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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第3章 葵の身体
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22話 彼女のかたち

ラボ内の制作室。

かつて柊真を救った少女の姿──今はただ、時を止めたまま横たわる葵。

けれどその身体はすでに、最先端のスキャナで解析され、数値化された存在として、未来を待っていた。


工藤は骨格のチェックを止め、ドールの顔に視線を落とす。


「……確かに、綺麗で可愛いな」

工藤が、ふと独り言のように漏らす。


「……まるで娘みたいだ」


「工藤さん……娘さん、いらっしゃるんですか?」

その言葉に、柊真が手を止めて驚く。


「あ? ……いや、いねぇよ」

工藤は一瞬だけ視線を泳がせ、すぐに照れくさそうに頭をかいた。


「いたら、って話だ。

 もし俺に娘がいたら、こんな顔なんだろうなって、ただの妄想だよ」


「そうですか。……なんだか意外でした」

柊真が少し拍子抜けしたように笑う。


「うるせぇ、機械屋だってそれくらい考えるだろ」

工藤はわざとらしく鼻を鳴らした。


少し離れたところで見守っていた詩織が、小さく微笑む。


「……でも、分かる気がします。本当に、綺麗で、清らかで……」

詩織は画面に映し出された数値の羅列を見つめる。


「ちょっと嫉妬しちゃうくらい、可愛いですよね」


スキャナが映し取った「完璧な理想像」。

その顔は、ただの造形以上の意味を、この場所に集う三人に与え始めていた。


色素の薄い滑らかな肌。

大きく潤んだ瞳が、まるで感情を湛える器のように存在感を放っている。

小さく通った鼻梁に桜の花びらを思わせる繊細な唇。

そして、ほんのり膨らんだ頬と、わずかに上がった口角が、見る者に安心感と優しさを与えていた。


柊真は、葵の唇にそっと触れる。

その顔には、何かを語りかけてくるような力があった。

まるで、「私はここにいる」と、静かに主張しているかのようだった。



解析が終わった今も、葵は白い手術着を纏い、静かに横たわっている。

スキャンの名の下に、彼女のすべてを無機質なデータへと剥き出しにすることへの、柊真の痛みを伴う抵抗感を、工藤は静かに受け入れていた。


作業が終わってもなお、その身を覆う布一枚。

葵を想うその気遣いこそが、これから生み出そうとするものが単なる「精巧な模造品」ではないことを、静かに物語っていた。


「工藤さん、葵の身体……使えるところはありませんか?」


柊真が静かに口を開いた。


工藤は、葵の肩口にメスを入れ、丁寧にシリコンの皮膚をめくっていく。

頭上の作業用照明に照らされ、奥に露出したスチールの骨格が、光沢を抑えた鈍い光を返した。


「……ふむ。これは、思ったより上質な金属フレームだ。

 軽量化モデルだと言っていたが、強度テストをかければ、加工次第で使える部品も出てくるだろうな」


工藤は皮膚に指を滑らせる。


「だが、これはダメだな。医療用シリコンとはいえ、経年劣化が見られる。

 アンドロイドの皮膚としては強度が足りねぇ。

 もっと丈夫で、弾性と耐久性に優れた素材に置き換える必要がある」


工藤は、めくり上げた皮膚の断面をじっと観察しながら、低く唸った。


「見た目は人間そのものだが……

 このままじゃ、『生きた体験を返せる身体』にはならねぇな」


金属骨格と皮膚の間にあるわずかな空間。

そこに詰め込めるものの量と、許される重量。

工藤の頭の中ではすでに、完成図と制約条件がせめぎ合っていた。


「人間の皮膚ってのはな、ただ柔らかけりゃいいってもんじゃねぇ。

 引っ張られて、戻って、少し遅れて、また馴染む。

 その『遅れ』がないと、生き物には見えねぇ」


「……触れたあとの、残り方……ですね」


詩織が静かに言葉を補う。


「そうだ。だが、今の素材じゃそれが出ねぇ。

 強度を上げれば硬くなるし、柔らかさを優先すりゃ、すぐ傷む」


工藤は葵の細い手首を掴むと、肘の関節をゆっくりと曲げ、その反応を確かめるように探った。


「この身体は、『人間の代用品』としては優秀だ。

 だが、実際に動いて、人間のように振る舞う──

 アンドロイドの身体としては、全然だな」


柊真は、その言葉を否定しなかった。

むしろ、静かに頷く。


「……ええ、分かってます。

 だからこそ、ここから新しく造るつもりです」


工藤は、メスで切り開いた皮膚を骨格から丁寧に取り外し、剥き出しになった内部構造を一瞥した。

露出したフレームは、関節の可動が再現できるように組まれてはいるが、あくまで「人形の骨格」だった。

機構としての合理性はあるが、しかし、そこに人間的な動作を支える骨格の設計思想は見当たらない。


「……骨格は再設計が要る。今のままじゃ、重心が上に寄りすぎてる。

 二足で立たせた瞬間、腰から崩れるぞ」


柊真は、静かに頷く。


「歩かせる以前に、『立たせ続ける』だけで、かなり無理が出ますか?」


