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15/22

15.ダブルスープラーメン(1)

 


 目を瞑れば、それはすぐにくるはずだった。じっと身を固めて、3秒……5秒……10秒……


 いや、遅くね?


 何してんの流生。

 そこはサラッとやろうよ!?私だってキスくらいで騒ぐ歳じゃないし、流生だってエレチューかますくらいのプロでしょ!?むしろ焦らされるほうが困るっての!

 ……え、もしかして消えた?いやいや流石にそれは…。


 一向に始まらないそれに疑問を感じて、私はそっと目を開けた。

 敵前逃亡かと思われた流生はちゃんと目の前にいた。いたはいたけれど、こちらではなくブースの入り口に目を向けていた。

 つられて視線を向けると、そこには見覚えのある人物が立っていた。


「何してるの、流生?」

「……出勤、早いですね、シオンさん」


 体にぴったりとフィットしたスーツは張りがあり、一目で高級なものだとわかる。きっちり留められたシャツにネクタイ。一つの隙もない完璧な装いなのに、きつく感じないのは、シオンの柔らかい雰囲気のせいだろう。

 片手をポケットに突っ込んだまま、シオンは流生を叱るような目で見た。


「うん、今日は容子さんが来るからね。それで、何してるの?……うち、そういうの禁止だけど」


 禁止。

 その言葉に私は慌てて流生から距離を取る。


 ぅあっぶなー!!

 雰囲気に流されて出禁になるとこだった!!


 そうなったら夢の吸血パラダイスは終わりだ。お酒と激うまコラボメニューと美味しい血が飲めるのなんてここしかないのに!!


 急いで何事もなかった風を装う私を見て、流生もまた、素知らぬ顔を貫いた。


「やだなあ。何もしてないですよ。美咲ちゃんの目にゴミが入っちゃって、取ってあげてたんです。ね?」


 へへっ、そうなんですよ。

 なんもやましいことはないですよ。


「いやー、痛かった。痛かった」


 私はコバンザメのように流生の言葉に乗っかって頷いた。

 シオンはちょっと呆れたように私たちを見て、ポケットからスマホを取り出す。


「……だ、そうだけど?」



 その瞬間——



「ぜっっったいに嘘!!!」



 突如スマホのスピーカーから爆音が響き渡った。思わずびくっと肩が跳ねる。


「美咲さんの言う事信じたら、うちの店全員貧血になって終わるから!!すぐ行くから美咲さんを自由にしないように見張ってて!!」


 ——ショウの声だ。


 シオンが『そうなの?』といった顔でこちらを見る。いやいや、聞きたいのは私の方よ。君たち兄弟なのは知ってるけど、そういう連携プレーしちゃう感じ!?


(てか、誘ったの流生なのに!私は善良な一般市民なのに!!なんで私が諸悪の根源みたいな感じなのさ!?こんなの……吸血鬼差別だ!!)


