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19/21

19.鶏ガラ塩ラーメン(1)

 3月にもなると流石に仕事が忙しくなってきた。バレンタインで楽しかった2月から一転、地獄の日々だ。

 年度末締めのあれやこれ。

 4月の組織再編に向けての準備。

 雛あられをお供に残業するにはちょっとハードすぎる。


 そんなわけで、今日のホワイトデーのコラボイベントは私にとって久しぶりのお楽しみなのだ。


 待ちに待ったコラボメニューは神凪シェフの特製「白」フカヒレのスープ!!

 白フカヒレってどういうことかよく分かってないけれど、神凪シェフのなら美味しいに違いない。


 涎をこらえつつ、ショウから届いたホワイトデーイベントのLINEを読み返す。

 そこには、コラボメニューの情報と出勤時間がさらっと書いてある。


(連絡は、来たんだよね)


 あれだけ盛大に痛客ムーブをかましたんだから、もう誘いなんて来ない可能性だって十分あった。業務連絡っぽいLINEはちょっと寂しい気がするけど、でも、LINEが来たってことは、行けば迎えてもらえるってこと……だよね?

 それが、ホストと客の“正しい距離感”ってことなのかもしれない。


 そりゃ、ラーメン友達計画がなくなっちゃったのは、残念だよ?残念だけど、そもそもホストと友達になろうなんて考えた私が間違ってた。

 ショウを見ればわかる。チャラついた言動はあっても、肝心なところではちゃんと線を引いて、“仕事”として接してた。


(そこに私が踏み込んだのがいけなかったんだよ)


 ほーじやのあぶらとり姉さんに諭されたおかげで、気持ちの整理はできている。


 さくっと食べて、さくっと吸って、即帰宅!


 原点回帰のスローガンを掲げて、私はGOURMETの入っている雑居ビルのエレベーターのボタンを押した。



「このお返し、すっごい嬉しい!!また呼んでね!!」


 開いた扉の向こうでは、白いコーデュロイの上着を羽織った女性が、黒い紙袋を片手に目の前のホストに抱きついていた。

 首に回した腕をさっと退けたのは、私がいることに気がついたからだろう。


 エレベーターの前で待っていた私と目が合うと、女性は少し恥ずかしそうに髪を耳にかけてホストから離れた。


(ーーは?)


 その顔に勝ち誇ったような色が浮かんでいたのは、きっと見間違いじゃない。 

 その女性はエレベーターを降りると、雑居ビルの出口に向い、軽やかに振り返ってにこやかに笑った。


「今日はここでいいよ!送ってくれてありがとう。また今度ね!ショウくん!!」


 呼ばれたホストーーショウは、歓楽街に消える彼女に手を振った。

 その傍ら、唖然とする私にちらっと目を向けた。


「おねーさん、今日くるの遅いね?」

「えっ……あー、うん。残業してたから」

「そっかあ。お疲れ様」


 にこっと笑うショウの笑顔に隙は少しもなかった。もちろん、気まずさだって、微塵もない。

 ……そりゃそうだ。ショウはホストなんだから。エレベーターで営業なんて当たり前。抱きつかれるなんて当たり前。流生みたいにキスだってーー。


「じゃあ行こっか」

「あ、うん」


 閉まる扉を押さえたショウが、私をエスコートする。定員5名の小さなエレベーターは息が詰まるほど狭くて、どくどくと鳴る胸の音が嫌に大きく響いてくる気がした。


(……これからは、階段使おう)


 ゆっくりと閉まる扉を見つめながら、私はそう決意した。



 ◆



 ずずっ……


 いつもの卓に白フカヒレのスープを啜る音が響く。

 白フカヒレスープの正体は、なんと鶏白湯にミルクを合わせた、アレンジ中華スープだった。

 神凪シェフの中華アレンジなんて滅多に見ないからこれはすごくレア物だ。当然美味しいのだけれど、いまいち味が入ってこないのは、きっとこの空気のせいに違いない。


 静かすぎる……!


 いや、もちろん周りは馬鹿うるさい。あっちでウェイウェイ、こっちでヒャッホーって感じの通常営業なんだけど、この卓だけお通夜かってくらい冷めている。


 理由は簡単。誰も喋らないから。


 あっれー、いつもこんなんだったっけ??

 私の気にしすぎ?


