20.鶏ガラ塩ラーメン(2)
≪はいっ!はいっ!はいっ!はいっ!!≫
七色にギラつくド派手な台車の前で、シャンコ隊がさらにギアを上げてくる。
片手でリズムを刻みながら、店内のテンションを爆上げしていく様は見事だけれど、目立ちたくない私にとったら苦行でしかない。
……もういいから早くシャンパン開けてくれって!!
そんな私の願い虚しく、彼らの息ぴったりなコールは続く。
≪なんとなんと!!(なんとなんとぉ)こちらのお姫様!(はいっ)初シャンパンが詫びシャンで、誠意を見せたいとのハ・ナ・シ!マイク指定は黒服からおまかせでって言うもんだから、俺がひと肌脱いでやりました!!≫
その言葉に店内は大盛り上がり。店内のホストは立ち上がって拍手するし、お客さんはキャーキャー騒いでる。
なんだかいつものシャンパンコールとは雰囲気が違うなと感じながら、私はなぜこんなことになったんだ、と記憶を遡った。
こないだショウに言い過ぎたことが引っかかって、ネットでホストへの謝り方を調べてみたら「詫びシャン」と言うものが出てきた。
他店に行ったり、他のホストを指名したり――担当に後ろめたいことをした時に、謝罪と誠意を込めて下ろすシャンパン。
それが詫びシャンらしい。
……あれ?なんか私当てはまってない?
The Spiceに行ったし、流生も指名したし。
そりゃショウも文句言うよねって、検索結果を眺めながらようやく理解した。
(これはもう、やるしかないかも。詫びシャン)
ショウが私に客でいることを求めるならば、私も客としてホストクラブの流儀に則るしかない!!
そう決意してClub GOURMET に電話してみたらーー
『あぁ!!伊東美咲さんですね!?ショウの!はいはい……え?詫びシャンの予約?ネットで調べた?カフェドパリ?………いやいやいや、ダメですって、記念すべき初シャンパンですから!もっと美味しいやつにしませんか!?
オススメのがあるんですよ。はい、もちろん!大人しめで可愛いやつ!……ばっちり予算内に収めますから。
あとマイク指定はどうします?黒服であれば誰でも良いと……じゃ、おまかせですね!!』
ーーで、こうなった。
大人しめと言われて出てきたのは、表参道のイルミネーションが裸足で逃げ出すレベルのキラキラシャンパンだった。
……あああ、やられた!!
いや、確認しなかった私も悪いのかもしれないけどさ!?普通、黒服にマイクお願いしてこんなテンションで登場してくると思わないじゃん!?
そっと隣を見れば、ショウも目をまんまるにしてフリーズしている。……ね?想定外すぎるよね!?
やらかした……と、現実から目を背けたくなったそのとき。
電話口で私を華麗に転がした黒服が、自信満々にニヤリと笑って自分を指差した。
≪さすが俺、やることが(違う!)顔も(良い!)売上も(日本一~~~!!)……まあ、元だけどな≫
……元ホストだった。
そりゃ口もコールもうまいわな!?
「いや、なにやってんですか!?拓実さん、オーナーですよね!?」
しかもオーナーかよっ!!
ショウの声に、黒服――拓実は「せいかーい!」と嬉しそうに指を鳴らした。
呆れと困惑の入り混じった顔で、ショウが私を見る。
やめて!その目!!責められても困るから!!こっちは好きで引き当てたわけじゃないの!オーナー?元ホスト?知らんがな!勝手に来たんだってば!!
ぶんぶんと首を振る私に、ショウはさらにジト目を向ける。
「おねーさんいつも『お金ない』って言ってるじゃん」
「それは……そう!そうだけど……」
「これ、小計で10万だよ!?」
「しょっ!?……チャージ料、指名料、イベント代とか全部込みじゃないの!?」
声が裏返った。拓実に伝えていた予算10万円。いやいや、嘘でしょ!?あれがボトル代だけだったの!?
