17.ダブルスープラーメン(3)
ごくっごくっごくっ。
ほろ苦い黄金の液体が気持ちよく喉を通っていく。
「っぷはー!!最高〜〜」
あー、これこれ、これだよね!
走った後の熱くなった体に染みますわーー!!
ビールと一緒にモヤモヤを全て流し込んですっきりだ。
満足げに息をつく私とは対照的に、ショウは何か言いたげにこちらを見ていた。
「……何?ショウも飲む?」
「いや、思ったより普通だなって」
普段と違ってセットをしていない前髪。
その隙間からこちらを伺う視線が、妙に探るようで落ち着かない。
(うーん、これは電話の声がおかしかったのバレたかな)
さっきは感情が昂って涙声になったけれど、走ったおかげで今はもう平常運転だ。運動がストレス発散になるって、本当らしい。
(こういう時は察しがいいんだよね、ショウは)
クリスマスイブを思い出す。
あの時は不覚にも泣き顔を晒してしまったけれど、今回はそうはいかせない。人前でメソメソ泣くなんてキャラじゃないからね!
なんでもない顔でショウの視線を受け流していると、タオルを頭に巻いた店員さんが、黒いどんぶりを二つ持って現れた。
「はい、どうぞー。魚介豚骨のダブルスープラーメン2つねー」
湯気と共に立ち上る深い香り。
その瞬間、私の意識は一気にラーメンへと向いた。
濁ったスープに浮かぶ澄んだ油の玉が、キラキラと光っている。卵、メンマ、ネギ、チャーシュー、整えられた具材の並びも美しい。
ごくりっ。
レンゲでスープを掬い、香りを嗅いでから一口。
「……ぅ、うまあぁ!!」
これが噂のダブルスープラーメンか!!
魚介と豚骨の旨みが絶妙に両立している。さすがダブルスープラーメンの有名店だ。
すずっと麺をすすれば、しっかりとしたコシが口の中に広がる。これはまさに、幸せの味……!
ふと顔を上げると、ショウがじっとこちらを見ていた。
目が合った瞬間ふっと口元を綻ばせる。
「……よかった。いつもの美咲さんだ」
安心したような声。
なぜか嬉しそうに細められたその目が、あまりにも優しくてーー
「っすみません!ゆず唐辛子ください!」
「あっ、俺も」
ーーざわついた心を振り払うように、通りかかった店員さんに声をかけた。
◆
「この麺の縮れ具合もスープがよく絡んで最高だと思うの」
「分かる。しかもちょっと短めなのが啜りやすくていいよね。先週行ったダブルスープのお店もそうだったんだけど、これ見て花山から暖簾分けされたっての納得した」
「え、もしかしてそれ恵比寿の?私も先週行ったんだけど!」
混み合っているせいか、なかなか出てこないゆず唐辛子を待つ間に雑談を始めたら、まさかのニアミスが発覚した。
先週もラーメンで今日もラーメンとは、ショウもなかなかラーメン通だね!
「休みの日はあちこち行ってるんだよ。ラーメンだけじゃなくいろんなお店」
「へー、じゃあ今日もそれで外に出てたの?休みだよね」
「いや、全然。今日は家にいる予定だったし……けど美咲さんがGOURMET で暴れてる気がしたから」
ちょっとまて、暴れてるってなんだ。
私はゴジラか?怪獣なのか!?
「暴れてないから!ちゃんとお客さんとして楽しく飲んでただけだから!」
そう主張してもショウは疑いの目を辞めない。私だけが悪いと思ってそうなその視線に私は口を尖らせる。
(今日はむしろ、私被害者だからね?)
シオンなんて自分で口を切って血で誘ってきたんだ。あんなのもはやハラスメントだ。そう、ブラッドハラスメント!略してブラハラだ!!
(ていうか、普通客に向かって血をチラつかせたりするかな?あれ私が吸血鬼だって分かってたよね…?)
