番外編4 ーひろみー(前編)
明けましておめでとうございます。
皆様へ、お年玉代わりにこの作品を。
ずっと、あの日の景色を見ている。今年の初夢もこの景色であった。
・・・
「明けましておめでとうございます、先生。」
「あ、新城さん。明けましておめでとうございます。」
「年明けでも相変わらず忙しそうですね。」
「ええ、馬は年中無休ですから。新城さんがお越しになったということはウレシンジョイの次走ですか?」
「うん、2月になるとプロ野球のキャンプが始まって忙しくなるからね。」
「また監督として復帰しましたからね。ニュースで知ってビックリしました。」
「そういうことだからシーズン始まると監督業に専念するからシーズン終わるまではこっちに来れそうにないから年内のレースの日程を・・・ね。」
「ではウレシンジョイの予定ですがまずはフェブラリーステークス、ですか。初のダート挑戦になりますが。それで次走以降はレース結果次第…、短期含む放牧の判断は私がしておきますがよろしいでしょうか?」
「それでお願いします。今年は代理人としてビッグボスホールディングスの者を派遣するので対応お願いしますね、先生。」
「分かりました。ところで新城さん、昔みたいに伊藤さんと呼んでほしいなぁ~っと…」
「え、うちの馬を見ていただいてる調教師の方ですから、そこは先生で。あ、あと、今日の晩もいつもの寿司屋に来れる?…うん、では19時に。今日は亀田さん、私の代理人となる鈴木さんと園田の宮西調教師、そして先生の旦那さんも来ますので。」
・・・
「…皆様が揃ったので新年会を始めます。昨年は亀田さんと私のホワイタイガーの園田三冠、さらに園田開催のJBCクラシック制覇。そして新城さんと伊藤先生のウレシンジョイの春は皐月賞5着、日本ダービー2着と善戦、秋は天皇賞・秋を制し、さらにチャンピオンズカップも制した怒涛の1年でした。…今年のさならる飛躍を願い、乾杯!」
「「「「「乾杯!!!!!!」」」」」
・・・
「おい新城、俺の虎は次走フェブラリーに出そうと思ってるんだ。で、風の噂ではお前のとこの奴がダート戦を続けるとか聞いたんだが…、おい、お前なぁ。芝G1馬なんだからダートに来なくていいだろが!俺の虎が最強でもさ、ライバルが少ない方が…。」
「ショータ先輩、最近鈴木さんが私を先生だって言うんですよ~…え?ショータ先輩も先生って呼ばれてるんですか?…ですよね~、昔は私たちが先生って呼んでたのにねぇ~…、ねぇ、あなた。あなたからも言ってくださいよ~…」
大いに盛り上がる新年会。新年会の盛り上がりはさらに続いた後、2次会へ。
2次会は新城、鈴木、伊藤夫妻が向かうことに。
「ご主人はここは初めてでしたかな?」
「ハイ、トテモオシャレナオミセデスネ。」
「あなた、ママさんをじろじろ見すぎ。」
「ははは、ママさんも変わらず美人だから仕方ないさ。…ところで先生。昔、何故騎手になったかと聞いた事があったけど、無神経なことを聞いてすまなかったな。」
「…!新城さん、そんな、謝らないでください。おかげで私は中央の騎手になって、いくつものG1を勝利し、そして今があるのですから。」
「…ん?騎手になった理由か。そんな大層なモノはないだろ。俺の場合はチビで頭悪かったから高校行くより一攫千金を狙って騎手を目指したぞ。で、地方の騎手になった。鈴木先生もひろみの父も似たような感じだったらしいし大体の野郎はそんな感じじゃないのかな?結局、中央の騎手にはとうとうなれなかったが、リトルボスの背に乗れたのは一生の誇りかな。新城さんとリトルボスには感謝してますよ~。」
「私が騎手になった理由ですか?知っての通り親兄弟も騎手または調教師をやってる競馬一家ですから自然と馬とふれあい、騎手を目指す、そんな感じですね。…現役はまだ続けますよ?ウレシンジョイの主戦ですし、有力馬の騎乗が絶えない限りは。」
「新城さんすいません、先生方もかなり酔ってそうで。…え?私が騎手になった理由?調教師じゃなくて?…昔のことですが、家が貧しくて中卒で家を出る羽目になりましてね。遠縁の親類に競馬関係者の人がいたのでその人の紹介で厩務員になる予定でしたが、調教で試しに乗った時、筋がいいと言われたので園田の大木調教師に弟子入りして、騎手に。あの頃はまだ競馬学校はなかったから大木先生のもとで日々励んでました。そして騎手になって、40を目前にして調教師になった、そんな感じですね。」
「…え?私が騎手になった理由は、ですか?昔に何度か話したけど、…また聞きたいのですか?前と同じ話ではつまらないと思うので、今日はとことん喋りますね?」
・・・
「将来、パパみたいな騎手になりたい!」
高知競馬場のスタンド。
重賞レース、たしか高知優駿、父が勝ったレース。
