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2/22

2.混ぜそば

 

 明後日に迫ったクリスマスを前に、街はクリスマスモード一色だ。斯くいう私も、マサハル・ホンダの期間限定シャインマスカットが入ったシュトーレンをゲットするべく貴重な休日を潰して新宿に買い物に来ている。

 例の如く、金曜日は飲み会だったので出かけたのはは昼過ぎからだったが、目当てのシュトーレンは単価が高い商品だからか、並ぶこともなくサクッと買えた。


(たしかに手のひらサイズの一本で4800円は高いよ?でも、めちゃめちゃ美味しそうなんだよなぁ、これ)


 ちょっと高いお菓子も、独り身OLなら手が届く。自由でお気ままな生活だ。寝る時間も起きる時間も自由!もちろんご飯の時間だってーーー。


 帰りの駅に向かう途中、ふと、繁華街のサインが目に入る。

 …….夕飯には少し早い時間かもしれないけれど、むしろ今なら空いているかもしれない。


 私は繁華街の前を横切り、隣のラーメンストリートへと、足を進めた。



 ◆◆◆



「あ、あんたは、あのときのOL!!」


 中華そば・とみながの暖簾を潜って出てきた時、聞き覚えのある声に呼び止められた。


 ダボっとしたニットに黒のスキニー。意味わからん白のもふもふ帽子をかぶってギラギラした時計とサングラスにお決まりのクラッチバッグ。手には複数のハイブラのショッパー。


(平成ホストは抜けられたみたいだけど、成金野郎になってる……)


 そこには2週間前、ひょんなことから啜らせてもらった鶏ガラ醤油ラーメン味のホストが立っていた。


「おー、久しぶり。元気?」

「元気も何も…!あんたあの時…」

「ん?ちゃんと千円置いて帰ったよ?」

「そうじゃなくて、その……」


 これは…吸われた記憶残ってるかな??

 吸血鬼が血を吸う時、魅了という効果が発動する。これにより吸われた相手は痛みを感じず、むしろいい気持ちになるのだけれど、その際の記憶が残るかどうかは人による。

 まあ、残ってたところで吸血鬼に遭遇しただなんて普通は思わない。酔ってたんじゃない?って言ってしらを切り通せば全く問題ない。


「なんか、具合悪そうだったもんねー。急に気を失っちゃうからびっくりしたよ」


 へらへらと笑う私に彼は少し戸惑ったようだが、やがて何かを決意したように、サングラスを外して頼み込んできた。


「いや、この際なんだっていい!おねーさん、ちょっと俺のこと指名しない?」

「……はい?」



 ◆◆◆


「ははーん、なるほどね。あれは険悪だわ」

 再び訪れたClub GRUMMETのソファに膝立ちになり、ボックス席の衝立の隙間から奥の8番卓を覗く。短髪で鍛えられた片耳ピアスのホストと、よく手入れされた黒髪ロングストレートの色白美少女。お互い絶妙な距離感で座り、空気はピリついていた。


「えっと、ナンバー2が?」

「混さん!」

「エース嬢は?」

「ルナ姫!」

「で、あんたの役割は?」

「ヘルプ!!……って、あの2人の間に入るの無理でしょ〜〜!!」


 へなへなと崩れ落ちる鶏ガラ醤油味のホストーー名前をショウと言うらしい。


「でも、こないだは上手くやれたんでしょ?」

「あれは……なんか、すごくスッキリしてて。冷静に物事が見えたっていうか……」

「いけるいける。あの時の感覚を思い出して、レッツゴー」


 私はグレープフルーツチューハイ缶に刺さったストローをクルクル回しながら、無責任にショウの背中を押す。

 ショウがじっとりとこちらを見つめる。分かってる。ショウは私に期待してるのだ。何をされたかまでは分かってなくても、私の何かが効いたことは理解してる。だから、自腹まで切って私をここに連れてきたんだろう。


(まあ、協力してやってもいいけど……

 でもなぁ。今ラーメン食べてきたばっかだしなぁ)

 

 しかも醤油ラーメン。魚介出汁だから鶏ガラとは違うけど、二連続で醤油はちょっと……。おまけに炭酸で腹も膨れてる。後30分は何も食べたくない。


「とりあえず、一回行ってみよ? まずは様子見!」「……うぇぇ」

「はい、そのサングラス外してー、服もシャツに着替えてー」


 以前と同じかっちり衣装に着替えさせ、私はショウを8番卓に送り込んだ。



「嫌だ。ルナ悪くないもん。混さんがすぐ来ないのが悪い」


 厚底ヒールを鳴らして不機嫌さを露わにするルナに、ショウが片膝をついて話しかける。


「いやですね、ルナ姫、混さんもナンバー2ですから席を離れるのはしょうがないっていうかー、もう、新しいヘルプと楽しんでもらっちゃって」

「は? 混さんよりいいヘルプなんていないじゃん。あんたもこないだはちょっと良かったけど、昨日は安キャストの二番煎じみたいな接客でさ。文句言う前に、前みたいな接客してよ? お金返して?」

 ソファをバンバン叩くルナ。


(おぉ……めちゃくちゃ言われてる)