 ショウの言い方に私は小さく憤慨した。


「そういうわけだから、ちょっと退いてくれるかな? 流生」


 ピッと通話を切ったシオンが、有無を言わさぬ圧で告げる。シオンの方が先輩なのか、流生はシオンには逆らえないようで、渋々腰を浮かせた。

 席を離れる瞬間、流生は思いついたかのように振り返り、さっと身をかかげ私の耳元に口を寄せた。


「……続きは、また今度ね?」

「あっ……」


 低く囁かれたその一言に、思わず背筋がぞくりと震える。……流生なんかにちょっとでも反応してしまった自分が悔しい。

 キッと睨んだ私を満足げに見て、ブースを出るためにくるりと背を向けた流生の前に、シオンが立った。


「流生」


 静かな声。けれど、その響きは妙に重い。


「店のルールは守らないと」


 流生に被って、私からシオンの表情は見えなかったけれど、一瞬流生が身を固めたのはわかった。


「……気をつけます」


 そう言って軽く肩を竦めた流生は、今度こそ大人しくブースを後にした。

 やっぱり、流生よりシオンの方が上の立場みたいだ。


 入れ替わるようにして、シオンが私の隣に座る。


「お待たせしました」


 流生とは違い拳二個分の適切な距離を置いて、体を軽く私の方に向けたシオンが小首を傾げて微笑む


「久しぶりですね、美咲さん」


 柔らかなその笑顔は、やっぱり私好みで。——ほのかに、鶏がらスープの香りがした。



 ◆◆



「じゃあ、先週からクラブグルメに?」


 私はモスコミュールのグラスを片手に訊ねる。

 流生が迷惑をかけたお詫びに、とシオンがくれたものだ。


「ええ。ショウの面倒を見ろってオーナーに呼び戻されました」


 私がシオンと出会ったのはThe Spiceだったけれど、あれは新店舗立ち上げの応援で行っていただけで、シオンの元々の在籍はClub GOURUMETなのだそう。

 応援というのは系列店ではよくあること、らしいけれど、「呼び戻された」というのは気にかかる。


「……ショウ、なにかやらかしたんですか?」


 私はちょっと声のトーンを落としてこそっと尋ねた。


 だって ショウだよ!?頑張ってるけどどことなくアホの子感があるし、張り切って空回りするタイプだし、 うっかり何かやらかしても不思議じゃない。

 お客さんに失礼なことでも言ったのかな? と心配したけど、シオンは首を振った。


「やらかした、というよりはやってない、かな。売り上げが低いんですよ」

「あぁ……」


 売れてないとは聞いていたけど、

 うん、ガチで売れてないらしい。


「でも、たまーに、売り上げ伸びてる日もありますよね?」


 主に私が吸血した日とか。


「そう。だからこそ普段は手を抜いてるんじゃないかって思われてるみたいで、指導が入ることになったんです」


 シオンが自分を指差し、くすりと笑う。


「といっても、実の兄にあれこれ言われるのは嫌だろうし、言ったところで素直に聞くとも思えないので、何をするわけでもないですけれど」

「でも、オーナーに言われたんじゃ……」


 ショウも売り上げがどうとかでオーナーに詰められたと言っていたけれど、兄弟揃って上司の指示に応えなくても大丈夫なのだろうか。


「オーナーとは知り合いなんです。初めて働いた店でお世話になった先輩で、とても恩のある人ですが……ショウをホストに引き摺り込むような悪い人でもあるので」

「悪い人って、その言い方じゃショウがホストをやることに反対みたい」

「反対してます」

「えっ……シオンさんがショウを誘ったんじゃなくて?」


 二人で同じ店でホストをするなんて、てっきりシオンがショウを誘ったのかと勝手に思っていたけれど違うらしい。

 シオンは、小さく首を振って、「呼び捨てで良いですよ」と言った。


「ショウが勝手にオーナーに連絡取って、ホスト始めてたんです。甘い世界じゃないのですぐ辞めるかなと思いましたが……結構続いてますね」


 それは困った弟に向けるような優しい目だったけれど、その奥にはもっと複雑な感情がありそうだ。

 シオンは唇を引き結んだ。


「……でも、いつまでも続けられる仕事じゃない。昼に働いてる美咲さんなら、分かるでしょう?」


 一般企業でOLをしている私は所謂昼職で、安定した収入と社会的信頼があるけれど、夜の仕事にはそれがない。華やかで、ときたま驚くほどの高収入を得られても、安定してるとは言えないし、一生働けるものでもない。

 

 もちろん、人にもよるけれど、一般的にはそう考えるよね。好きな仕事をしたらいいと思うけど、シオンの言うことも理解できる。


「ショウは、ああ見えて調理師の資格を持ってるんですよ」

「えええ、そうなの!?」


 調理師の資格があればどんな飲食店でだって働けるじゃん!!それなら確かに……シオンがホストを反対するのも分かる気がする。

 驚いた私にシオンが頷いて、困ったように続ける。


「料理学校を出ていて、料理が上手なんです。何を作らせても美味しいし、きっと才能がある。そのままどこかのレストランに就職してくれたらって思っていたのに、目を離した隙にホストになってるんですから、本当に……勘弁して欲しい」


 シオンが手を額に当ててため息をついた。

 そこには薄く怒りのようなものが滲んでいて、彼がどれだけショウに期待していたのかが伝わってきた。


(ショウのこと、大切に思ってるんだ……)


 その想いが胸に刺さる。


 ……じゃあ、私は?

 ショウがホストをやっていれば、店に行けばいつでも血が吸えて便利〜〜!くらいにしか考えていなかった。


(いや、私は「客」だからそんな事考える必要なんてないはずなんだけど。……でも、なんか、こう大人としてっていうか…)


 もやもやとした思いを抱えてシオンを見れば、彼はバツの悪そうな顔で笑った。


「ごめんね、こんな話。せっかくショウのこと指名してくれてるのに、美咲さんにする話じゃなかった」

「あ、いや……私は客だけど、そこまでじゃないっていうか……」


 客ではある。

 けど、ショウにたいしてホストらしい行動を求めてるわけじゃない。


(私が欲しいのは締めの血で、それはホストじゃなくても——ん?)



 ……んん???ホストじゃなくても良い?だったら——


(ショウがホスト辞めたら無料で吸い放題じゃない!?!?)



