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4.塩ラーメン(2)

 

「また会いましたね。伊東美咲さん」


 至る所にシダ植物が飾られた店内にまるで馴染んでいない男、今日の昼間、私を助けてくれたパーカーの人が立っていた。


 さっきはフードで顔がよく見えなかったけど、こうしてまじまじと見ると、ホストとして相当なポテンシャルを感じる。派手じゃないけど端正な顔立ちに、無駄のないスーツ。人差し指のリング以外にアクセはほぼなく、ホストにしては落ち着いた印象すらある。


「ど、どうしてここに……?」


 まさか、こんなに早く次のキャストが、しかも顔見知りがやってくるとは思っていなかった私は、ずるりとソファに落ちてた体を慌てて引き上げる。


「どうして、とは。ここ、俺が働いてる店ですが」

「あっ、なるほど」


 ですよね!

 いや、うん。そりゃ一般人が混じってるわけないもんね。ここにいるってことはホストに決まってる!!


 当たり前の質問をしたことに恥ずかしくなって慌てて水に手を伸ばす。その間にシオンは私の隣に移動した。拳2個分ほど離れた適切な距離を保ったまま、シオンはサッと胸ポケットに手を入れ、シルバーの名刺入れを取り出した。


「どうぞ、The Spice のシオンです。塩谷…とは違うかもしれませんが、同じ『シオ』ということでどうでしょう?」


 ホストクラブ名物の名刺は、シンプルに白と黒。黒背景にシオンが咥えたタバコの煙が白く浮き出ていて美しい。

 これは…クオリティが高い!!!


 手渡された名刺の美麗さに言葉を失っているとシオンが軽い調子でとんでもないことを言い出した。


「本名は鳥井蒼空。Club GOURMETのショウの兄です」

「えっっっ!!!???」

 思わず声が裏返った。


「……もしかして、知らずに来たんですか?」

「知ってたら普通来ませんよ!?」


 ちょっと待てよ。ショウの兄ってことは、ホスト家系なの??? 普通兄弟でホストとかなるもん??

 まあ、でもたしかに顔は似てるかも……雰囲気だって、落ち着いていてどことなく人を惹きつける感じとか、ふとした仕草に余裕があるところとか。私が吸血した後のショウにそっくりだ。

 驚きに目を見張る私にシオンもちょっと驚いた様に返す。


「知ってて来たんだと思ったんですが」

「いいえ、違います!! 完全に偶然です!!!」


 だって私はただ、初回1000円 に惹かれて来ただけで……いやむしろ、この情報知ってたら逆に避けてたよ。なんか気まずいじゃん!


「そうですか、それは驚きました」


 シオンはあっさりそう言うと、ゆっくりと名刺入れを胸ポケットに戻す。その動きに誘われるように私がじっと見つめていると、顔の向きは胸ポケットに向いたまま、目線だけでこちらを見て少しだけ微笑んで見せた。


 ……あ、やばっ、これ、好きなやつ。


 悔しいことに、少しだけドキッとしてしまった。

 困ったぞ、この人、私の好きな笑い方をする!

 いや、ダメだだめだ。この人はショウのお兄さん。しかもホスト。どう考えても営業なんだから、例え私の好みのタイプだったとしても、本気になったりなんてしたら……


 そんなことを考えていたらふと、良い匂いがした。あっさりしていながらコクのある、それはまさに……塩ラーメンだ。


 匂いの元はすぐに見つかった。シオンの首筋に引っ掻いたような跡がある。もう瘡蓋になっているけれど、それは間違いなく美味しい美味しい、血の匂い。


(そうだよ…ショウのお兄さんということは、この人も鳥井……となると、まさか、鶏がら塩ラーメン…!?)


「美咲さん、お酒飲めますよね。好きなのあれば教えてください。お作りします」

「あ、えっと…じゃあハイボールで」

「いいですね。俺も同じのいただいても?」


 柔らかな笑顔を見せるシオンに私は平静を装って頷き、必死で自分の手の甲をつねる。


 やばいやばいこれはヤバい。こんな良い香り、吸うしかない。いや、吸っちゃダメだけど、吸うしかない!!!