でも、私はシオンに自分のことを吸血鬼だなんて一言も言ってない。となると……思い当たる情報源は一つしかない。
「ショウさぁ、お兄さんに私が吸血鬼だって言ったでしょう」
「シオンに? いや、言ってないけど……あ」
一瞬、何かを思い出したように目を逸らすショウ。
「でもあの時シオン、イヤホンしてたし」
「ほら、やっぱり!!」
でたよ、そういうの!!イヤホンなんて今どきほぼアクセサリーだからね!?「俺イヤホンしてたから聞こえてなかったわ〜」とか、ラブコメの主人公みたいなポンコツムーブは起こらないから!!
しかも、吸血鬼だってこと、一応個人情報なんですけど!?
「絶対にそれ!!聞こえてたんだよきっと!まったく、おかげでえらい目に…」
あった、と言おうとして言葉が止まる。
目の前に座るショウの目が、さっきまでと違かったからだ。
「えらい目って、何」
仄暗さを孕んだ目が私を静かに突き刺す。
一気に変わった雰囲気に、思わず語気が弱まる。
「いや……その、ちょっと、詰められたっていうか」
「どんな風に?」
(……言えないから!お兄さんに「吸っていいよ」って抱きしめられましたとか、吸血鬼じゃなくたって気まずすぎるって!!)
ショウの威圧感のある声に、私は思わず目を泳がせる。
「……吸った?」
「吸ってない!!」
ショウの問いに即座に答えた。だというのにショウは疑いの目をやめない。
睨み合う私達の間に、ようやくゆず唐辛子が到着した。
「吸ってないし、別に何もないから!」
ゆず唐辛子の小瓶から大きくひと匙掬い上げる。
(てか、何で私が言い訳してるみたいになってるの!?)
責めるようなショウの様子が気に入らない。
流生はともかく、シオンは吸血していない。
ちゃんとショウのことを考えて、我慢した。それなのに疑われて、怒られているみたいで……納得いかない。
「こんなのって……不公平じゃん」
山盛りに乗せたゆず唐辛子を、スープに溶く。
ぽろっと溢した言葉を取り返すように勢いよく麺を啜った瞬間——
「ごほっ」
ーーむせた。
呆れたようにショウがため息をつく。
「……入れすぎだよ」
そう言って、ショウは私のコップに水を注いだ。
◆
「あー、お腹いっぱい。もう無理、満足……」
お店を出て、重くなったお腹を抱えてよたよたと歩く私を見てショウが苦笑いをする。
「そりゃあれだけ食べればね!替玉にまさかチャーハンまで頼むとは思わなかった」
「えー、ショウも半分食べたじゃん」
魚介豚骨の美味しいスープにチャーハンを浸して食べるのは最高だった。
カロリーも気にせず一緒にいっぱい食べてくれるショウは本当にいいやつだ。こんなホストなかなか珍しいんじゃないだろうか。
「ねえ、ショウってなんでホストやってんの?」
ふと気になって尋ねる。
ショウはゆるっと羽織っているカーディガンのポケットに手を入れて、なんの気なしに答えた。
「うん?前言わなかった?憧れのホストがいるって」
「それは聞いたけど……それって、もしかしてシオンのこと?」
シオンが言っていた。
ショウがシオンを追ってClub GOURMET に入ってきたのだと。
ショウは少し照れたような顔をして、小さく頷いた。
「まあ……そうだね。あと、普通に人喜ばせるのも好きだし」
それは本当にそうなんだろう。
ショウはいつ会っても笑顔で、楽しい気持ちにさせてくれる。
私が血を吸いにきてるって知ってるはずなのにいつも尻尾を振るかのように歓迎してくれる。
「忠犬っぽいもんね」
「なんかひどくない?」
冗談めかして言えばショウがむすっとした顔になる。それに私は笑って返す。
「冗談冗談。いいね、応援してるよ」
私がホストクラブにハマったのも、結局のところ、人懐っこいショウの態度に絆されたようなもんだ。
(血が美味しいってだけじゃなく、ショウって普通に優しいしね)
私は歩く速度を落としてショウの隣に並んだ。
ラーメンストリートを出て駅に向かおうとした時、ショウも一緒に右に曲がった。
「あれ、お店、行かないの?」
Club GOURMETは左方向だ。
「今日休みだって言ったでしょ」