 私は衝立の隙間からその様子を見守っていた。


 言い返せず困ったように愛想笑いを浮かべるショウを見かねたのか、混が口を挟んだ。


「ルナ、お前が納得して払った金にケチつけんな」

「うるさい!! 混さんが被りのとこばっか行くから仕方なくコイツ指名したんじゃん!! 混さんが悪い!!」

「被りのとこ行くのは、お前がそういう態度だからだろ」


 繰り広げられるのはお手本のような痴話喧嘩だ。

 ショウが助けてくれと言わんばかりにこっちを見つめる。……はぁ。しゃーないなぁ。ショウくーん、戻っておいでーー。



「……とまあ、こういう状況でして……」

 脱兎のごとく逃げてきたショウの肩をポンポンと叩く。いやー、君ホスト向いてないわ。キャラ設定、完全にミスってる。


「ルナちゃんを説得しに行くのはダメでしょ」

「……なんで?」

「いい? ルナちゃんはお客様。お姫様なんだから、とことん甘やかさなきゃ。前回はそうしてたじゃん?」「そりゃ……だって、混さんいなかったし、俺、指名だったし……」


 いじけて缶チューハイを開けるショウ。

あ、こいつ勝手に飲みやがったな。まあ、私のお金じゃないからいいけど。


「そう。前回の君の役割は指名ホストとしての接客だった。じゃあ、今回は?」

「……2人の仲裁?」

「惜しい。それは結果そうしたいってだけで、求められてる役割は悪役(ヒール)なのよ」

「……ヒール?」


 あ、ダメだ。完全に脳内に女性用ヒールパンプス浮かべてる顔してる。

 こりゃ、啜った方が早いな。

 私が説明を諦めて手招きすると、ショウは警戒しつつも近づいてくる。


「おねーさん……」


 それじゃ、いただきまーす


 ……と思った瞬間、ショウがモゾモゾと卓下のカゴから何かを取り出した。


「あの、うち、そういうのNGなんで、これ用意したんで……この中で……」


 そう言って自らの股間あたりにブランケットを広げるショウ。


 ペチンッ

 良い音が鳴った。


 頭を叩かれ、ショウがぽかんとする。


「……するわけあるか!! この、鶏ガラスープ!!」

「えっ、えっ……あっ」


 狼狽するショウを無視して、私はカプリとその首筋に噛みついた。ついでにそれっぽく、腕を回しておく。

 店内でホストに抱きつくくらい、よくある光景だ。怪しまれることはない。


 ーーあっさりしていながら、しっかり塩気の効いたコクのあるスープが口の中に広がる。


(……やっぱり、この鶏ガラ醤油、酔いにめっちゃ効くわ)



 ◆◆


 ナンバーを持つホストともなると、一つの卓にずっと居るなんてことはあり得ない。

 ルナは『被りの方が時間が長かった!』などと言って怒っているが、はっきり言って俺はルナを常に優先してる。事実、こうして今この卓に座ってる事が何よりの証拠だと言うのに、なぜルナはそれが分からない??仮にも俺のエースだろうが。


 混は自分が苛立って貧乏ゆすりをしていることに気がついた。これはルナに辞めろと言われている癖でもある。当然向かいに座るルナはそれに気がつき、一層不機嫌になった。


(くそっ。めんどくせぇ!なんでそんなに俺を思い通りにしたがる!?我儘すぎるだろう!)


 相手は客、しかもエース嬢だ。機嫌を損ねてはいけないことくらい混にも分かっているが、ルナとは付き合いが長い分、嘘くさい言葉じゃ響かないってことも分かってる。


 いっそのこと、アフターに持ち込むか?と案が頭によぎったとき、ショウがドリンクを片手に戻ってきた。


「先ほどは失礼いたしました。ルナさん、隣に座らせていただいても?」


 ルナは不機嫌そうにショウを睨みつけたが、その立ち居住まいがさっきとは違うことに気がついて小さく首を縦に振った。


「ありがとうございます。ジャスミン茶をお持ちしました」

「ジャスミン茶?あっ、そう。ルナに落ち着けって言いたいんだ?」

「いいえ、違います」


 ショウはルナの詰問をさらりと流し、ルナの隣で持ってきたジャスミン茶を使ってドリンクを作り始めた。

 アイスペールから、かけのない氷をロンググラスに4つ。ジャスミン茶を半分まで入れて残り半分に炭酸水。最後にライムを振りかけて完成だ。


「ルナさんにはすっきりしていただきたくて」


 マドラーでひと回し。

 スラリと長い指が、様になる。

あいつ、あんなにドリンク作るのうまかったか?


