表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第3章 葵の身体
20/47

19話 揺らぎを設計する男

談話室の空気は、研究所のどの部屋よりも柔らかかった。

降り続いていた雪はやみ、窓の向こうには夜の森が黒い幕のように広がっている。


詩織はカウンターでカモミールのハーブティーを淹れ、カップから立ちのぼる湯気の向こうに視線を落としていた。

穏やかではあるが、時折ふっと何かを噛みしめるような表情になる。


柊真はしばしばペンを止め、葵の身体に関する構想メモへ、何かを書き加えていた。


(柔らかい動作、ためらい、揺らぎ……)


設計図らしき図表もあれば、抽象的な言葉も並ぶ。

一見奇妙なメモだったが、人体を再現するアンドロイドには不可欠な要素ばかりだった。


──ふと、柊真は壁にかけられた時計が、すでに零時を過ぎていることに気づく。


「詩織さん、

 あけましておめでとうございます」


柊真の唐突な言葉に、詩織は現実へと引き戻された。


「年、越しましたね。

 おめでとうございます、柊真さん。

 今年も良い年になるといいですね」


詩織は静かに、胸にある言葉を口にする。


「そうですね。良い年にしたいです」


その願いに偽りはなかった。

柊真もまた、本心からそう願っていた。


彼は、いつの間にか冷めてしまったコーヒーを一口啜り、カップをそっとテーブルに戻す。


「……詩織さん。

 そろそろ、葵の『身体』について話しておきたいんです」


「身体……ですか?」


「ええ。Aoi-Core──AIの開発は、詩織さんの協力で形にすることができました。

 葵の心に必要なのは、AIとしての学習と人間的な成長です。

 でも──最終的に『心』を宿すためには、AIと身体の関係をどう設計するかが、もっとも重要になる」


詩織は静かに視線を向ける。

その眼差しには、研究者としての真剣さと、どこか個人的な不安が混じっていた。


「AIは、データだけでは人格を形成し得ない。

 五感が必要です。触覚、筋電位、姿勢制御……

 そして、身体を通した失敗や学習こそが、心の成長を決める」


柊真は、談話室の窓の外へと目をやる。

冬の夜気が、静かに澄んでいた。


「葵が、世界に触れられる身体を──

 Aoi-Coreへ『生きた体験』をフィードバックし、感情の意味を定着させる身体を作りたい。

 それがないと、Aoi-Coreは『形のない概念』のまま停滞してしまう。

 ただの機械の身体では、ダメなんです」


詩織は、静かに言葉を待つ。


「僕が彼女に願う『白』は、何も知らないままでいることではありません。

 世界に触れ、あらゆる色を知ったその先に……

 それでもなお、何ものにも染まらずに立てる存在であってほしい」


詩織は、小さく息を呑んだ。


「……そんな身体を、作れる人がいるんですか?」


「心当たりが一人だけいます」


柊真の声に、わずかな温度が宿る。


「福祉用アンドロイドの開発企業で、取引先だったエンジニア。

 身体機構、人の動作や癖、姿勢の揺らぎ……

 そうした『機械が苦手な領域』を再現しようとしていた人です。

 名前は……工藤 (あらた)です」


工藤の名を口にし、柊真は続けた。


「彼は、身体機構と──

 人間的な『動きの癖』を再現する技術に関しては、天才的でした。

 僕が知る限り、あそこまで『機械的な身体だけで人間らしさを生む』ことにこだわったエンジニアは、他にいません」


その声には、穏やかな中にも確かな実感が滲んでいた。


「工藤さんって……

 AIとか、心とか、そういう話もできる人なんですか?」


詩織が尋ねると、柊真は苦笑して首を横に振る。


「いえ。AIや心は、おそらく彼はそこまで重視していません。

 というより、『そんなものは存在しない』と本気で考えているタイプです」


「じゃあ……どうして『人間らしさ』にこだわるんです?」


「それが彼の面白いところなんです。

 工藤は、人の柔らかさ、迷い、ためらい──

 そういう『人間的な曖昧な動作』を、AIではなく機構だけで再現しようとしていた。

 あくまで、純純粋にハードウェアだけで、です」


詩織は、少し目を見開く。


「……そんなこと、できるんですか?」


「普通はできません。

 でも、工藤は本気でやろうとしていた。

 それが彼の執念であり、同時に天才なんです」


柊真は、静かに言葉を重ねる。


「……彼は、それを信じている。

 魂なんていう不確かなものではなく、

 精緻に組み上げられた『動作の揺らぎ』の中にこそ、人間という現象が宿るのだと」


飲み物から立ちのぼる湯気が、二人の間に細い線を描いた。


「僕のAIは、内側から『心』を積み上げていく。

 工藤の技術は、外側から『身体』を追い求めていく。

 この二つが出会えば、葵はきっと、理想の姿に近づく」


詩織は、静かに頷く。


「……会いに行ってください。その人に」


冬の空気の中、葵という存在が形を持ちはじめる足音が、ほんのわずかに響き始めていた。

挿絵(By みてみん)


【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