 今までを思い返してみるけれど、食べてる時は集中してるからあんまり覚えてない。でも、覚えてないってことは、何も喋ってないってことだ。


 えっ…もしかして今までもずっとこうだった?

 私が食べてる間、こんな感じでショウはおとなしく待ってたってこと??私が食べることに集中しすぎて知らなかっただけ?


 今になってようやく気がついた事実に私は愕然とする。


(これじゃ確かに、『飯食いに来てる』って言われても仕方ないじゃん!!!)


 スープを啜りながら悶々とする私を見て、ショウが首を傾げる。


「口に合わない?」

「いえ!美味しいです!!」

「……何で敬語?」

「なんとなく……」


 ショウに気を遣わせていたことを反省してきたはずなのに、現在進行形で気を遣わせている気がして、私は少し小さくなった。

 謙虚に答えたつもりだったけれど、ショウは私の答えが気に入らなかったのか、無言で席を立った。

 私は一人でブースに残される。


 ……え、なんか地雷踏んだ!?


 立ち去り際の、あの冷たい目。

 不服そうな顔をしていたのをばっちり見てしまった私は、また失態を重ねてしまったかと震えた。

 けれど、私の不安とは関係なく、ショウはすぐに戻ってきた。

 片手にあの、黒い紙袋を持って。


「これ、食べ終わったら渡すけど、バレンタインデーのお返し。こないだはチョコありがとう」


 その言葉はあまりにも淡々としていて、どこか素っ気ない。

 目の前にいるのに遠くて、まるで見えない壁があるようだった。


 ほんの数週間前、バレンタインのときに言われた『ありがとう』とは全く違う。気持ちのこもってない、形式的な『ありがとう』。

 ホストと客の距離感としては、こちらの方が“正解”なのかもしれない。


 (でもなんか、少しだけ……寂しい)


 そう感じてしまうのは、きっと、あのときと同じ温度を期待していた自分がいるからだ。




 シャッシャッ。



 缶の擦れる音に意識を引き戻されると、ショウがラーメン屋に良くあるような大振りの胡椒を振っていた。ホストクラブには似つかわしくない光景に、私は口をぽかんと開ける。


「……なに、してんの?」

「浮かない顔してたから、これのせいかなって……このスープ美味しいけど完食するにはちょっとパンチが足りなくない?だからさっき裏から持ってきた」

「え、マイ胡椒?」

「いや、流石に店のだけど!ほら、うち厨房あるから。まあとりあえず食べてみて」


 ずいっと差し出されたスープを私は半信半疑で口にする。

 だって、神凪シェフの料理に手を加えるなんて普通あり得ない。でもーー


「……美味しい」

「でしょ!」


 ミルクと白湯の組み合わせはコクがあって美味しかったけれど、ちょっと重くて牛乳臭さが残ってた。それを胡椒が爽やかさな刺激でまとめ上げ、一気に味を引き締めた。


 いや、天才か……!!


 今度こそしっかり感じる旨味に、レンゲを運ぶ手が止まらない。胡椒のアクセントで、スープがどんどん進んでしまう。

 まさか、胡椒でこんなに変わるなんて!


 ぐいっと最後の一口を飲み干して、私は満足げに息を吐いた。

 いやー、美味しかった!大満足……っと。


 ふと、視線を感じて顔を上げると、ショウがこちらを見ていた。


 (ーーあっ)


 それは、この間のラーメン屋でも見た光景だった。

 嬉しそうに微笑むショウの目は、温かくて優しくて。


 すとん、と何かが落ちた気がした。


 私がじっと見つめ返していることに気がついたのか、ショウはすっと目を逸らし、卓上の缶チューハイを開けて、私に差し出してきた。


「はい、これ」


 その目はさっきと違って、受け取った缶チューハイと同じように冷えている。


(ああ、そっか……)


 あの夜の私の言葉が二人の距離感を変えてしまったのだと分かってる。

 自分でやったことなのに、こんな事を思うなんて、わがままだと分かってる。けれどーー


(私、ショウにあの目を向けて欲しいんだ)


 そう、気がついてしまった。


 手にしていた缶を卓に置いて、私は恐る恐る口にする。


「……あのさ、ショウ。私、今日は言いたいことがあってーー」


 言いかけた言葉は、最後まで口にすることができなかった。突然、店内の照明が落ちたせいだ。

 それは本当に一瞬で、次にライトがついた時には、スピーカーからテンション高めのMCが炸裂した。



≪あ、言いたいことがあるならば、今すぐここで言っちゃって〜〜!!はいっ、皆様ご注目ぅぅ!!≫



 ……は?