「そして、混さんじゃなくて、少しだけ俺のことを考えて欲しいんです」


 ひんやりと冷たいグラスが、ルナの手に渡った。


「ルナさんが混さんのエースだってことは知ってます。でも、あの日、ルナさんは俺を指名してくれた。知ってましたか?あれが俺にとって初めての指名だったんです」

「あっ…」


 ショウが言っているのは、俺がルナと喧嘩した日のことだ。俺の態度が気に入らなかったルナが当てつけのようにショウを選んだあの日。

 当然ルナは覚えてる。ただ、あれがショウにとっての初指名だったとは知らなかっただろう。


「嬉しかったんです。俺の拙い喋りにもルナさんは楽しく乗ってくれて、ラスナンまで歌わせてくれた。たぶん、あの日のこと、俺は一生忘れない」



 ショウが、ルナの膝に足があたるように向いた。ルナの手の前、置きやすそうな場所に誘うように手のひらを上にして見せた。


「ルナさんは、俺にとって大切な人です」


 どこまでも真っ直ぐに。ショウの言葉には嘘がない。それが分かるからこそルナはきっとーー揺らぐ。


「……邪魔しないでくださいよ、先輩」


 ショウが冷たく言い放つ。

 ルナがショウの手のひらに手を乗せようとした瞬間、その指先を俺が掴んだからだ。

 人差し指一本。引っ掛けるように、止めた。


「邪魔してんのはお前だろ。人の女に手ェ出してんじゃねえよ」


 自分でも驚くくらい、久しぶりに本気の声だった。


 一瞬の沈黙の後、ルナが嬉しそうな声を出した。


「…っだって。ごめんね、ショウくん。ルナはやっぱり混さんが良いの!」


 ルナが引っ掛けた指をするりと絡めて、あっという間に恋人繋ぎにしてくる。

 繋がったーー。その安堵とルナの勝ち誇った顔がムカついて仕方なかった。



 ◆◆◆



「あ、混さん!!」


 Club GOURMET に繋がるエレベーターから、ショウとひどく酔っ払った昼職っぽい女が降りてきた。


「おう……さっきは悪かったな。めんどくせぇことに巻き込んで」


 正直、ショウにアシストされるなんて思ってもみなかった。あの場であんなに完璧なヘルプができるやつはなかなかいない。


「いやー、気にしないでください。むしろあの後ルナさんがこっちにもボトル入れてくださって、むしろ俺の方が気を遣われたーって感じですし。ほら、おかげでこの人もこんなにベロベロ」


 ショウの肩に腕を回しおぼつかない足取りの女は、不意に顔をあげると、俺を見てうっすらと笑った。


「ところで、ルナさんは?」

「ああ、ルナならそこで、ほら、友達と喋ってる」


 Club GOURMET の向かいにあるコンビニの前で偶然会ったらしい知り合いとルナは楽しそうに話していた。チラチラこちらを見てくることから、おそらく俺のことを話しているに違いない。


「アフター、行くんですか?」

「まあ…そうなるだろうな」


 ルナはエースだからアフターに行くことだってままある。けれど、心の中ではアフターで客を引くのは二流だと思ってる自分もいる。それに、今日あれだけしてさらにアフターにも行くなんて、ルナがまたあの満足げな顔をするに違いない。

 それは、堪らなくイラつく。


「あれぇ?こんさん??これ混さん???」

「そうですよー。混さんですよー。はい、美咲さんはもう帰りましょうねー」

「え、やだやだぁ。最後にもう一杯」


 突然ショウにしなだれかかっていた女が、俺に向かって近づいてくる。ふらり、と倒れそうになった女を肩口で受け止めると、ほんの少し、首筋が熱く感じた。


「あ、こら!美咲さん何やってんですか。もー、ほら行きますよ」

「えへへ…やっぱり混ぜそばだぁ…。ごちそーさま」

「何言ってんですか。すみません、混さん。この人こんななのでこのまま送っていきます」

「あ、ああ。」


 (何か、噛まれた?

 いや、そんなに痛くもない…気のせいか?)


 すっと自分の首元に手をやるが血が出ているわけでもない。

 けれど、なんだか、妙にすっきりする気分で俺は首を傾げた。


「混さん!お待たせ!じゃあ行こっか」


 ルナが戻ってきた。それは、優越感でドロドロの勝ち誇った顔……のはずだったのに。


 (…あれ、なんだ?これ…)


 いつになく嬉しそうなルナの顔。キラキラと弾けるような笑顔。


 (…こいつ、こんなに可愛かったっけ??)


 ナンバー2としてのプライド。年下の客に遊ばれているような屈辱。俺の心を荒ぶらせたそんな気持ちが消えていた。今はただすっきりとした気持ちで、目の前のーー俺をナンバーに押し上げてくれたルナに、感謝を伝えたかった。


「悪い。今日はまだ仕事が残ってるんだ」


 ルナの艶々した髪に手を入れて、彼女の耳にそっと指を這わす。


「俺もやっぱり…お前が良い。また来いよ」


 反対の耳に口を寄せて囁くように呟く。

 ルナの耳は嘘を見抜く。だからきっと、この言葉はちゃんと伝わる。

 なんかちょっと、らしくねえかも。


 (…でもまあ、)


「うん!!また来るね、混さん!」


 綺麗に上がったまつ毛を瞬かせてルナが満足そうに笑った。その笑顔に、何故だか心がほんの少し温かくなる。


 (……こういうのも、たまには悪くないかもな)


 そんな、らしくない思いを抱えて、俺は夜の街灯に照らされたルナの背中を見送った。



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