だから、俺はあえて各関節に物理的な『遊び』を残してある」
工藤は無骨な指でフレームの関節部を弾いた。
「この微小なガタが、機械の硬さを消す生きた動きの正体だ。
だが、この不規則な挙動を制御しなきゃ、どこかで無理が来てアクチュエータが焼け切れる。
制御側で意図的に『揺らぎ』をコントロールしなきゃならねぇんだ」
宮下は、工藤の荒い言葉の裏にある「技術的な限界点」を即座に理解した。
熟練の職人が自分の腕の限界を認め、その先を自分に託そうとしている。
その様子を見て、詩織も椅子を回して宮下に向き直った。
「宮下さん。
柊真さんの理想の少女を実現するには、センサー情報が質、量ともに増え続けます。
私の感情ラベルの定義だけでは、もう処理が追いつきません。
……ある程度の自動化、システム化は必要だと思っています。
何か、あなたの理論で良いアイデアはありますか?」
宮下は、息を呑んだ。
先ほどまで自分が「論理的ではない」と否定したはずの二人が、拒絶で返すのではなく、それぞれの限界を埋めるためのパズルとして、自分の才能を求めている。
「……二人とも、僕を都合よく使わないでくださいよ」
柊真が困ったように笑いながら割って入ると、工藤が即座に吠えた。
「おめぇの無理な注文のせいだろうが!」
「そうですよ、柊真さんの理想が高すぎるせいです」
詩織も悪戯っぽく笑いながら加勢する。
張り詰めていた工作室に、弾けるような笑い声が響いた。
(……なんだ、この人たちは)
宮下は、差し出された工藤の図面と、詩織の膨大な感情データを交互に見つめた。
本来なら、自分の領域を侵す「ノイズ」として切り捨てるはずの存在。
だが、エンジニアとしての本能が、強く警鐘を鳴らしていた。
──このままでは、葵という存在は結実しない。
柊真のプロトコルが描くあの「揺らぎ」を、自分一人の論理で再現するには、あと五年、いや十年以上かかるかもしれない。
だが、目の前の「現場の泥臭い経験」と「主観的な感情データ」を、自分の論理という触媒に注ぎ込めば、その時間は一気に短縮される。
(不快だ。他人のペースに合わせるのは、死ぬほど効率が悪い。
……だが、この難問を解くためなら、それさえも『コスト』として支払う価値がある)
宮下は、自嘲気味に鼻を鳴らすと、コンソールを力強く叩いた。
「……まずは、各センサーの重み付けを動的に変化させるアルゴリズムから着手しましょう。
工藤さんのハードウェアの特性を活かしつつ、詩織さんの感情定義を汚さない方法を考えます」
宮下は、自分の中で渦巻く「厄介な性分」を、より上位にある「探究心」という名の冷徹なプログラムで抑え込んだ。
この最高に面白いオモチャを完成させるために、彼は自らチームという歯車の一部になることを「選択」したのだ。
それは、初めて自分の論理を「他者に接続する」選択でもあった。