って、ちょっと待て?となると今日の合計って!?!?……いや、考えるのやめよう。
脳内電卓をそっと閉じて、私は小さく深呼吸した。
ホストは、売り上げで支えるもの。
これもネットで学んだことだ。それが客というものらしい。それに、
(ちゃんと「客」をやるって、決めたじゃん)
私は奥歯をぐっと噛み締めて腹を括った。
まっすぐにショウを見つめる。
「詫びシャンだから、誠意見せないと」
「……は??いやいや、なに言ってんの!?なんでそこで急に男気!?てか詫びシャンってなに?なんの詫び!?」
ショウが理解不能という顔で眉を寄せる。
「そんなの、決まってるじゃん。こないだ……私、酷いこと言ったし」
「気にしてないって!いや、気にはした。したけど……でも俺がホスト向いてないことなんて、自分でも分かってるし。そんな理由でシャンパン下ろしたのっ!?」
ショウが不愉快そうな顔で私を見る。
「そんな」ってなんだ。
私は必死に、どうしたら分かってもらえるか考えたのに。
ショウの態度からは本気で「こんなの要らない」って思ってるのが伝わってきて、苦しくなる。
詫びシャンなんて、迷惑だったのかもしれない。
咎めるような声に、胸がチクリと痛む。
「まじで意味わかんないって。なんで……これも“なんとなく”なわけ?」
コールが続く中、ショウが混乱したように呟いた。何かの答えを探すような、私を疑ってるようなその言葉にーーぶちっときた。
黒服が私にマイクを向けてくる。
シャンパンコールの中で、姫も何かひと言言わないといけないらしい。
こちらの気持ちを全然理解してないショウにカッとなった私は、差し出されたマイクを掴んで勢いのまま叫んだ。
「なんとなくなわけ、ないでしょ!!」
声が、予想以上に響いた。
ショウが呆然とした顔で私を見ている。シャンパンコールの音が一瞬、遠のく。
「嫌だったからに決まってるじゃん!!」
あの日のこと、全部、まだ心に残ってる。
ショウに「ホストクラブ向いてない」って言われたのが、嫌だった。「応援なんてできないでしょ」って笑われたのが、嫌だった。ーー客になれないなら、もう来るなって言われたみたいで、嫌だった!
自分では売れてないって言いながら、ショウにはちゃんと“お客さん”がいる。私よりでずっと可愛くて、素直で、シャンパンもさらっと入れられるような子たち。そんな子たちのシャンパンなら、ショウはきっと、こんな顔しない。
でも、私だって応援してるのに。それを信じてもらえないなんて、不公平だ。
「私は、ただのOLで、高いボトルも下ろせないし、“いい客”じゃないのはわかってる」
イベントの時だけ来て、ご飯食べて、たいした売上にもならない。ショウにとって、厄介な客なんだって。そんなの……わかってる。
「……でも、一緒にラーメン食べるの、好きだから」
ぽつりと溢したその言葉に、なんだか涙が出そうだった。取り繕うことなんて、もう、できない。
「ショウのその、底抜けにアホな優しさが、好きだから」
素直な気持ちが、どうしようもなく溢れ出た。
ショウの瞳がチラリと揺れた。
「ショウは私の担当なんでしょ? だったら、私だって……シャンパン入れたって、いいじゃん! 私にも、他の子みたいに応援させてよ!!」
いい客にはなれないかもしれない。でも、
(この気持ちだけは、どうか否定しないで)
大切にしたいと思った。ショウとの関係を。それを失うくらいなら――
「客でいいから、これからも、一緒にラーメン食べに行ってよ」
少し拗ねたような声でそう言えば、ショウは何故か固まった。
すると、どこからともなく野次が飛ぶ。
「愛されてるねーー!」「告白じゃんそれー!」
そんな声を皮切りに、ホストたちがコールを再開する。手を打ち鳴らす乾いた音に、笑い声。
音楽のビートが戻ってくる。キラキラのボトルがさらに光を増して、開けられるのを今か今かと待っていた。
ショウが片手で口元を覆った。心なしか耳の先が赤い気がする。
「……そんなの、ずるいって。今度はちゃんと、答えてくれたんだ……」
そう言ってショウが照れたように俯く。
マイクを通さないその声は、私にしか聞こえない。
あの日、答えられなかったショウから問いが、棘のようにずっと引っかかってた。
今、こうして私の言葉を噛み締めるように受け取ってくれたショウに、その棘がようやくするりと抜けた気がした。モヤモヤが全部吹き飛んで、胸がじんわりとあたたかくなる。それがすごく嬉しくて。
安心したら、急に今の状況がバカみたいに思えてくる。
へへっと笑えば、ショウはさらに赤くなって俯いた。それから、小さく息を吸い、私の手からそっとマイクを取り上げる。
視線が一斉に集まる中で、ショウは少しだけ背筋を伸ばし、大きな声で叫んだ。
「めっっっちゃくちゃ嬉しい!!」
その声に、店内がまた一段と湧き上がる。
私に向けられたのは、ちょっとアホっぽくて、でも真っすぐな――最高の笑顔だった。
ショウはすっと私の手を取ると、まっすぐこちらを見つめた。
いつにない真剣な目に、心臓が鳴った。
「美咲さん、これからも一緒にラーメンを」
「ラーメン”よりも”?」
ーー水を差すように拓実がずいっと割って入ってきた。
なんならわざわざ私の視界に入る位置に入ってきた。つまり、ショウの真横。
「……ええっと」
戸惑うショウの隣に腰掛けた拓実は、無駄にいい顔でにっこり笑う。拓実の片手にはあのキラキラシャンパン……え、ああ、そういうことですかっ!?
