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ウラジミール・ターマロウの選択

作者: 八島司

※noteにも投稿しています。

 人類が故郷の大地を離れ、宇宙に飛び出してからどれほどの年月が経っただろうか。


 人々は宙を渡る術を手に入れ、この無限の大宇宙を埋め尽くそうとするかのように広がっていった。


 しかし、いかに自在に空を渡る術を手にいれようとも、人々が好む場所はおのずと限られていた。活気があり高い文明技術をほこる一帯、すなわち都会に人々は集い、逆にそうでない一帯は人々が寄り付かず、原初のままの姿をさらすか、寂れていくのみ。


 そんな一時は繁栄を手に入れたものの、時流の荒波によって活気を奪われてしまい、もはや寂れゆくのみとなった宙域の一角の小惑星の影でウラジミール・ターマロウはただ一人、操縦席に身を預けていた。孤独は彼にとって欠落ではなく、むしろ通常の状態だった。誰にも縛られず、誰にも干渉されない。宇宙の墓場を漂い、価値あるスクラップを拾い集める。


 宙域サルベージャー。


 そのささやかな稼業にこそ、ターマロウは奇妙な安らぎを見いだしていた。そして彼の唯一無二の相棒が、旧文明の遺産たる人型機動兵器――その名を、「URASHIMA」という。


「警報。パターン・レッド。近傍宙域にて高エネルギー反応を複数探知」


 URASHIMAの合成音声が、半分眠っていたターマロウの意識を覚醒させる。モニターには赤色の警告灯が点滅。自動的に付近の宙域が拡大表示される。そこに映し出されたのは、異様な光景だった。拡大された映像には、信じがたい光景が映し出されていた。巨大な亀の甲羅を思わせる、重厚な装甲を持つ大型輸送船。その周囲を、獰猛な小魚のように数隻の小型戦闘艇が取り囲み、執拗に攻撃を加えていた。


 スペース・パイレーツ! その存在は、法の及ばぬこの暗黒の海で、最も忌み嫌われる存在だ。


 パイレーツの戦闘艇は、カメ型輸送船の装甲に無慈悲なプラズマ砲弾を撃ち込んでいた。装甲の一部が融解し、火花を散らす。


 ターマロウの口角が、皮肉気に歪んだ。面倒事は彼の信条に反する。しかし、彼の魂の奥底で、何者かが「やれ」と告げていた。あれを見てみぬふりをするわけにはいかぬ、と。


「URASHIMA、システム起動。メインエンジン、出力最大」


 ターマロウの指がコンソールを叩く。URASHIMAの単眼センサーが赤光を放ち、背部のブースターが青白いプラズマを噴射した。機体が震え、彼の全身に心地よい慣性が伝わった。


(ちっ。面倒は嫌いだが、ゴミを放置しているのはもっと気分が悪い)


 彼は行く。彼の意思がそう決定したのだ。


「未確認機、急速接近! 所属不明!」

「何だあの機体は!」

「迎撃! 迎撃せよ!」


 パイレーツどもが狼狽の声を上げる。だが、時すでに遅い。URASHIMAは、流星と化して彼らの編隊に突貫していた。


「目標、パイレーツ先導機。プラズマ・ハープーン、射出!」


 URASHIMAの右腕から、灼熱のプラズマ・ハープーンが射出される。それは正確無比にパイレーツ機を貫き、内部から爆発四散させた。無数の破片を真空にまき散る。


「次っ!」


 ターマロウが咆える。URASHIMAは残るパイレーツ機に向かって急加速。その手に高周波ブレードを形成し、横薙ぎに一閃する。断末魔の爆発光が二つ、三つ。真空の宇宙に、声なき悲鳴が木霊した。