「当たり前だ。人の身体は、骨だけじゃ立ってねぇ。

 関節の遊び、筋肉の張り、体重配分……全部が噛み合って、やっと『自然』になる」


工藤は、骨盤部のフレームを指で叩いた。


「ここは強度はあるが、逃げがない。荷重を受け止めるだけで、分散しねぇ。

 これじゃ、関節が先に死ぬ」


詩織は、モニターに映る三次元モデルを見つめ、首をかしげる。


「……つまり、今の構造だと、『立つこと』はできても、『立ち続けること』ができない、ということですか?」


「そういうことだ」


工藤は短く答えた。


「次は、関節の可動領域でもチェックするか……

 ん!? おい、曲がんねーぞ」


工藤はおもむろに力を込めた。

ギギギィィィ……と葵の股関節は嫌な音を発した。

慌てて柊真は工藤を押しのける。


「く、工藤さん!

 おっ、お願いします。もっと優しく丁寧に……」


「こうすれば曲がります」と、手順を一つひとつ示すように教えた。


その様子を見ていた詩織は、思わず「うふふふっ」と声を押し殺して笑う。

柊真の慌てようと、工藤のぶっきらぼうさがあまりにも対照的だったのだ。


「ものを持ったり、優しく触れたりするような動作は可能でしょうか?」


柊真の問いに、工藤は首をひねる。


「指は……関節もねぇ、ワイヤーだけかよ。

 もちろんこのままじゃ無理だな。

 関節にモーターを仕込むか、ロッドのような可動部品で、筋肉のように引っ張る構造に変える必要がある」


「で、柊真。

 お前が求めてる『動く身体』ってのは、どこまでを想定してる?」


柊真は作業台に横たわる葵を静かに見つめ、指を三本立てた。


「まずは、日常の所作です。

 歩き、座り、横たわる──人間が当たり前に行う重力下での振る舞いを、不自然さなくこなせること」


「基本だな。だが、それが一番難しい」

工藤は鼻を鳴らす。


「次に、しなやかさです。

 駆ける、うつ伏せで本を読む、寝返りを打つ。

 少女らしい、軽やかに弾むような動的な振る舞いが欲しい」


「……注文が多いな。で、最後は?」


柊真は最後の一本の指を立て、一呼吸置いて言った。


「それから……『ためらう』ことです」


「ためらう、だぁ?」

工藤が眉をひそめる。


「はい。人は、次の動作に移る前に、一瞬だけ『迷い』を挟みます。

 その揺らぎを、身体側で表現したい」


「……制御でやる気はねぇって顔だな」

工藤は鼻で笑った。


「ええ。制御だけに頼ると、『正解の動き』になります。

 葵には、正解じゃなくて『彼女の動き』をさせたい」


そのやり取りを聞いていた詩織が、慎重に口を挟む。


「つまり……動作の細かさは、プログラムよりも、機構そのものに持たせる、ということですか?」


「そういうこった」



工藤は、作業台に置かれた走り書きのラフスケッチを、苛立ちを紛らわすように指で叩いた。


「基本は二足歩行。

 骨格は軽量だが、剛性は落とさねぇ。

 駆動は、精密な部分はモーター内蔵関節。

 腰や太ももみたいな力の要るところは、ロッド式のリニア駆動で引っ張る」


「……筋肉の役割を、分けているんですね」


詩織の言葉に、工藤は短く頷いた。


「全部を一種類でやると、人間みたいな「ムラ」が消えちまう。

 だから、あえて混在させる」


柊真は、静かに補足する。


「完全に同じ挙動にはしません。

 関節の遊びや、戻りの速さに、わずかな差を持たせる。

 それが、立ち姿や踏み替えに「癖」として現れるはずです」


「やれやれ……普通は必死で排除する要素だぞ」


「でも、人間は排除していません」


柊真は、迷いなく言い切った。


詩織は、画面に映る設計データを見つめながら、疑問を口にする。


「触覚は……どうするんですか?

 全身にセンサーを入れると、処理が追いつかないですよね」


「全部は要らねぇ」


工藤が即答する。


「指先、足裏、関節の内側。それに、姿勢を見るための慣性センサーだ。

 ただし、皮膚の下には触覚用に感圧センサーを全身に散らす」


「つまり……身体側では、「感じた事実」だけを送る?」


「触れたか、押されたか、ずれたか。それだけ分かりゃ十分だ。

 細けぇ解析は、頭に任せりゃいい」


工藤は、柊真を見る。

柊真は静かに頷いた。


「葵の心は、身体が経験した結果をもとに、自分で意味を見つけていきます。

 だから、センサー類からのフィードバック情報の感度は、強すぎない方がいい」


詩織は、その言葉を反芻する。


「……感情を、教え込まないために」


柊真は、慈しむような眼差しを葵に向け、言葉を継いだ。


「そう。葵自身が、感情を見つけられるように」


その日、葵の身体は、まだ設計段階を出ていなかった。

だが、工藤が加わったことで、その設計は初めて現実の輪郭を帯び始めていた。


三人は、確かに感じていた──

この「かたち」が、いずれ世界に触れ、心を刻み始める器になるということを。

【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

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