その父の姿を見て、母に手を引かれながら、子どもながらに全身が震えるほど感動した。
あの日の父の背中を、私は今でもよく夢で見る。
その光景は、笑顔と誇りと、そしてなぜか少しの哀しみをまとっている。
あの背中を見て私は…。
「ねぇ父さん、お正月も競馬?」
「ん?そうだぞ。今年の年末は2年ぶりに高知県知事賞に出るからな。今年最後の大一番のレース、見に来てくれるか?」
「うん、私も行く~。」
レースが無い日、少ない日は帰ってくることもある。それでも家での会話は競馬一色。ほぼ年中無休で厩舎やレース場にいたため自宅で見た記憶はあまりない。
だいたいは厩舎やレース場で父と話したり一緒に馬に乗ったりしたりした位。あとはレースの応援で父を見る。父との思い出はおそらく一般家庭とは違うものであった。
事故は突然だった。
この日はTVで観戦していた。いつもの高知ではなく大井。父のお手馬が前哨戦いつものようにパドックに入って、ゲートに収まり、スタートしただけのレース。
だが、前を走る馬がつまづいた。巻き込まれ、落馬。
そのまま父は、帰ってこなかった。
父の葬儀の後、私は神戸にある母方の実家で暮らすことになった。
父の事故もあり騎手という夢は、一時、胸の奥にしまい込まれた。
時は流れ、私は中学生になった。
ある日、テレビで見た中央競馬で活躍する女性騎手たち。
あの姿に、幼い頃に感じた「パパみたいになりたい!」という想いが蘇った。
「わたし、やっぱり騎手になりたい」
母は驚いたが、反対はしなかった。
むしろ、父の夢を継ぐことを、どこか嬉しく思ってくれていたのかもしれない。
中学を卒業してすぐ、JRAの騎手課程の試験を受けた。
でも――不合格だった。
その年は志望者が多く、「女性で、コネのない一般家庭の子はまず受からない」などと噂されていた。
けれど私は、諦めなかった。
次に選んだのは地方競馬の道。
父がそうだったように、地方からでも夢を掴めると信じていた。
2年後、地方競馬教養センターを卒業し、晴れて園田競馬所属の騎手となった。
園田唯一の女性騎手として、私は一歩を踏み出した。
所属した厩舎は、かつての父のライバルだった鈴木次郎調教師の元。
父のことをよく覚えていて、私のことも娘のように接してくれた。
調教助手の岡田竜司さん、厩務員の中村勝博さん――
どのスタッフも優しく、仕事は厳しくても、私が女性だからと特別視することはなかった。
けれど、悩みは尽きなかった。
思うように勝ち星が上がらない、「女性だから」と馬主から騎乗NGを出されることもある。体重管理が厳しく、甘いものを我慢する日々。そして、特定の調教師や騎手によるセクハラ――
特にあの時、河東調教師後ろから胸を鷲掴みにされた時はさすがに鈴木先生に報告し、問題になった。
嫌なこともいっぱいあったけどそれでも私は辞めなかった。
「走ることで、生きている」と思えるようになっていたから。
騎手1年目は最初の1勝が遠く、夏の声が聞こえてくる頃にようやく1勝できた。
先輩騎手の代役のテン乗りであったが初勝利を飾った。
結局この年は208騎乗、6勝に終わった。
年収?多分大卒初任給よりは低いかな?
騎手2年目になりようやくお手馬と呼べそうな馬が増えてきた。といっても(地方の)実力馬には遠いレベルではあったがこればかりは致し方ない。当然ながら馬主の評判も良くないのは知っているのでこの馬たちのためにも少しでも勝ちを、でもなかなか勝てない日々。そして何度も出てくるが河東という調教師の皮をかぶった何かが私へのセクハラが本格化した年でもあった。それが一番の悩みの種であった。
この年は250程の騎乗となり、10勝。二桁勝利を達成した。
騎手3年目はお手馬も少しずつ増え勝ち星もようやく増えてさらなる飛躍をと意気込んでいた。
少しずつではあるが勝ちをかろうじて拾う日々。
そしてこの年も若駒が2頭、新たに入厩した来た。
そのうちの一頭の若駒、調教助手の中村さんが「コロ」と呼んでいたその栗毛の馬。
後に世界を制した名馬、リトルボス、その馬が入厩した。
最初の印象は2歳ではあるがそれでも小さい牡馬、地方とはいえダートでは不利だろうなぁと思っていた。そして性格は大人しそうに見えても調教では暴れん坊で、先生や先輩騎手が乗ろうとすると蹴る、暴れる、跳ね上がると散々、「誰が乗っても無理やな、こりゃ」と言われていた。
先生の意向で試しに私が乗ったら――驚くほど静かに動いた。
「こいつ……あんたのこと、気に入ってんのかもな」
その言葉の後、鈴木調教師と新城馬主が話し合い、…私はその日から、リトルボスの主戦騎手になった。
番外編はまだまだ続く、かも?
(寒さと花粉に弱いのでしばらくは投稿しないかもです。)