「なんだ、てめえは!」


 パイレーツのリーダー機が、ガトリング砲を乱射する。無数の弾丸がURASHIMAの装甲に叩きつけられ、鈍い衝撃がコックピットを揺らした。だが、致命傷には程遠い。


「終わりだ」


 ターマロウは冷徹に告げる。URASHIMAはガトリングの弾幕を突き抜け、リーダー機の懐に潜り込む。そして、零距離で左腕のパイルバンカーを叩き込んだ。


「あばよ」


 凄まじい運動エネルギーがリーダー機の構造を破壊し、原型を留めないほどの鉄塊へと変えた。


 静寂が戻る。脅威は完全に排除された。ターマロウが安堵の息をついた、その時。カメ型輸送船から通信が入った。ノイズ混じりのスクリーンに映し出されたのは、気品のある顔立ちの人物だった。


『……我々は、あなたの勇敢な行動に心から感謝します。もしよろしければ、我らの故郷へお越しいただけないでしょうか。最大限の礼を尽くすことをお約束いたします』


 その誘いの言葉には、不思議と断りきれない響きがあった。短い思案の末、ターマロウは承諾の意を伝えた。カメ型輸送船の巨大なハッチが開き、彼のURASHIMAを迎え入れる。その先が、彼の宇宙の常識が通用しない異世界「リュウグウ」への入り口だとは、まだ知る由もなかった。



 空間が歪曲する。色彩が反転する。ウラジミール・ターマロウと彼の機甲騎兵「URASHIMA」は、ワームホールめいた光のトンネルを通過していた。通常航法では到達不可能な座標。物理法則が意味をなさない領域。やがて、眼前に広がる光景に、ターマロウは思わず息を呑んだ。


 恒星の光ではなく、空間そのものが柔らかな光を放つ異世界であった。空にはオーロラのような光の帯が幾重にもたなびき、浮遊する島々が翠の庭園を形成している。重力から解放された滝が、天から地へ、あるいは地から天へと流れていた。まさに神話的風景。ターマロウの理解を超える次元であった。


 URASHIMAは巨大な浮遊島に着艦を許可された。宮殿と見紛うばかりの壮麗な建築物。その玉座に座していたのが、この世界の支配者、女神オト=ヒメであった。彼女は人間を超越した美しさを持ち、その瞳は世界の理をすべて見通しているかのように澄み切っていた。


「ようこそ、リュウグウへ、ミスター・ウラジミール・ターマロウ。我はオト=ヒメ。この永遠なる安息の地リュウグウの管理者です。わたしはあなたを歓迎します」


 彼女の傍らには、様々な人種の、あるいは人ならざる者たちの姿があった。彼らは皆、一様に穏やかで幸福に満ちた表情を浮かべている。ここは老いも病も、そして争いもない世界。ただ、存在することそのものが祝福される理想郷であった。


 ターマロウは英雄として歓待された。彼の前には、食したことのない美味な果実が並び、彼の耳には、魂を蕩かすような音楽が届けられた。リュウグウの住人たちは、彼の武勇を称え、永遠にここで暮らすことを歓迎した。




 一日目。


 広間で酒を飲んでいる男がいた。屈強な身体つき。ずいぶん古めかしい鎧を身に着けている。周りを美しいリュウグウの女たちに囲まれている。その男がターマロウに気がついて声をかけてきた。


