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13.ボンゴレビアンコ



 フライパンの中で、赤唐辛子とみじん切りにされたニンニクがオリーブオイルに浸ってじりじりと音を立てている。


「てかさ!?今まであんなに、本指名嫌がってたのに、なんであんなあっさりOK出すわけ!?選ぶと思わないだろそんなの!……いやまあ、嬉しいけどさぁ!!」


 ショウは湯気の立つ鍋を見つめながら、怒涛の勢いで喋り続ける。


「というか、血への欲求が強すぎるんだよ。そんなに他の人の血が美味しいわけ?俺より!?鶏ガラ醤油って王道だし結構イケてると思うけど!?」


 砂抜きをしたアサリをザルにあけ、水を切り、ザラっと一気にフライパンに流し込む。

 小さな水滴がジュっと音を立てて蒸発していく。

 冷蔵庫から取り出した白ワインを回し入れ、旨みを閉じ込めるように蓋をした。


「変な奴の血吸って、おかしくなるリスクとか考えないのかなぁ。しかも相手ホストだし、美咲さん警戒心ないし、あっという間にカモにされるに決まってるじゃん!!売掛されて、本営かけられて、気づいたら紐ホスト養うことになっちゃうんだよ!!そんなのテンプレすぎんでしょ!!」


 ああ見えて推しに弱い美咲のことだ。想像すれば上手く言いくるめられる未来が簡単に見える。きっとそんな状況になっても『美味しい血が飲めるならいっか!』とか言い出すんじゃないだろうかあの人は。


 ピピピ…


 ショウを現実に引き戻すようにタイマーが鳴った。

 鍋から茹でていたパスタを引き上げ、口が開いたアサリのフライパンに合流させる。

 オリーブオイルと茹で汁とを乳化させるために小刻みにフライパンをゆすった。


「大体、ホストクラブの仕組みも全然分かってないし。いや、俺ちゃんと初回の時説明したからね?聞いてないんだよあの人!もう頭のなか食べることでいっぱいなわけ!!どうせ俺のこともご飯としてしか見てないんだよ。いっつも勝手にパクパクしちゃってさ!分かってんのかな、俺だってホストなんだけど、むしろ普通は俺が食べる方だから!!」


 塩で味を整えて、窓際で栽培しているイタリアンパセリをちぎって絡めたら、二つの皿に盛り分けていく。


「それから……LINEで変なこと聞かないで欲しいっ!!」


 ドンっと出来上がったボンゴレビアンコを机に置けば、8畳しかない部屋はあっという間にニンニクとアサリの香りに支配される。


 目の前に出されたパスタを目にしたシオンは、両耳からイヤホンを外した。


「凄いね、出来上がるまでずっと何か喋ってた」

「……パスタはできるの早いから」


 揶揄うような兄の言葉にショウは唇を尖らせた。ずっとって言ったってせいぜい10分くらいなものだ。


「仕事の愚痴?」


 シオンは机に片肘をつき、頬杖をついたまま、誰もがとろけるような甘い笑みを浮かべ、流し目で問いかけた。


「そう。摩訶不思議な客がいるんだよ……ねえ、ホスト慣れしてない客ってどう対応してる?」


 ショウはシオンにフォークを手渡しながら助言を求めた。兄はナンバーワンホストだ。美咲のような客の相手はお手のものだろう。


「ショウは何営してるの?」


 何営──とは、ホストが客に仕掛ける営業方法の話だ。恋愛の駆け引きを楽しむ色恋営業や、友達関係のような友営を仕掛けてホストは店に客を呼ぶのだ。


「ご飯営……じゃなかった、友営…かな」


 コラボに釣られてホイホイやってくる美咲を思い出したショウは、追い払うように頭を振った。

 シオンは顔色ひとつ変えずに答えた。


「うーん、それなら色恋、本営で風俗落としかな」

「さいてー」


 冷ややかな目を向けるショウにシオンは揶揄うような笑みをみせた。

 当然、シオンがそういう事をするタイプじゃない事は知っている。なのにシオンはわざとそうやってホストの汚い面を見せてこようとする。


「そういう世界なんだよ。じゃなきゃ生き残れない……そろそろうんざりしてきたんじゃない?」

「べつに、やり方次第だと思うけど」

「ふぅん。意外と粘るね」


(どっちがだよ)


 ショウは軽く睨みつけたが、シオンは気にも留めず優しく微笑んだ。


「……俺、辞めないから」

「何も言ってないよ。翔の好きにすればいい」 


 シオンはショウが作ったパスタを前に「いただきます」と言って両手を合わせた。


「ただ、俺と同じ店に入ったのはそっちなんだから、何があっても文句言わないように」

「……何があるっていうわけ?」

「さあ?ホストが嫌になるようなことかもね」

 