「ラーメンよりも??」
まさに社会の縮図ここに極まれり。
上司にすぐ側で圧をかけられて平気な人間なんているはずがない。
……ほら、ショウの目が泳ぎまくってる!!
「いや、あの!俺、今、美咲さんに…」
「ラーメンよりも!?!?(圧)」
ショウの声をかき消すような大声で、キスするんじゃないかってくらい詰め寄った拓実に、ショウはついに諦めたように目を瞑り、叫んだ。
「……シャンパン入れてください!!」
「「「はい、よいしょーーー!!」」」
ポンっという音がしてシャンパンが開くと、拍手と共に笑い声が巻き起こった。
拓実の圧に完全敗北したショウは、決まり悪そうに私へ「ごめん」と呟いたけど……まあ、あれは無理だね。勝てるわけない!
なんなら、私の予算があったらあと数本追加で入れされられてた気がするくらいだもん。さすが元ホスト、恐ろしい手腕である。
それに、カッコつけた言葉なんかより、こういう流れのほうがショウらしい。
「……いいんだよ、私は。ショウとお酒が飲めれば」
「血とラーメンじゃなくて?」
「それは必須事項」
くすっと笑いながら、私はグラスに注がれるシャンパンの泡を見つめた。
これから先、もう悩むことはない。私が客でいる限り、ショウは一緒にラーメンを食べに行ってくれる。どこの店が美味しいとか、サイドメニューは何が正解だとか。二人で新店舗を開拓して、お酒飲んで、麺を啜って、たまに血も吸って。そうやって楽しくお喋りができれば、それだけで充分だ。
たとえーーもう二度と、あの優しい眼差しを向けてくれなかったとしても。
「美咲さん」
ショウがグラスをこちらに傾ける。乾杯かと思って私もグラスを差し出すと、ショウのグラスがふいっと逃げた。
「ダメだよ。美咲さん、こっち見て」
呼ばれるままに顔を上げる。
「詫びシャンはね、相手の目を見ながら乾杯するんだよ。“ごめん”の気持ちと、“これからよろしく”って決意を込めないと」
そう言って、ショウが小さく笑う。ぶつける先を失った私のグラスは、二人の間にぽつんと残された。
「さっきの“担当”って、意味わかって言ってた?」
「えっと……お得意様的な?」
ネットで拾った知識を口にすれば、ショウが一つ、頷いた。
「うん、そうなんだけど。もっと、特別な関係」
ショウのグラスが、再び私のグラスの前に戻ってくる。
「美咲さんは、もう他のホストは選べないし。俺もーー美咲さんのこと、離さないから」
チン、控えめな音が響いた。
ショウのグラスと、私のグラスが、そっと触れ合う。
いつもより、少し低い声。真っ直ぐにこちらを見つめるその瞳は、驚くほど真剣でーー
(……こんなの、ずるいよ)
もう二度と見られないと思っていた甘い優しさが、そこにあった。
覚悟を決めたばかりなのに、私だけを見つめるその瞳に揺らいでしまいそうだった。
鶏塩編もうちょっと続きます。