 急に始まったマイクパフォーマンスに、ついていけない私を残して、慣れているのか店内は一瞬でお祭り騒ぎに突入した。


 え、なに、何が始まった!?というか、今の、私の言ったことと被ってなかった……?


 場内に響き渡るマイクに耳を奪われる。


≪Club GOURMET 一同集合!!恥ずかしがり屋な姫様のぉ、(はいっ!)いつもは言えない大切なぁ、(はいっ!)言葉を伝えるお手伝い(はぃはぃっ!!)させていただきまぁす!!(よいしょーー!!)≫


 ノリと勢いで盛り上がるコールをよく聞けば、あることに気がついて、脳が一瞬フリーズし、さっと血の気が引いた。

 

 ……いやいやいやいや。ちょっと待て?私、この声、聞いたことあるんだけど!?


 何かの間違いであってくれと、祈るような気持ちでブースの向こうに目をやると、マイクを持ったやけに顔の良い黒服がこっちにウインクしてきた。


 まさか……。


≪ご予約いただきありがとうございまぁす(まぁす)≫


 うわあああああ!!!やっぱりお前かぁあああ!!!!


 会ったことがなくてもわかる。この口ぶり、この声!こないだ電話したときに出た、調子の良すぎるあの男だ!!

 ってことは……まずい。この流れはかなりまずい!!!


 全てが繋がって、挙動不審にオロオロしていると、ショウが心配そうに尋ねてくる。


「大丈夫?……ちょっと煩いよね。まあ、すぐ終わるから!」


 マイクに合わせて爆音で流れ始めた音楽に、ショウも負けないように声を張り上げた。

 心配してくれるなんて優しいと思う。でもごめん、違うんだ。そういうことじゃないんだ……!


 これから始まるであろう地獄に、私は慌てて否定の声を上げる。

 断じて、断じて私が頼んだことじゃないから!!


「違うの!こんなの……聞いてなくって!!」

「あれ?初めてじゃないでしょ。たまにやってる人見てるじゃん。シャンコ!!シャンパンコール!!」


 どこの卓だ?って顔でキョロキョロしたショウが、次の瞬間、石像みたいに固まった。

 ……あの、私も一緒に固まっていいですか?


≪記念すべき、初指名!!(おおお〜?)彩を添えるのはこちらのお酒!!≫


 マイクの黒服が押してきた、やけに豪華な台車の上で、ずんぐりとした貫禄のあるシャンパンが、何故かピンクに光ってる。比喩じゃない。ボトル自身が内蔵電池でミラーボールよろしく光ってる。


 な・ん・で・だ・よ!!

 なんで光ってんの!?何の意味があって!?


 周囲の目が突き刺さる中、間違いなく過剰な演出に私は顔を覆った。


 ……ていうか、これのどこが“大人しめの可愛いボトル"なのさ!!


 せめてボトルだけなら、ピンク一色だからまだマシだった。

 なのにあの黒服が押してきた台車が、謎に七色に光ってるせいで、シャンパンのエレクトリカルパレードになってしまってる……!!


 たった一本のシャンパンにこの扱い。台はド派手なのに、ボトルは一本なのが際立たせられてるみたいで余計に恥ずかしい。

 私は怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にして、卓にやってきた黒服を睨みつけたけれど、彼は微塵も気にしちゃいない。

 むしろ、固まったショウを面白がるようにホストらと囲み、軽快なリズムで畳みかけるように叫び出した。


『ショウ王子の!(はいっ)素敵な!(すてきな!)素敵な!!(すてきな!!)お姫様からぁーー、モエネクターロゼのぉ………詫びシャンでぇーーす!!!(うぇーーーい!)』


 目の前で繰り広げられるコールに、ショウが我に返って声を上げる。


「……はぁああああ!?」


 叫ぶショウと、頭を抱える私。

 地獄のようなブースの中で、シャンパンと黒服のドヤ顔だけが、キラキラと光っていた。


大人しめ(価格)の可愛い(色)ボトル

※元売れっ子ホスト比

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