 だってめっちゃ美味しそうな匂いする!!!!!


 一度意識してしまうと、もう止められない。

 すでに3人分の吸血をしており、充分に高まっている私の体は、ドリンクを作るシオンの無防備な首元に吸い寄せられるように動き、気がつけばあとひと噛みというところで――


「……なにしてるんです?」


 ピタァッ!!!

 耳元で低い声が響いた瞬間、私は全身が凍りついた。 


 しまった。今、完全に吸血する流れだった。

 あれっ…おかしいな。ここまで我慢できないなんて、なんだこれ、本能??

 いやでも私今日血を吸うために来てるしな…ってだめだめ!今回はショウのお兄ちゃんなわけで、流石にここは理性が勝たないと。


 私は咄嗟に言い訳を探した。

「え、えっと、いや、その……!」

「八重歯、かわいいですね」


 『八重歯、かわいいですね?』

 シオンのその一言が、私の脳みそをバグらせた。


 えっ? なに? それってどういう意味??? もしかしてホスト特有の営業トーク?? いやでも今までの誰にもそんなこと言われなかったぞ?そもそも今の流れでそのセリフを選ぶ!? 八重歯を見せるように可愛く笑ったわけでもないしむしろ今って完全に……

 噛みつく寸前だったんですけど!?



「……もしかして、噛み癖あります?」


 追い打ちをかけるように、シオンは穏やかに笑った。

 なんかもう、完全に見透かされてる気がする。


「え、いや、その……えっ、あの……」


 私は必死に言い訳を探そうとするけど、シオンの微笑みに思考がぐちゃぐちゃになる。

 シオンの態度が落ち着いていて、めちゃくちゃ余裕のある雰囲気で、正直、何を言っても逃げられそうにない。


「もし良かったら、どうぞ」


 そう言ってシオンは胸元のボタンを外して肩の筋肉からなだらかに続く首元を開けて見せた。


 ……いやいやいやいや、何故そうなる??

 なに、ホストってこんなに包容力ある生き物なの??

 普通、こういう場面なら「え、なにしてんの?」ってドン引きされるとか、「もしかして吸血鬼?」みたいな反応になるはずじゃないの???

 それなのにこの人、『もし良かったら』って、そんな余裕たっぷりの笑顔で差し出してくるの何!?!?


「あの……えっと……」


 言葉が詰まる。


 シオンの首はすぐそこにあって、塩ラーメンの良い香りがする。

 理性が飛びそう。いや、むしろ飛んでる。というか、もう――――落ちてる。


 どくんどくんと自分の心臓の音がいつもより大きく聞こえる。


 ホストの血が美味しいそうだからドキドキしてるだけなのか、それとも……

 混乱しすぎて頭がパンクしそうになった私は、ほぼ条件反射でその場から立ち上がった。


「……っ、失礼しました!!」


 わけもわからず、お店を飛び出す。


「えっ、あっ……」


 後ろからシオンの声が聞こえたけど、振り返る余裕はなかった。

 とにかく、これはヤバい。

 なんか、すごくヤバい気がする。


 だって、あのままいたら……私、本当に吸ってた……!!!そして多分、止まらなかった!!

 そんなことになったら……!


(私、ショウのお兄さん失血死させてたかもしれないっ!!)


