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16.ダブルスープラーメン(2)

  

 シオンの指がゆっくりと動き、二つ目のボタンが外される。

 すらりとした鎖骨がのぞき、香水の奥に潜む鶏がらスープの香りが鼻をくすぐった。


(どうしよう、これ……我慢できないかも)


 誘うようにシャツを開いたシオンは、試すように私をじっと見つめている。


「辞めさせるって……どういう意味ですか」


 今すぐにでも齧り付きたい衝動を抑えつけ、なんとか言葉を吐き出した。


「そのままの意味ですよ。ショウがホストを辞めるように説得してください」

「なんで私が」

「ショウはホストに向いてないって、美咲さんも納得してたじゃないですか」

「それは、そうだけど……」


 確かに、ショウがホストを辞めれば無料で吸血し放題だとは思った。でもそれは、「ホストという仕事を辞めさせたい」と本当に思ったわけじゃない。

 ただ、ホストと客の関係じゃなくなれば、それこそラーメン友達になればいいと、そう思っただけなのだ。


(辞めろなんて、言える関係じゃないし)


 今はまだ、友達でもない。

 そんなことを考えている合間にも、勝手に体温が上がって、鼓動も段々と早くなってきた。

 強く香る血の匂いに、理性がはち切れそうだった。


(……やっぱり、おかしい。シオンはなんでこんなに強い匂いがするんだろう)


 ぱっと見どこか怪我をしているようには見えない。なのに、彼が言葉を発するたびにどんどん美味しい血の香りが増していく。


「美咲さんから言われることに意味があるんです。あなたじゃなきゃダメだ」


 理知的な口調なのに、どこか甘さを滲ませる声音が、耳に絡みついて離れない。

 理性が、揺れる。


「やってくれませんか、美咲さん。そしたら俺は——あなたに全部捧げたっていい」


 そう言ったシオンの瞳がわずかに揺れた。

 それを私は見落とさなかった。


「う、そ」


 絞り出した私の声をシオンはすぐに否定した。


「ホントですよ」

「嘘だよ、——全部なんて、ウソ」


 ショウを本当に心配するシオンを見ていなかったら気が付かなかったと思う。

 けれど、それを見たから分かるのだ。こちらを見つめる瞳に映るのは本心じゃない。

 全部捧げるなんて嘘だ。


(自分から血をくれるって言う人の話なんて、信じられないっての!)


 シオンの思惑も態度も、より濃くなる血の匂いになにがなんだかよく分からなくなってきた私は、頭の中で全てを否定して、手に持っていたスマホをぎゅっと握り締めた。

 シオンが目を細めた。


「意外と頑固なんですね……酔ったら、判断力も鈍るかな?」


 シオンが自身の唇を指で拭う。

 捲れた唇の内側には赤い血が滲んでいた。


 ——まさか……わざと、切ったの?


 そう気づいた瞬間、血のついたシオンの指先が私に向かって伸びてくる。


 ぞくりとした感覚が背中を這い上がる。


 本能でわかる。

 この血は、やばい。

 抗えない!!


 そのとき、手に握っていたスマホが震えた。

 画面に写る表示は——ショウだ。


 それは一瞬のことだった。


 私が助けを求めるように通話ボタンを押した瞬間、シオンにスマホを奪われた。

 それと同時に片腕で私を引き寄せ、胸板に私の頭を押し付けるようにして囲い込む。

 私の鼻先がはだけたシャツの縁に触れた。


 薄い布の向こうに、温かな血の流れを感じる。

 それは、ひと嚙みで血を吸える位置だった。


『もしもし、美咲さん….』

「ショウ、俺だけど。美咲さん今手が離せないみたいだから、あとでいいかな」


 スマホから漏れたショウの声が聞こえるけれど、吸っちゃダメだと理性を働かせることに精一杯で、声も出せない。



『……なんで、シオンが出るの。美咲さんは?見張っててって言ったよね?』

「大丈夫、ちゃんと目の届くところには居るから。何か伝えとこうか」


 シオンの指が、はらりと落ちた私の髪をそっと耳にかける。それはまるで、理性の狭間で揺れる私の背を押すかのようだった。


(あぁ……もう、だめ……)


 シオンの首に腕を回しかけた、その瞬間——


『じゃあ、美咲さんに、食券買ったからすぐ来てって伝えて。「中華そば花山」のダブルスープラーメン。あと5組だから走ってきてって』


「——行く!!」


 叫ぶと同時に、私はシオンの腕の中から全力で飛び退いた。


『なんだよー美咲さん、ちゃんと聞いてるんじゃん』


 呑気なショウの声が漏れるスマホを、シオンの手からひったくる。その勢いで通話が切れたけれど、そんなこと、気にしてる場合じゃない。シオンが呆気に取られている今しかチャンスはない。


 鞄を肩にかけ、逃げるようにブースを出ようとした瞬間、私の指先をシオンが掴んだ。


 それは以前、ショウが掴んだのと同じ指先だった。


 ぶわっと蘇ったあの時の熱い感覚に、私は思わず振り返る。


 シオンが身を乗り出し、厳しい表情を向けてくる。


「ショウを大切に思うなら……考えておいてください。今日俺が言ったこと」


 ぞくり、と震えるような低音でシオンが喋る。

 ——また、血の匂いが濃くなる。

 魅惑的なその匂いを、振り切るように勢いよく指先を引き抜いた。


「知らないよ、そんなの!私は……私はラーメンが食べれればそれでいいんだから!」


 そう言い放って私はClub GOURMET を飛び出した。


 大切ってなんだ。

 考えるってなんだ。


 シオンの誘惑的な美味しい匂いが鼻の奥に残ったまま、よく働かない頭の中で余計な言葉がぐるぐると回る。


(なんで、こんな気持ちになるの?また、シオンを吸えなかったから?)


 悔しいような泣きたいような、ぐちゃぐちゃの感情は以前にシオンを吸えなかった時とよく似ている。

 でも、その時より、ずっと辛い。


 まるで、見て見ぬ振りをしていたものを言い当てられたような、不快感。


 私はぐっと奥歯を噛み締めた。


 バッグからスマホを取り出し、通話ボタンを押す。電話が繋がった瞬間私は喋り出す。

「ショウ!!私、走るから。

 何か飲み物買っといて!! ……麦茶!! 麦茶がいい!!!」


 なにか、全てを流してくれるようなサッパリしたものが飲みたかった。


『ちょ、何勝手に切っておいて急に。てかもう並んでるから無理だから!!』

「じゃあ、ビール!ビールの食券買っといて!!」

『今GOURMET で呑んできたんじゃないの』

「うるさい!いいの、呑むの!……付き合ってよ」


 呆れたようなショウの声に私は少し涙の混じる声で返した。

 気づかないでくれればいい。こんな訳の分からない感情、聞かれたって答えられない。

 そう思ったけれどショウは何かを察したように一瞬沈黙した。


『……わかった、いいよ。でも、間に合わなかったら俺が全部食べちゃうから』


 その言葉に、熱々のラーメン2杯を頬張るショウの姿が浮かんで思わず笑いが漏れる。


「……ラーメン2杯も食べれないでしょ。大丈夫、私足速いから」


 幸い今日はぺたんこ靴だ。

 全速力で走れる。


『じゃ、気をつけて来てよ』

「了解!!!」


 走って暑くなった体に冷えたビールは美味しいだろう。そして熱々のダブルスープラーメンはもっともっと美味しいに決まってる。


(……今は、それだけを考えよう)


 通話を切ったスマホを鞄にしまって、私はラーメンストリートへと走り出した。


 

兄弟で揃ったのでタイトルちょっと変えてみました。

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