「そうだけど……わざわざ出てきてるんだから顔出したりはするのかと」
「行かないよ。休みだって言ってるのにお客さんに会っちゃっても困るし」
まあ、確かにそうだ。
ショウが休みだと思って今日GOURMET に行くのを辞めたお客さんが、あとから実はショウ出勤してましたなんて知ったら揉めそうだ。
でも本当に今日が休みなんだとしたらーー。
「……えっ、じゃあ今日、ラーメン食べにきただけ?」
「そうだよ。あと美咲さんの回収」
さらっと言って進むショウの後ろで私は足を止めた。不思議そうに振り返ったショウに私は疑問を投げかける。
「……なんで?」
「なんでって……」
「てか、何で私がGOURMETにいるって分かったの?」
そうだよ、考えてみれば不思議だ。
私は何も言ってないのに、どうしてショウは私の居場所を知ってたんだろう。
「LINE。美咲さん俺の出勤日なんて普段確認しないじゃん。しかも、休みだって言ったら『ありがとう!!』って、怪しすぎだから」
す、鋭い。
まさかそんなところから怪しまれていたとは思わなかった。
「それでシオンに確認してみたら、流生さんの卓にいるって……そんなの来るしかないじゃん。店のキャスト貧血にされても困るし」
(うっ……やっぱそうなるのね)
またしても疑いの目を向けられて、私はすっと目を逸らした。ショウはさっきみたいに追求する気はないようで、それ以上は言わなかったけれど、また少し違う声のトーンで続けた。
「それになにより、心配だったし」
「心配?」
首を傾げる私にショウは不満そうに答えた。
「もう忘れたわけ?こないだジュノの血吸っておかしくなってたってのに。何がきっかけで血酔いするか分かってないんだから気をつけないと」
ちょっと怒ったような声を出すショウに私は目を瞬かせる。私の予想にない言葉に、理解が追いつかなかった。
「それ……だけ?そんな理由でわざわざ休日潰してきたわけ?」
「そうだけど?」
そんなってことはないでしょ、とショウが呟いたけれど、私にしたら、「そんな」理由だ。
(え、じゃあ何……本当に「心配」だったから、わざわざシオンに連絡してみたり、ラーメンに誘ってくれたりしたってこと……?)
私が血に酔っておかしくなっても、そんなの全部自業自得だ。
血を吸うのを我慢できなかった自分が悪いに決まってる。
お酒で失敗するのと、同じ様なことなのに。
じんわりと、心が温まる。
ショウは、私が軽く考えていたことを、私以上に真剣に考えて怒ってくれている。
血を吸われることは嫌いなはずなのに「吸血鬼としての私」の事を、気にかけてくれている。
それは、ちょっと、いや、すごくーー
(嬉しい……かも)
『やっぱり美咲さんは分かってない』とぶつぶつ言いながら先に進み始めたショウの後を追う。
くいっ。
「ショウ……ありがとう」
後ろからショウの袖を少し引っ張って、感謝を口にする。
大人になってから、よく思う。
当たり障りのない関係が常になる中で、こんなふうに相手のことを想ってくれる人はとっても貴重なんだって。だから、
ーーこの関係は、大切にしたい。
ちょっと気恥ずかしさを感じながら真っ直ぐに見つめると、ショウは一瞬表情を固くした。
2、3秒後、ショウはそっと視線を外して、薄く目を閉じながら細く息を吐いた。
(え、何そのリアクション……)
どういたしまして、は期待できなくても、もう少し好意的な反応が返ってくると思っていた私は、急に親しくしすぎたかなと反省してショウの袖から手を離す。
下ろそうとしたその手をショウが取った。
指先をなぞる様にして掴む。指先の熱がくすぐったい。
「……ねえ、俺も聞いて良い?さっき、なんで不公平だって言ったの?」
さっきーー……ラーメン屋でのことだ。
私がショウに吸血を疑われて、ふと溢した「不公平」という言葉。
聞かれて私も考える。
(なんでだろう……シオンの吸血を我慢したのに吸ったでしょって疑われたから?でも、それって別に「不公平」ではないよね)
不公平と言うには、私もショウに対してなにか思うところがなくてはおかしい。
(どうして私だけ、とは思ったけど……それって、何と比較してるんだ?)
