7.韓国ラーメン
新年会の季節がやってきた。
12月に忘年会をしたばかりなのに、もう新年会。お店を探す幹事たちは大変そうだった。
わかる、分かるよ。どこも美味しそうだもんね。私もいつもどのラーメン食べるか迷うもん。
そう言ったら、そっちじゃないと一蹴された。なぜだ。
そんないつも迷いに迷っている私だけれど、今日の締めのラーメンはもう決まってる。最近ラーメンストリートに新しくオープンした韓国ラーメンのお店のコムタンラーメンだ!
牛骨スープともちもち麺が美味しいらしい。
新店舗らしく少し列が出来ている。
(15分…いや、20分くらいかな?)
それくらいなら全然余裕!!
上機嫌で列にならぼうとしたその瞬間。
「あ、すみません、うち、22時でラストオーダーなんで」
若いバイトのような子が列を締め切った。
「ぇえええええ……!!」
現在時刻は21時25分。確かに、今並んでる列が捌ける頃には22時になってるかもしれない。
でも、あと一人!あと一人なんとかなりませんかね!!
大人気なく縋ってしまいそうになったけど、店員さんが言うなら仕方がない。私はがっかりと肩を落とした。
「ああ、コムタン………」
そんな私の呟きを、さらに私の後ろに並ぼうとしていた男がふっと笑った。
「お姉さん、コムタンラーメン食べたかったんですか?」
振り返ると、背の高い男がいた。黒髪をゆるく流し、目元の涼しげな雰囲気が妙に印象的な男だ。
「ええ、まあ……シメに最高だなって思ってたんですけど」
「それなら、新大久保行きません?」
「えっ?」
「日本のとはちょっと違うかもですけど。本場のコムタンラーメン、食べに行きません?案内しますよ」
そう言って、彼はにこっと微笑んだ。
……怪しい。
韓国料理店の回し者か?高額請求されちゃったり?
私は相手を改めてしっかり見た。
薄手のセーターにシュッとした形のショートダウン。アクセサリーは身につけておらず、手にスマホも持っていない。
もしキャッチなら、片手にスマホを持っていて二言目には、お店に確認してみますねー、と言うものだ。
(一応、そういう感じではないな)
それならばーー
「美味しいラーメンが食べられるなら」
私は彼の誘いに乗ることにした。
「俺、ジュノって言います。よろしく」
「美咲です。よろしく!」
知らない人にホイホイついて行くのはどうかと思うけども、まあ大丈夫だろう。行くと決まれば、本場の味が楽しみだ!!
◆◆◆
ジュノが連れてきてくれたのは、表通りのキラキラしたお店ではなく、一本入ったところの、まさに地元のお店というような食堂だった。
うはー!!テンション上がる!
こういうローカルなお店っていいよね。もう絶対美味しいじゃん!!
私がウキウキしているのを見て、ジュノは「ここに座っててください」と促しながら、慣れた様子で韓国語で注文を済ませる。
「ジュノくん、韓国語喋れるんだ」
「両親が韓国人なんです。俺は生まれも育ちも日本ですが」
「いいね!どっちの食文化も味わえるなんて最高だね!羨ましい」
「……その反応は、初めてですね」
ジュノが不思議なものを見る様に私を眺めた。
その間にもテーブルには次々とおかずが運ばれてくる。
「すごい!これ全部セットなの?」
「そうですよ。韓国では普通ですよ」
「どうしよう。もう既にハマりそう…」
ナムルとキムチが4種類ずつに、小魚の揚げ物。ふわふわのたまご蒸しの様なものも出てきた。
締めラーメンのつもりだったけど、これはもう普通に一食分だ。
体重?カロリー?そんなの気にしちゃダメだ。
これは韓国文化なんだから、丸ごと味わないと!
そして、ついにお目当てのコムタンラーメンが出てきた。韓国ではコムタンククスと言うらしい。
「はあぁぁぁ……。牛が、牛の優しさが染みる〜〜!!」
噂通りのもちもち麺が啜るとスープと一緒にツルッと口の中に入ってきて心地よい。
これはもしかして締めとしては最高なのでは?もう今年のMy締めラーメン一位が決定しちゃったかもしれない!!!!
「そこまで喜んでもらえると誘った甲斐がありました」
ジュノのところにもラーメンが運ばれてくる。でも、よく見ると私のとは違う。
小ぶりの鍋ごと提供される、それは……
「辛ラーメン?」「はい。ここ、常連なので特別に作ってもらいました」
そう言いながら、ジュノが店員さんに韓国語でお礼を伝えていた。
「辛ラーメンって、こうやって食べるんですよ」
ジュノはそう言って、鍋のフタをひっくり返した。
「……?」
目の前には、赤く煮えたぎる辛ラーメン。小鍋たっぷり入ったそれは、カップ麺とは比べものにならないほど本格的な香りを放っている。きっと何かが追加されているに違いない。
「フタに麺を乗せて、ちょっと冷ましてから食べるんです」
ジュノが箸で器用に麺を持ち上げ、フタの上にちょこんと置いた。
「韓国のインスタントラーメンは鍋のまま食べるのが基本だから、こうすると食べやすいんですよ」
「へえ、確かに熱そうだし……合理的」
面白いな、と思いながら見ていたら、少し冷ましたそれをジュノが私の方に差し出してきた。
「さ、どうぞ」
「……?」
「口開けてください。韓国ではこうするんです」
サラッとジュノがそう言った。
ほんとか!?だってこれ、つまり、あーんってことだよね??え、まじ?でもちょっと、それは恥ずかし…
「美咲さん、冷めちゃいます」
あ、はい。食べます。
ジュノの言葉に私はパクッとくらい付いた。
◆◆
ジュノはどこまでもスマートだった。
お会計の時も、私がお財布を持って支払いを待っている間に、電子マネーで、ピッと終わらせられた。
「俺が誘ったんですから、気にしないでください。むしろ、ついてきてくれてありがとうございました」
いい笑顔でそう言われてしまえば、引き下がるしかない。
(…なんか、すごくいいデートだった)
いや、もちろんデートなんかじゃないことは重々承知しておりますよ?でも、もしこれがデートだったら最高だなって話ね!
