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8/22

8.鶏ガラ醤油ラーメン(替玉)

 

「ごちそうさまでした」


 私はペーパーナプキンで口元をぐいっと拭って、そばに置かれた水のコップを手に取る。


 いやぁ、今回も美味しかった。

 さすが神凪シェフ。この麻婆豆腐はただ辛いだけじゃない。舌が痺れる辛さこそ彼のこだわりで、最高に美味しい理由だ。


 ショウから、神凪シェフとのコラボ第三弾があると連絡を受けたはいいものの、この間のジュノの事もあり、正直ホストクラブに行くのは気乗りしなかった。でも、来てみて正解だった。こんな美味しいものを食べ損ねたら一生後悔するところだった。


「よし、満足。じゃ、お会計ーー」

「いやいや、早いって!?おねーさん、ここホストクラブ!中華料理屋じゃないんだよ?」


 サクッと食べて即帰宅。回転率も大切なホストクラブでは悪くない客だと思うんだけどなぁ。

 ちゃんとチャージ料も払っているのに何が問題なのか、ショウは慌てたように私を再度座らせた。


「だって、別にやることないじゃない」

「ある!あるよ!ほら、その……会話とか!俺おねーさんに話したいこといっぱいあるな〜」


 なんだこいつ。

 ショウの態度がいつもと違うような気がするけれど、何が違うかは分からない。

 まあ、枠の時間はまだあるし、お酒も残ってはいる。


「お酒」

「え?あっ、はいはいもちろん、もちろんですとも!」


 私がポツリと言うとショウは大慌てで缶チューハイを用意した。


(やっーぱり何かおかしい!けど、ここまで変だと逆に気になってくる)


 こうなればショウが隠していることを吐かせてやりたい気持ちになった私は、どこかに綻びはないかとショウをじっと見つめた。

 ショウはそんな私の目線に耐えきれずか、ちょっと目を泳がしてから、苦し紛れに話し始めた。


「あー……っと、そうそう!神凪シェフがうちとコラボしてくれる理由って話してなかったよね。彼、数年前に海外進出したんだけど、飲食店の海外展開って簡単じゃなくてさ。現地の文化や経営ノウハウが必要で、そこを支えたのが彼女。外資系のフードビジネスを専門にしてる人なんだ」


 ショウが指したVIP席には、ジャケットを羽織った40代の品のいい女性がホストたちと談笑していた。


「藤井容子さん。うちのナンバー1のお得意様だよ」


 決して派手なわけではないけれど、彼女自身が発光してるかのように、自信に満ち溢れ輝いている。それは独身女性の目指すべき形のようで、興味を惹かれた。


「で、彼女の紹介で、うちのグループも神凪シェフの海外店舗に資本を入れることになったんだ。だから彼はうちと縁が深いし、オーナーとも交流がある。今回のイベントも、そのご縁ってやつだね」


 ショウの説明を聞き流しながら向こうの様子を伺っていると、こちらの視線に気付いたのか、容子が振り向く。

 肩口で切り揃えられた上品なボブヘアが揺れた。


(あれ……なんかこの人、血の匂いがする………?)


 ふと感じた違和感に、私は目を細めた。

 それに気が付いたのかどうか、容子はこちらにニコッと笑顔を残して、すぐに前を向いた。


「藤井さんみたいに、自分の仕事をちゃんとやりながらホストクラブにも通ってくれるお客さんって、うちではすごく大事なんだよね。おねーさんもさ、そういうの、向いてると思うんだけどな~?」