 雪の降る夜、いつもより人の多い歓楽街を、私は転ぶことも気にせず駆け抜けた。


 ◆


 美咲が飛び出して行った席では、シオンが飲まれることのなかったハイボールを見つめ、『もったいないね』と呟いて口をつけた。


 片手にスマートフォンを取り出し、電話をかける。


「……あー、もしもし、オーナー?こないだ言ってた件、勘違いかもね。うん。普通の昼職って感じだったよ」


 ソファに深く座り直した彼は長い脚を組んで電話相手の質問に怪訝そうに答えた。


「まあ、確かに気になるところはあったけど。でも、だとしたら尚更、ショウには相応しくないと思う」


 2、3言話した後、シオンは電話を切った。そしてまた一口、ハイボールを口にした。



 ◆◆◆


 …1ブロック走ったところで、息が切れた。


 ぐちゃぐちゃの感情を吐き出す様に、息をする。ひさびさに感じるこの感情は一体なんなのだろうか。


(…ああ、もう…。塩ラーメン、食べたかったなぁ)


 大人げなくも涙が出た。

 瞳に溜まった雫を払って深呼吸をした時、聞き覚えのある声がした。


「え、おねーさん、何泣いてるの」

「……ショウこそ、こんなとこで何してんの」

「いや、俺は送りの帰りだけど……え、おねーさんって泣くんだ…」


 びっくりした顔を見るにショウには私が血も涙もない人間に思えていたとみえる。

 見知った顔に出会ったことであっという間に引っ込んだ涙の最後の雫を払って、ひとつ息をつく。


「違うから。これ、悔し涙だから」

「悔し涙?」

「そう、例えるなら食べようと思ってたアボガドが手を噛んできたもんだから、びっくりしたのと、むかつくのと、痛いなってのと……とにかく、そういうやつだから」

「うん、なんでそこでアボガドなのか、全然分からないんだけど……そっか、痛かったんだね」


 ふわもこのカーディガンの袖をだらっと引っ張って着ていたショウが、手を伸ばして私の頭に触れた。


「美咲さん、よーし、よーし」


 二度ほど手を動かしてショウがさっと一歩下がり「ごめん、冗談、怒んないで」と早口で言っている。


 私は一瞬何が起きたか分からずに突っ立っていたが、そのうち、何もかもがおかしくなって、笑ってしまった。


「ふ、ふふふ、ふふふふ」

「ねえ、ごめんてば!!怖いって!!」


 ショウがさっと地面に膝をついた。ホストらしく土下座にも慣れっこなのかもしれない。


 雪が溶けてぐちゃぐちゃの地面に跪くショウに、私は手を差し出す。


「ごめんごめん。怒ってないよ。むしろありがとう。……あんたのおかげで、アボガドに慰められても同じ気持ちになるって分かったわ」


 ショウと話していて、気がついた。シオンに感じた感情は別に特別なものじゃない。ただ……そう、締めのラーメンが喋ったからちょっと驚いただけなのだ。


(……昨日も今日もたくさん飲んで吸ったから、体調が良くないってのもあったのかも)


 ショウは私の表情に怪しいところがないかをよく見てから、私の手を取って立ち上がった。


「え、アボガドって俺のことだったの?」

「例えよ例え。あんたはどっちかというと鶏ガラ醤油」

「それって俺が鳥井だからでしょ。てか、表札勝手に見ちゃだめだからね?」

「見えちゃったんだもん。仕方ないでしょ」


 ショウが肩で私を軽く突き飛ばす。それが気に入らない私はその倍の強さでやり返した。


「今日どうするの?うち寄ってく?」


  Club GOURMET が見えて来たところでショウが尋ねる。


「行かない、高い」

「そう言うと思った。でもじゃあなんでこっち向かってるのさ。駅向こうだけど………ああ、締めか。今日は何食べるの?」

「塩ラーメン」

「イブに??」

「そう、クリスマスイブだから良いんじゃない」

「ふぅん。じゃ、俺も行こ」

「働きなさいよ。稼ぎどきでしょ。」

「ざんねん、俺、売れてないから」


 ヘラっと笑うその笑顔はシオンとやっぱり少し似ていて。

 ただ、何となく、ショウの方が落ち着くかもしれない。


(……やっぱり、庶民には鶏がら醤油の方が馴染みがあるってことなのかな)


 そんなことを思いながら、雪の降る夜、私達はいつものラーメンストリートへと向かった。



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