父の発言のせいか、最近なんとなく「出会い」とか「将来」とか、考えることが増えた。今まで、「どんな人が好き?」なんて深く考えたことはなかったけど——
(こういうデートができる人って、やっぱり素敵かもしれない)
美味しいご飯を一緒に食べて、支払いはスマートに済ませて、最後に「ありがとう」って笑う。そういう人と付き合ったら、きっと楽しいんだろうな。
(なんだろう、「ご飯をくれる人」が好き……?いや、それは流石に食い意地張りすぎか)
程よい酔いと満腹感のなか、そんなことを考えながら、ジュノと一緒に新宿駅方面へと戻る。
少し歩いたところで、ジュノが、はっと気がついたように、ダウンのポケットを広げた。
「美咲さん、手。入れるとあったかいですよ」
「え、いやいやいや、それは流石に……」
「女性に冷えは大敵ですから」
そう言ってジュノがひょいっと私の手を掴んで彼の手を絡める様にしてダウンのポケットに入れた。
な、なんだこれーー!?
ジュノの行動が読めない!そして、抜けない!!
私の知っている恋愛事情ではあり得ない、手慣れた行動に慌てふためくも、ここは、乗ってしまえ、と囁く自分がいる。
(もしかしたら、こういうのが、「出会い」ってやつかもしれないーーー)
「着きました」
まだ新宿駅には着いてないはずなのに、ジュノが突然立ち止まる。
目の前には特徴的なシダの装飾。店の名前は——The Spice。
私の脳内に警報が鳴り響く。
まさか、そんな。いや、そんなわけ——。
「着きましたよ、美咲さん」
ジュノが振り返り、ニッと笑った
「……え、あの、ここって」
「俺の働いてる店です」
——やられた!!!!!!
こいつ、ホストだ!!!!
ちょっとでも「いいかも」って思った自分がバカだった!!!
慌ててその場を離れようとするが、ここで「右手ポケット拘束作戦」が効いてくる。
くっ、抜けない……!
「美咲さん、逃げないでくださいよ。こないだはあんなに楽しそうじゃなかったですか」
「こないだ!?会ったことないわよジュノなんて!」
The Spiceにはシオンの嫌な思い出しかない。
あとは、コショウとシナモンとーー。
「忘れられてるのは悲しいですね。ジュノは本名、源氏名はシン。辛ラーメンの味だって、喜んでたでしょう?」
唐辛子のホスト!!!!
言われてみれば確かにそうだ。あの時はもっとヘアセットも決まってたし、アクセも派手だったから気づかなかったけど、こんな顔だった様な気がする。
て、いうか…
「記憶、あるんだ」
「うっすらですけどね。防犯カメラで確認した時は驚きました。あなたはご飯を食べるみたいに思い切り噛みついてた」
ジュノは逃げ腰になる私の空いている左腕までしっかり掴んで、完全に逃げ道を塞ぐ。
「あなたに吸われてから、俺、おかしいんです。変にすっきりして、いつもと違う。でも何が違うか分からない。だから、もう一度ーー」
ガプリ。
私はジュノの話も聞かず、ダウンの襟に頭を突っ込み、思いっきり噛み付いた。
ちゅうううううう。
いつもより多めに吸えば、彼はしばらく動けないだろう。案の定、ぼやっとし出した彼を私はお店の前の柱にもたれさせる。ここに置いておけば誰かが回収していくだろう。
「……まっじで!この店のホスト嫌いだわ!!」
ただ、口に広がる辛ラーメンの味の血はとんでもなくおいしくて、それだけは間違いなかった。
◆◆
The Spiceの休憩室で、ジュノはシオンに電話をかけた。
「もしもし。俺ですジュノです。ーーはい、間違いありません、彼女は吸血鬼です」
ふらつく頭を壁にもたせかけながらそう伝えると、シオンが奇妙そうな声を出した。
「そう…?じゃあこないだのはなんだったのかな……まあ、良いや。オーナーの言う通りってことだね」
「はい、それと……」
美咲に吸われてから、感じているこの不思議な感情。今回は吸われた血が多かったためか、より一層強くなっている。
(彼女に会いたい)
「どうしたの?」
シオンの声で我に変える。
「いえ……なんでもありません」
たった2回会っただけなのにこんな感情が生まれるなんて理解してはもらえないだろう。ましてや、俺たちはホストなんだ。
報告を終え、電話を切った。
『どっちの食文化も味わえるなんて最高だね!』
不意に彼女の言葉が蘇る。
「国に帰れ」と吐き出されたことは数あれど、あんなに無邪気に肯定されたのは初めてだった。
(もう一度、会いたい)
きっと、彼女は嫌な顔をするだろうな、と思いながらも、それはそれで面白そうだと俺はゆっくり目を閉じた。