ぱっと出てこないモヤモヤに私は曖昧に答える。
「……なんとなく?」
「まあ、そうだよね。分かんないよね」
ショウははなから期待してないと言った顔でーーなのになぜか少し寂しそうな顔でーーそう言った。
私が頭にハテナを浮かべていることに気がついたのか、ショウは少し笑って、私の手を離した。
そして冷たい目をして言った。
「やっぱり……美咲さんはホストクラブ向いてないよ」
「……え?」
「ホスクラなんかに来るより、ラーメン食べたり、居酒屋でお酒飲んだり、そういう普通の遊びしなよ」
「なに、急に」
棘の入った声に違和感を覚えた。
「いやシンプルに適性ないって思っただけ。美咲さん絆されやすいし、それこそお気に入りの味の血が見つかったらうまいこと丸め込まれてホイホイお金出しそう。まさに良い養分って感じ」
ショウが馬鹿にした様に鼻で嗤う。
「ちょ、それはさすがにーー」
「知ってる?ホストクラブに通ってる女の子って大半が風俗嬢だよ。みーんな、推しのホストに貢ぐために体売ってんの。それくらいして稼がなきゃ推しをナンバーになんてできないんだよ」
反論しようとする私をウザがる様に、ショウが前髪をかきあげた。
「さっき、応援してるなんて言ったけどさ、美咲さんそれできんの??」
睨む様に言い放つ。
どこまでも冷たい声に、私は動揺した。
「なにそれ……私にそれ求めてるの?」
「そういう客にはなれないでしょってことだよ」
私は手のひらをギュッと握りしめた。
ショウのこの態度はわざとだ。
いつもと違うきつい視線も、突き放す様な言葉も、わざとなんだって、それくらいは分かる。
でも、なぜ急にそんな態度を取られるのかが、分からない。
(……私が、馴れ馴れしくし過ぎた?)
休日にまで迷惑かけておいて、それを喜ぶ様に「ありがとう」なんて、鬱陶しすぎたのかもしれない。
胸がギュッと締め付けられる。
この関係を大切にしたいと思っているのは私だけだったらしい。
ショウにとってはこんなのは大したことなくて、客になら誰にでもすることなんだ。
だからこれは、勘違いするなってーーそういうことを言いたいのかもしれない。
浮かれた心に冷水を浴びさせられたようだった。
「ショウこそ……ホスト、向いてないよ」
乾いた唇が、言葉を溢す。
客でいろというのなら、それでも良いーー。
でも、それならショウだって、ちゃんとホストらしくして欲しい。
「ショウは、流生みたいにキスなんてできないでしょ」
流生みたいな色恋営業をするわけでもなく、友達の様な顔をしてラーメンなんて食べないで欲しい。そうじゃないと……勘違いしちゃうから。
ショウの表情がぴくりと動く。
「……されたの?」
「してないって言ったら信じるの?」
今日何度も向けられた疑いかの目でこちらを探るショウに、私も強い視線を返す。
ショウが私のことを信じていないのなんて、もう充分に分かってる。
予想通り何も言わないショウに、私は小さく笑った。
(ほら、嘘もつけないーー)
ショウは本当に、分かりやすいほど正直者だ。
息を吸うように嘘をついて、私に全てを捧げると言ったシオンとは正反対。
兄弟二人、似ているようで全く違う。
シオンが言った言葉を思い出す。
(ああ、嫌だなぁ)
『そんなことを言える関係じゃない』って思っていたのに。今は『そんなことを言える関係でいたい』と思ってしまってる。
言うつもりなんてなかった。
でも、自分から私のことを突き放しておいて、傷ついた顔をするショウを見て、口にせずにはいられなかった。
「ショウさ……ホスト、辞めた方がいいよ」
自分勝手な言葉が、二人の間に転がり落ちた。
【ホスクラ】ホストクラブの略