3.塩ラーメン(1)
カーテンの隙間から漏れる光が眩しい。
光を遮るように目元を隠し、全身を起こす。寝ぼけまなこで辺りを見回すと、見覚えのない部屋の中だった。
「……どこ、ここ!?!?」
脳が回転を始め、昨日の記憶がフラッシュバックする。
Club GOURMET でルナ姫がお礼にとボトルをショウの卓に付けてきて、それが結構美味しくて、締めの一杯だーって混ぜそばを食べて、それから……
「ぅうん……OLさん、うるさい」
声の主は私のいるベッドの下からだった。
もふもふの白いラグの上にベッドとローテーブルに挟まるようにして、何故か上裸の鶏がら醤油ラーメン……もとい、ショウが寝ている。このシチュエーションはまさか…
(なんで、こいつは上裸なんだ…?冬だぞ?)
二日酔いのあまり働かない頭で、なんとか理解しようと凝視していると、ショウが徐に起き上がり、私のいるベッドの淵に頭をのせた。
「OLさん、おはよ。……昨日はすごかったねぇー。俺あんなすごいの初めてで……ぶふ!」
その言葉を言い終わる前に私は掛け布団をショウに被せて起き上がる。
ショウが上裸になってる意味はわからないけれど、おかげで確証が持てた。もし、何かあったのなら、今頃ショウの首には吸血跡がありありと残ってるはずだ。
(危ない危ない。ほんと、記憶飛ばすほど飲酒した状態で吸血してたら失血死させてたかもしれないからね)
最大の懸念が払拭されて安心した私は立ち上がってさっさと身なりを整える。無視されたショウは不満げに唇を尖らせた。
「ちょっと、おねーさん、家の場所全然言わないし、ふらふらで、俺1人でここまで運んでくるの大変だったんだからね?わかってるー?」
「うっ…それは、ごめん。社会人として大失態だわ。でも、何もなかったのにそんな匂わせしてくるから…」
「ああ、これ?こういう時、服着てない方がホストっぽいかなーって思って」
そう言ってショウが、一つくしゃみをする。
「…仮にもホストなら、布団に潜り込むくらいしてみなよ…って、ああ、もう、そうじゃなくて」
ついついこのホスト一年生を見てると小言が口をついて出てしまうのは何故なのだろうか。上手く言えない私は、仕方なく掛け布団を取り上げて、上裸のショウをぐるっと包み込む。
「…気、使ってくれてありがとう。でも、風邪引かないで。今日も仕事でしょ」
土日休みの私と違ってショウは今日も仕事だ。先に社会で揉まれてる先輩として、これ以上長居して邪魔もしたくない。
そんな私の思いをよそにショウはなんだか嬉しそうな顔で目を輝かせた。
「……え、なになに?もしかして、今日も来てくれるの?ついに指名?俺のこと指名しちゃう?」
「ない、高い」
すぐに調子に乗るショウをばっさり切り捨て、私は玄関にかけられていた自分のコートを手に取った。
部屋を出る時、じゃあまた、と言いかけて、それで良いのだろうかと少し悩んだ。
(別に、clubGOURMTEじゃなくても、ただ締めを飲むだけなら、他のホストクラブもあるし。また行くこと、あるのかな?)
