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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第3章 葵の身体
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21話 工藤の苦悩

研究所一階、ホール右手にある工作室には、鉄と油の匂いが満ちていた。

外では雪が降り続き、建物全体が白く静かな世界に包まれている。

その冷たい空気とは対照的に、工藤の作業場には血の通った造形の熱が、確かにあった。


そんな空間の中央で、工藤が腕を組んだまま言う。


「柊真。お前が作ろうとしてるアンドロイド……

 なんでそこまで人間らしさにこだわる?」


声は無遠慮に響いたが、問いは真剣だった。


「まあ、俺たち機械屋にとって『人間』ってのは、ひとつの究極形だ。

 だが、それにしたって執着が強ぇ」


柊真は、ほんの一瞬だけ息を吸い込み、それから静かに答えた。


「……僕にはどうしても、人間みたいに微笑んで、感じて──

 会話ができる身体を与えたい女性がいるんです」


工藤は眉をひそめる。


「……それは、病気とか、不自由とか……

 そういう、お前にとって大事な人間なのか?」


柊真は、わずかに目を伏せた。


「はい。大切な人です。

 ……でも──人間ではありません」


意味深な言葉に、工藤は沈黙した。


「まだ紹介していませんでした。

 二階のラボに、彼女はいます」



二人は二階へ続く螺旋階段を上がる。


工藤の安全靴の重い靴音が、不自然なほど、吸い込まれるように消えていく。

一段ずつ踏みしめるたびに、足裏から伝わるはずの微細な振動がないことに、彼は眉を寄せた。


それは、詩織が感じた浮遊感とは正反対の、底知れない圧迫感だった。

完璧な幾何学を描く階段の曲線と、淀みない静寂。

それは、油と鉄に満ちた地上の現実を、一片の塵もなく濾過するような、異質な拒絶感でもあった。


「……妙なほど、静かな場所だな」


工藤は喉の奥で鳴らすように呟く。

その声さえ、壁一面の白に吸い取られていく。


二人はラボの扉の前に立った。

柊真はセキュリティキーを取り出し、手際よくロックを解除する。


三重の認証装置を見て、工藤から驚きの声が漏れた。


「なんとも仰々しいセキュリティだな……

 この先には、それだけ重要なものがあるってことか?」


「そうです」


柊真は静かに答えた。


扉を抜け、柊真は工藤をラボ内の「Cleanroom」と書かれた巨大なガラス壁の前に案内する。


スイッチに触れると、内部にふわりと柔らかな光が満ちた。

その光の中に浮かび上がったのは、純白のワンピースを纏った一人の少女だった。


「彼女が、僕の大切な──葵です」


柊真の声は静かだったが、本心の熱を帯びていた。


工藤はその姿を見た瞬間、値踏みするような鋭い視線を向ける。

だが、その視線はすぐに驚愕へと変わる。


「……ん?

 これは、人形か?」


思わず漏れた言葉。

その表情には戸惑いが浮かんでいた。


椅子に腰かけ、ただ静かに佇む姿。

外装が市販の最高級リアルドールであることは、プロのエンジニアである彼には一目で分かった。


だが──そのドールの放つ空気には、本来あるはずのない「凛とした存在感」があった。


工藤はガラスに顔を寄せ、葵を凝視する。


「……おい、柊真。

 ガワは既製品だろうが、中に何を仕込んでいる?

 ただ座ってるだけなのに、妙な「気配」がしやがるぞ」


その目は、造形の奥に潜む「何か」を暴こうとしていた。


本来、表情などないはずの人形。

それなのに今の工藤には、すべてを見透かすような、静かな慈愛の視線を向けられているような錯覚さえあった。


(錯覚だ。

 センサーも起動してねぇ。ただの外装だ)