「え?あ、うん。そうだね……」


 私はショウの言葉を左に受け流し、一瞬よぎった血の匂いを探したが見つからなかった。

 うーん。まあ、きっと気のせいかな?だって私、お父さんほど鼻良くないもん。まあ、急に鼻が良くなるって事も考えられるけど…。


 すんすん。


 私は隣にいるショウの肩のあたりに鼻を寄せたが、何も匂わない。


「へっ…?あ、あの…….おねーさん!?」


 うん、気のせいだ。鼻が良くなったのならば、ショウの鶏ガラ醤油スープの匂いを私が見逃すはずなんてない。

 ってか……


「ショウ、香水変えた?」


 そのまま上目遣いに尋ねれば、ショウは驚いたのか数秒固まった。

 確か、ショウはバニラの香りだったはず。多少の甘さはあるけれど、バニラとは違う、もっと落ち着いたサンダルウッドのような香りがする。


「えっと、ちょっとだけ……」

「へぇ、いいね。私こっちの方が好き」


 ショウも少しは成長したみたいだ。最初の平成ホストから令和のイメケンに変わってきていることに私はちょっぴり誇らしくなって、笑顔でそう言った。


「……っ!!あー……ダメだダメだ!やめ!終わり!営業トークしゅーりょー!!……なんで美咲さんはそうなのかなぁ」


 ショウは無糖の缶チューハイをグッと煽って、ひとつため息をつくと、むすっとした顔でこちらを見てきた。


「調子狂う」

「え、なに?私何かしたっ!?」

「した。してる。ちょーしてる!!」


 ぎゃー、と喚くショウはうるさいけれど、いつも通りのショウだった。

雰囲気がいつものに戻った……ということは。

 知らぬ間に、彼が仕掛けていたなにかしらの策略が破綻したのだろうと察して、私は真っ向からショウを問い詰めた。


「で、結局あんた何がしたかったの?」


 ショウはむすっとしたままの顔で、私にジト目を向けた。


「……おねーさんさ、俺言ったよね?コラボの時は高いよ?って。なのにおねーさんご飯に釣られて毎回ちゃんとくるから、うちのオーナーが良い鴨だって目を光らせてんの!」


 ……何それ初耳なんだけど!?

え、私カモってこと?鴨ネギってこと!?


「うち今売り上げ良くないから、余計に圧かけられててさ。ちゃんと引っ張れって言われたんだけど……無理だわ無理無理。こんな摩訶不思議生物攻略できない!それに攻略したところで容子さんと違っておねーさんただのOLだし」

「なっ!?失礼な!私のせいにしないでよ」


 ショウが、はぁぁーっとまたため息をつく。

 能天気なホストだと思っていたけれど、彼には彼なりの苦悩があるらしい。

 ……んじゃ、ちょっと手伝ってあげる??


「ショウ、ちょっとこっち来て」

「なにさー」


 しぶしぶ、といった様子でショウが近くにやってくる。


 なんだかんだショウはいい奴だし一緒にいて楽しい。そんな彼が売り上げを伸ばしたいというのなら、ちょっとくらい協力してやるのも悪くない。


(よし、ちょろっと吸ってやりますか!)


 私はショウの肩に手をかけ、噛み付くために口を開いた。


「なにしてんの?」

「なにって、血吸ってあげるんじゃん」

「なんで?」

「え、私吸血鬼だし」


 キョトンとしたショウの前で私は首を傾げる。

 今更何を言っているんだ….?これまでだって散々吸ってきたのに。

 ショウは変な事を聞くな、と思いながら私はパクッと噛みつくーーはずだった。


 ガッと肩を押され、私はバランスを崩した。


「……え?」


 口の中に、血の味がしない。吸えてない。

 私を突き飛ばしたショウの顔は驚きに染まっていた。


「……ちょ、待って。いやいや、そんなわけないじゃん!? だって俺、そんなの気づかなかったし……! え、吸血鬼!? いやいや……」


 自分で言ってて混乱しているのか、ショウは頭をガシガシ掻きながら後ずさる。


「うん。だから言ってんじゃん、吸血鬼だって」

「いや、いや、そりゃ言ってるけどさ!? 言ってるけど、マジのやつ!?」


 ショウはオーバーリアクション気味に叫んだあと、一瞬考え込み——


「ていうか、前のあれ、血、吸われてたの!? 俺!?」


 そこで私もようやく、ショウが「気がついてなかった」ということに気がつく。


 ……おーっと、これ、私やっちゃったわ!

ヒカルやジュノたちの察しが良かっただけで、ショウは私が吸血していることに気が付いてないタイプの人間だったか!!


 困ったな、どうやって説明しようかな、と頭を回転させるが、良い言葉も出てこない。ショウは、いまだに混乱している。


(……あー、面倒くさいな)


 このまま大騒ぎされると厄介だ。私はそっと息を吸って、ショウがこちらから目を離したすきに、その首元に噛みついた。

 一瞬ショウは抵抗したけれど、次第に気持ちよくなっていったのが、私を剥がそうとする力が弱くなった。よし、こうなればもうこっちのもんだ!私はいつものようにカモフラージュとしてショウの首に腕を回し、その首筋から美味しいスープを啜り上げた。


(……あぁ、久しぶりの鶏ガラ醤油、やっぱりバカうまいわぁ)


 ーーにしても。

ショウが言った「摩訶不思議生物」という言葉。

知らずに使ったとはいえ、うまく言ったものだ。



 ◆◆



『いや、いや、そりゃ言ってるけどさ!? 言ってるけど、マジのやつ!?』


 ショウの声が聞こえた。6番のブースに目をやると、ショウが客に迫られてるところだった。首に腕をかけて抱きつかれてる。


(……へぇ、あいつもあんな事するんだ)


 Club GOURMETのNo.3、流生はちょっとした驚きを持ってその光景を受け止めた。ショウが友達営業ばかりしているとは聞いていたから、色恋のような事もできるのだと少しだけ見直したのだ。だというのにーー。


「……ねえ、なに、『ごちそうさま』って!俺はご飯なの!?しかもなに、チャームって!!じゃあ何、俺の今の気持ちも嘘ってこと!?」


(完全に振り回されてんじゃねぇかっ……!!)