 ふと閃いた思いつきに私の体温は一気に上昇する。


 そうだよ、なんで今まで気がつかなかったんだろう!?

 ショウとはLINEも交換してるし、このままラーメン友達として仲良くしてさ、人間ドック的なノリで血液検査(物理)ってことにすれば良いじゃん!!


 素晴らしい考えに一人で盛り上がる私の隣で、シオンはまだ話を続けていた。


「でも、美咲さんがショウの側にいてくれるのは嬉しいんです。支えて、味方になってくれる人がいたらショウももっと頑張れる。美咲さんはショウのこと、好きですか?」


 こちらを探るような視線に、勢いで答える。


「好きだよ、友達だからね!」

「……友達」


 ラーメン友達、良い響きじゃないか!!

 調理師ってことは結構マニアックな食材について語ったりも出来るかもしれない。

 え、どうしよう、ショウと友達になったら最高じゃん!!!


 脳内大興奮な私とは反対に、シオンは気落ちした様子だった。


「……やっぱり、ショウはホストに向いてないな」


 ポツリとこぼした言葉は少し冷たかったけれど、興奮している私は気がつかなかった。

 ただ言葉の意味を、そのまま受け取って大きく頷いた。


「そうですよ!実兄のシオンから見てそう思うなら、残念だけどもうこれは諦めた方がいい!方向転換が必要ですよ」

「……方向、転換……ですか」

「はい!私も今の今まで、目的を見失ってました。……そうだよ、ショウはホストに向いてないんだよ」


 ホストじゃなくラーメン仲間へ——。

 ショウをどう説得しようか、口元に手を当て俯くように考え始めたわたしの隣をシオンがスッと詰めてきた。

 拳2個分の空間が1秒で埋められたことに気がついて見上げればシオンが甘い笑顔で私のことを見ていた。


「良いですね、方向転換。俺も——賛成です」


 シオンの膝がほんのわずか私の膝に触れた。


「美咲さん、LINE交換してくれませんか?」

「LINEですか?別に良いですけど……」


 言われるがままスマホを取り出すと、シオンがそっと身を寄せる。

 画面を覗き込む仕草がやけに近い。


(木の香りだ……)


 ふわっと香る落ち着きのある深い香りに、シオンの血だけは、まだ吸えていなかったと思い出す。


(吸いたい……って思うのは、やっぱり前吸えなかったから?)


 私は一度「食べたい」と思ったものは、どうにかしてでも口にしないと気が済まない人間だ。だからやっぱりシオンの血も吸いたいと思ってしまう。

 きっちりと閉められたシャツの襟がもどかしい。


(……って、いやいやいや!ダメダメ)


 慌てて頭を振る。


 シオンはショウ想いの優しいお兄さんなんだから。

 ホストだけど、吸ったらきっと罪悪感に駆られて、後悔する。


(落ち着け、私)


 視線を逸らし深呼吸をしている私を見て、シオンは目を細めた。そして私に身を寄せたまま、耳元でそっと囁く。


「美咲さん。吸いたいですか?」


 ——え。

 声にならない驚きが喉に詰まる。思わずシオンを振り返ると、彼は、穏やかな笑みを湛えていた。


(……いや、聞き間違いだよね?)


 シオンは、私が吸血鬼だなんて知らないはずだ。ショウが話した可能性はあるけど、それで「吸ってもいい」と差し出すなんて普通じゃない。


 これはきっと、何かの聞き間違いだ。

 そう結論づけた矢先、シオンは徐にジャケットを脱ぎ始めた。


「良いですよ、吸っても」


 ジャケットをバサリと畳み、脇に置く。

 その一連の動作が、ふっと空気を揺らした。

 そして、その空気の揺らぎが、私の食欲を刺激した。


(ああ、どうして彼はこうも良い匂いがするんだろう)


 どこか出血でもしてるのかと疑うほど、濃厚に立ち込める鶏ガラ塩ラーメンの香り。

 私好みの、美味しい香り——。


 気づけば、シオンから目が離せなくなっていた。

 そんな私を見つめながら、シオンはネクタイに指をかける。しなやかながら、骨ばった手の甲に浮かぶ筋は間違いなく男性のものだ。

 ぐっと、力を入れて左右に振れば、解けたネクタイの下から第一ボタンが現れた。



「血なんて、いくらでもあげますよ」



 シオンが、私の目をしっかりと見つめながら、試すように口にした。


 ごくり。

 無意識に唾を飲んでいた。


「その代わり——ショウに、ホストを辞めさせてください」


 そう言って、シオンはシャツのボタンをひとつ、外した。



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