振り返ると、私が寝ていたまだ暖かいベッドにさっさと潜り込んだショウが、手を振っていた。
「おやすみー!」
うん、まあ、これでいいのか。
私もショウにつられるように、おやすみと言って扉を閉めた。
◆ ◆
「げ、降ってる!!」
外に出るとちらちらと雪が舞っていた。
太陽も出ているので日中は積もることはないだろうけど、それはそれで危ない。
ショウの家は小さなアパートで、階段幅がやや狭かった。だからか、私が2階から降りるとき、ちょうど登ってこようとした人が、脇に避けて待ってくれた。
カンカンとヒールが鳴るのがうるさくて、音が響かないように少し不自然になりながらも、できるだけ急いで降りるなかで、私は今しがた目に入ったショウの家の表札を思い出していた。
(鳥井ってかいてあった…)
鳥井。つまり鳥井ショウ。
なんだそれ、もう名前からして鳥がら醤油じゃん。
ふふッと笑った瞬間、見事に踏み外した。
「っうわ!」
階段下で待っていてくれた人が上手いこと手を取って助けてくれたのが幸いだったけれど、相手に迷惑をかけてしまった。
「す、すみません!」
「いえ。大丈夫ですか」
雪よけにフードパーカーを被った男性からは豊かな木の香りがした。…最近バニラの香りの男しかそばにいなかったので新鮮だ。
「滑るから、気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
助けてもらった手を見つめ、改めて私はその男性の顔を見た。
黒いパーカーのフードの中から少しだけ覗く顔には、どこか見覚えがあるような気がする。…いや、気がするだけかも。二日酔いの脳みそなんて信じられない。それに今はそんなことよりも気になることがある。
私は再度丁寧にお礼を言って、再び自分の閃きに集中する。
鳥井ショウ
…もし名前と血の味に相関関係があるのだとしたらこれはとんでもない大発見だ。
徹底的に確かめてみないとならない。
タイミングよく空が陰る。運が良ければ雪はこのまま降り続くだろう。そうなれば……作戦決行だ。
だって雪の日は、初回が安い!!
◆◆◆
『The spice』
ラーメンストリートの隣にある歓楽街のブロックをふたつほど行ったところ。スパイスをテーマにしたホストのキャラづくりと異国風の店の雰囲気が特徴的で、ホストの接客も1辛〜5辛まで選べるというのがネットでは評判だった。
まあ、そんなことより私の目的はこっちだけどね!!
私はスマホの画面をすすーっとスクロールしてサイトのお知らせ新着ページをタップする。
\ご新規様優待!!/
通常初回5000円のところ、雪の日特典でなんと1000円!!
はいきたー!やっぱり初回は安い!!昨日の酒がまだ微妙に残ってるけど、こんな日を逃すわけにはいかないもんね!!
私はうきうきとシダで覆われたお店の中に入って行った。
◆
「カレー!」
「唐辛子!」
「シナモン〜〜!?!?」
座席でクタッとするホストを前に、私は驚愕に目を見開いた。
間違いない。名前と血の味には相関がある!!!
The spiceはスパイスがコンセプトのお店だからホストの源氏名もスパイスに準じた名前が与えられている。そこも今回お店選びのポイントになったわけだけど、まさか本当にその通りだとは思わなかった。
いや、でもまてよ?こないだ行った背脂たっぷり豚骨ラーメンは源氏名が『ヒカル』だったような…?
え、もしかして本名が豚丸とかだったりする??
うーんと考えながら、再びシナモン味の血を啜る。うん、シナモンはラーメンに合わないね。それだけは間違いない。
口直しで水を一口飲んだ後、用意してきたウェットティッシュで噛みついた後を軽く拭き、恍惚の表情を浮かべるシナモンホストを揺さぶって目覚めさせる。
目を覚ましたホストは不思議そうな顔で、次、呼んできます、といってふらふら消えていった。
ちなみに何故か全てラーメン系の味がするのは、おそらく私の個人的な好みが反映されている。昔、吸血について聞いた時、父は「お酒の味がする」と言ってたし、そういうことなのだろう。
(となると、私はこれからラーメンに合うホストを探さないといけないってこと……?)
めんどくさい!!!!
飲み会の締めにサクッと安く吸血したいだけなのに、毎回探さないといけないとなると話が違ってくる。
「あー、でも塩谷とか潮田とか、塩系だったら、結構いるかも。私塩ラーメン好きだし」
「では、シオン、はどうですか?」
私のつぶやきに、耳に心地よい低音が返ってくる。
新しくブースに入ってきたのは、長身の男。
ホストにしては暗めの落ち着いた髪色、テカリのあるスーツはホストらしくはあるが、鍛えられた体にぴったりで少しも安さは感じない。整った顔立ちに豊かな木の香りーーー。
「また会いましたね、伊東美咲さん」
それは今日ちょうど、階段から転げ落ちた私を助けてくれた、あの人だった。