 ホストクラブの営業中は、流生のナンバーの座も危ないかと思うくらいの勢いで売り上げを上げていたショウが、営業が終わった途端、急にスマホにかじり付き意味のわからない事をぶつぶつ言っていた。

 そんな姿に、堪らず声をかけた。


「ショウ、君さぁ、本気になってないよね?その女に」

「流生さん……」

「オーナーに、色恋に引っ張れって言われてたよね?君が引っ張られてんじゃないの?」


 ショウはオーナーに気に入られている。シオンの弟だと言うから当然っちゃ当然だけど、基本数字を出せないホストであるショウが、なぜ自分よりも優遇されるのか。 

  まして、オーナーがここ最近頻繁にコラボイベントを持ってくるのは、ショウとその女のためだと容子さんから聞いてしまい、余計に納得がいかない。


(ま、別に優遇されたところで、今のショウの伸びじゃ俺には到底勝てないけどね)


 ショウのムラのある接客じゃ、ナンバー入りは不可能だ。……ただ、ショウの調子が良い日が続けば、それもどうなるか分からない。

 だから少しだけ、揺さぶってみた。


「……そう、なんすかね?」

「え、なんだよガチなのかよ。分かってる?君、それホスト失格だから」


 少し大きな声でそういえば、周りのホストがこちらを気にし始めた。


「まあ、人間だし、そういうこともあるとは思うけどさ。でも自分のためにも、そういうお客さんは少し離れた方がいいんじゃない?今度来た時、俺がヘルプに着こうか?」


 心配してるような声を出す。

 あくまで、後輩思いの先輩としての忠告。周囲のホストもそんな風に俺をみてるだろう。そうして……気が付いた時にはーー俺に客を喰われてるんだ。


(まじでバカばっか。みんなでお手て繋いでNo. 1になれる世界じゃないってのに)


 流生はショウの返答を待った。

 ここで、「譲るわけがない」と言うならばまだマシ。「お願いします」なんて言う奴ならホストとしても男としてもダメだからさっさと辞めた方がいい。


(さて、オーナーお気に入りのショウくんはどっちでしょうーー?)


「いや、無理ですよ流生さんには」


 心の中で嗤っていたところにショウが冷や水をぶっかけた。


「……なんで?」


 真っ向から喧嘩を売られるとは思ってもみなかった俺は眉を顰めた。


「え、だって流生さん、最近ちょっとお疲れ気味じゃないですか」

「は?」

「いや、ほら、営業後めっちゃ水飲んでるし、ちょっとフラついてるときあるし……貧血とか大丈夫です?

いや、やっぱ無理無理、絶対ダメですって。耐えられませんって。俺のほうが体力あるし、流生さん着かせるくらいなら俺が死んでも着きます」


 ショウの言葉に、一瞬だけ沈黙が生まれる。


(こいつ、俺に向かって "体力がない" って言いたいわけ?)


 最初は貧血が何に関係するのかと思ったが、最後まで聞いて分かった。これはおそらく俺のことを年寄り扱いしてる。

 確かにショウより年上だが、まさかこんな煽りを受けるとは思わなかった。


「流生さん、引っ張られるどころか、吸われますよ」


 挙げ句の果てに、ショウは俺があの女に手玉に取られると言う。その言い方もアホっぽくて、こんな奴に煽られること自体が癪に触る。


(……決めた。こいつ、ゼッテー潰す)


 俺は平静を装いつつも心の中で固く決意した。


「まあ、会ってみないことにはどうなるか分からないだろ?今度来たときちょっとだけ話させてよ」

「それは、良いですけど………。隙を見せないでくださいね?」


(だから、お前なんかに色恋の心配されたくねえっつうの!!)


「もちろん。気をつけるよ」


 ショウの言葉は気に食わないが、これでひとつとっかかりができた。

 容子さんから聞いた話が本当なら、伊藤美咲は太客だ。ショウのメンツを潰して自分の売上をあげるには、これ以上ない条件の客。


 「彼女に会えるのが楽しみだよ」


 俺は心の中で、ほくそ笑んだ。




注)

【色恋営業】

客に「私、ホストと恋愛してるかも……!」と思わせる営業スタイル。

【友達営業】

恋愛感情を匂わせず、「一緒に飲んで楽しい!」を前面に出すスタイル。


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