「よう。見ない顔だな。最近ここに来たのかい?」

「ああ。昨日からここに滞在させてもらってる」

「そうか。ようこそ、楽園へ! ここはまさにヴァルハラだ。勇を示した甲斐があったってもんだぜ。あんたもそう思うだろ?」

「そうかもな」


 ターマロウは男と酒を酌み交わし、語り合った。




 二日目。


 宮殿の中庭を歩いていると笑顔で言葉を交わしている二人の若い女がいた。どことなく顔つきが似ているように見えた。姉妹だろうか。


 女の一人がターマロウに気づき、声をかけてきた。


「こんにちは。あなたもこの世界に招かれた外の人ね。ここは素晴らしいところよ。あなたにもすぐにわかると思うわ」


「あんたたちは姉妹でここに招かれたのか?」

「姉妹? ……ふふふ。そう見えるでしょうね」

「というと?」

「私はこの子の祖母よ。この子は私の孫娘」


 もう一人の女が軽く頭を下げた。


「……とてもそうは見えないが」


 ターマロウのその言葉の通り、二人はどちらも二十代前半の若い娘にしか見えなかった。


「ふふ。ここにはね、老いは無いの。老いた者も若さを取り戻せる。それどころか、ここにいる限りもう二度と老いることもない」

「それだけじゃない、ここではケガも体の不具合もない」


 そう言って孫だという娘はくるくるとターマロウの周囲を歩きまわってみせた。


「あたしね、ここに来るまで足が動かなかったの。ずっと車いすでの生活だった。年寄りのおばあちゃんにまで生活の一部をサポートしてもらわなきゃいけないぐらいで、ずっと心苦しかった」


 ターマロウの目の前に戻ってきた孫娘は軽やかに飛び跳ねてみせる。


「でも、ここでならいくらでも自分の思うままに動きまわれるの! もうだれにも迷惑をかけないで。最高だわ!」


 孫娘のその言葉からはあふれるほどのよろこびの感情が伝わってきた。この二人がこの世界に招かれたことを心から喜んでいるのは明らかだった。




 三日目の朝。


 ターマロウはオト=ヒメの前に進み出た。


「オト=ヒメ。感謝は尽きない。だが、俺は元の世界に帰還しようと思う」


 その言葉に、宮殿は静まり返った。オト=ヒメは信じられないというように、その美しい眉をひそめた。


「なぜです、ミスター・ターマロウ。ここは楽園。苦しみの一切が存在しない世界。なぜ、あの争いに満ちた不完全な世界へ戻ろうとするのですか」


 周囲の女官たちが、侮蔑と嫌悪の視線をターマロウに突き刺す。この楽園を自ら捨て去ろうとする愚者を、彼らは理解できなかった。


「ここには生きる意味がない」


 ターマロウは断言した。彼の言葉は、静謐な空間に鋭く響き渡る。


「ただ生きているだけで満ち足りてしまう世界。ただ与えられるだけの幸福。それは、俺にとって停滞であり、死と同義だ。俺は飢え、渇き、傷つき、それでもなお、欲するものは己の手で掴み取る。それが、俺の生きる意味だ」


 女官たちから非難の声が上がる。しかし、オト=ヒメはそれを手で制した。彼女の瞳には、深い悲しみの色が浮かんでいた。


「……やはり、あなたも去ってしまうのですね」


 その声は、諦念に満ちていた。


「過去にも、ごく少数ですが、あなたと同じことを言ってこの地を去った者がいました。彼らもまた、渇きが癒えることのない魂の持ち主だったのでしょう」


 オト=ヒメは立ち上がり、ターマロウに歩み寄る。その手には、白く輝く宝珠が握られていた。


「分かりました。あなたの意思を尊重します。最後に、これを餞別として受け取ってください。これは玉匣丸(ギョクキョウガン)。これを飲めば、あなたの肉体は時を超越し、不老不死となるでしょう。老いや死といった、定命の者が逃れられぬ苦しみから、あなたは永遠に解放されます」


 ターマロウは無言でそれを受け取った。それが、彼の選択に対する女神の最後の慈悲であった。


 再びURASHIMAに乗り込み、ターマロウはリュウグウを後にした。時空の歪みを抜け、彼は元の宇宙へと帰還を果たした。


 ターマロウは、オト=ヒメから受け取った玉匣丸を、静かに機外に放り出した。白く輝く宝珠は一定の速度を保ちながら宙を渡り、滑るように遠ざかっていく。


 不老不死。永遠の生。それは、女神が与えようとした最後の安息。しかし、ターマロウはそれを拒絶した。終わりがあるからこそ、生は輝く。彼はそう信じていた。


「さらばだ、女神よ。俺は俺のやり方で、この生と対峙する」


 彼の呟きは、誰に聞かれることもなく真空に消えた。ウラジミール・ターマロウは、再び、終わりある生をひた走る。いつかこの真空の宙で朽ち果てる、その最期の瞬間まで。

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オチにニヤリとさせられる、よき翻案でありました〜♪
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