そう言い聞かせても、胸の奥の違和感は消えない。


「……驚かれるのも、無理はありません」


柊真は、ガラスの向こうへ視線を向けたまま言う。


「正直に言えば──

 僕にも、何なのかは分かりません」


少しだけ間を置く。


「ただ……

 彼女を前にすると、どうしても、『そこにいる』と感じてしまうんです」


言葉を確かめるように続ける。


「絶望の底にいたとき、僕を救ってくれたのが彼女でした。

 理屈じゃない。

 助けられた、としか言いようがない」


一度だけ工藤に視線を向けて、再び葵へ視線を戻す。


「だから……

 声を聞きたい。笑顔を見たい。

 揺れるその瞳を、もう一度見つめたいと思いました」


「その願いの果てに、彼女の『心』を再現するAI──

 Aoi-Coreを、作りました」


「AI、ねぇ……」


工藤は低く呟く。

少女から視線を外し、無意識に掌を握りしめた。


胸の奥を、ひどく懐かしい感触がかすめる。

もう触れることのできない、小さな体温。

守るべきだった存在の記憶が、一瞬だけ輪郭を持つ。

それは、二度と取り戻せない温度だった。


「葵の心は、データによる学習ではなく、人間のように成長することを前提に作りました。

 だからこそ──」


柊真は、葵を見つめる。


工藤は、その視線の意味を理解した。

それ以上考えまいとするように、短く息を吐く。


「……ただの制御用AIじゃねぇってことか」


柊真は向き直り、核心を伝えた。


「Aoi-Coreへ『生きた体験』をフィードバックし、その感情を『定着』させるための身体が必要なんです」


「……それで、俺ってわけか」


工藤は息を吐き、天井を一度見上げる。


「そうです。

 工藤さん以外に、葵の身体を作れる人はいないと思っています」



静かな空気の中、工藤はドール葵の無機質な瞳を見つめた。


「……、…………」


純白のワンピースに包まれた小さな身体。

ただ座っているだけのはずなのに、その姿は不思議なほど、落ち着いて見える。


──動かない。

それでも、確かにそこに在る。


「……工藤さん?」


柊真の声に、工藤ははっと現実へ引き戻される。


「……ああ、悪い」


短く答え、わずかに首を振った。

意識が戻るまでに、数秒の空白を要した。


「……買いかぶりすぎだ、と言おうとしたんだ」


低く言いながら、腕を組み直す。


「俺のやってることは、今のロボット工学の本道からは外れてる。

 『曖昧さ』を機構だけで再現するなんて、古臭ぇ。

 結果も満足に出てねぇ。

 会社を辞めたのも、そのズレが原因だ」


それは言い訳ではなく、自分への苦い告白だった。


「昔はな……

 制御で全部片づける時代じゃなかった。

 多少不器用でも、機構そのものに『癖』を仕込む。

 それで人に寄り添う動きを作る……そんな考え方が、まだ許されてた」


脳裏に、かつての開発フロアがよぎった。

油の匂い、削り屑、夜更けまで鳴り止まない機械音。


「だが、時代が変わった。

 制御で補正して、演算で滑らかさを作る。

 それが正義になった」


工藤は苦く笑う。


「俺を慕ってくれた若い奴らもいた。

 必死に機構を学び、俺の背中を追ってきた連中だ」


一瞬、言葉を切る。


「……一方でな、制御だけで『温かい福祉アンドロイド』を作る若い天才も現れた。

 数字で、人の優しさを再現できる時代だ」


その才能を、彼は否定できなかった。

否定できなかったからこそ──敗北を悟った。


「議論して、衝突して……

 最後は、俺の居場所がなくなっただけだ」


恨みではない。

ただ、事実として受け入れた声だった。


「会社を辞めたらな……家庭も、あっさり終わった。

 ……当然だわな。夢ばっか追って、現実に負けた男に、付いてくる奴はいねぇ」


それ以上は語らない。

自嘲を隠すように、視線を床へ落とした。


「そんな技術で、本当に……

 この葵の身体が作れると思ってんのか?」


柊真は、迷わなかった。


「思っています。

 Aoi-Coreが『内側から心』を積み上げる。

 工藤さんの機構が『外側から身体』を人間に近づける。

 この二つが交わること──それだけが、葵に心を宿す唯一の道です」


真っ直ぐな瞳を受け止め、工藤は再び少女へ向き直る。


自分の人生を狂わせた「機構への執着」が、もしこの少女に命を与えるためのものだったとしたら──

それを、否定する理由が見つからなかった。


「……はっ。

 正気じゃねえな、お前も」


自嘲気味に笑うその横顔には、エンジニアとしての暗い野心が、再び灯り始めていた。

【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

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