 シオンは軽く肩をすくめ、フォークに巻きつけたパスタを口に入れた。


「うん、うまい。やっぱり翔はこっちの道の方が向いてるよ」


 本気で言ってるからタチが悪い。

 何か言い返してやろうと思っていたのにこう褒められると何も言えなくなってしまう。


 ショウは諦めて自分の皿に手を伸ばした。

 目の前ではシオンが、自分の作った料理を美味しそうに食べている。その姿に、ラーメンをすする美咲の姿が重なる。


(……あのLINE、なんて返そう)


 時刻は12:40

 どうせ美咲は、こっちの気も知らずに呑気にランチでもしてるんだろう。

 ショウは小さく息をついた。



 ◆◆



「…んっ、ふぁああ〜」


 デスクで昼食を取り終わった美咲は、小さくあくびを吐き出した。


 あー、眠い! 今ご飯食べたばっかりだけど、もう眠い。なんで人ってお腹いっぱいになると眠くなるんだろうね? そして、なんで眠いのに働かなくちゃいけないんだろうね!?


 本当ならこの幸せな満腹感のまま寝てたいけれど、そうもいかないのが現実なのだ。


 スマホの家計簿アプリを開く。今月の支出、ホスト代とチョコ代が同率タイ。

 ──うん、見なかったことにしよ。


 ホストクラブの初回で安く血を吸うつもりだったのに、何故かこんなことになってる。マジで、ちりつも怖すぎ。


(うーん……ショウを本指名するとか言ったけど、早まったかな?)


 正直、めちゃくちゃコスパ悪い気がする。

 でも、安全に吸血できるって考えたら……まあ、必要経費? うん、必要経費ですね、これ。大事なことだからメモしとこう。


 頭の中で家計簿にゴーサインを出していると、後輩の高田が荷物を持ってやってくる。


「伊東さん、そろそろ出ますか?」

「あ、うん、そだね。行きますかー」


 今日は午後から外の営業所で打ち合わせ。夜は取引先と合流して会食だ。

 しかも、高・級・イタリアン! ありがとう会社、大好きだよ経費!

 ……そうだよ、美味しいものは高いんだ!

 働け、私。稼ぐんだ、私! そして呑んで、啜って、締める!!……えっ、完璧じゃん。


 12:40。画面になんの通知も来ていないことを確認して、私はスマホをバッグに詰め込んだ。


 ◆◆



「……では、私達は次のに乗りますのでここで」

「はい。今日はありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします」


 高田と共に深々と頭を下げる。

 エレベーターの扉が閉まったのを確認したら、あとはもうこっちのもんだ。


「……いや〜、美味しかったね!」

「あ、そこは『上手くいったね』とかじゃないんですね」


 高級イタリアンの余韻に浸る私に高田がつっこむ。

 もちろん仕事がうまくいったのは嬉しいよ?でも、ここのイタリアン凄かったじゃん!

 あのスープ仕立てのボンゴレは、ちょっと美味しすぎて異次元だった。


 経費最高〜!!とほろ酔いの良い気分で会社に感謝をしていると、ふと右隣のエレベーターが目に入る。

 オシャレな高層ビルにありがちなガラス張りのスケスケエレベーターは、都会の夜景だけでなく、隣のエレベーターに乗ってる人もよく見える。


「うぇっ!?」


 隣のエレベーターの中で、男女がガッツリ抱き合い、水音が聞こえてきそうなほど濃厚なキスをしている。

 突然大人の現場を見せつけられて変な声を出した私につられて、横を向いた高田もギョッとする。


「うわっ、こんなとこですごいですね。あれ、ホストじゃないですか?」

「いやいや、ホストって決めつけるのは…」


 言えるわけないけれど、私一応ホストに通ってるからわかるよ!ホストはもっとギラギラでジャラジャラだし、さすがに日比谷には出没しな──


 男がこちらの視線に気が付いたのか、顔を上げた。


 ──って、流生(ホスト)じゃねえーかっ!!


 それなりに鍛えられた体に、少し癖のある茶髪、Sっ気が全く隠れてない瞳。

 どっからどう見ても間違いなくClub GOURMET の流生だった。


 流生も私を認識したのか、一瞬驚いたあと、にやりと笑った。

 ぞくり、と鳥肌が立つ。


 え、何それ…。

 すっごい嫌な予感がするんですけど!?


 私はさっと高田の陰に隠れて尋ねる。


「ねえ、このエレベーターって地下直結じゃないんだっけ」

「そうですね、一番右のに乗り換えが必要です」


 三台あるエレベーターは一番右端を除いて1階までしか降りられない。

 1階にある商業施設と併用の出口はこの時間は閉まっているから、建物から出るには地下道に降りるエレベーターに乗り換える必要がある。

 それはつまり、真ん中のエレベーターに乗ってる流生も乗り換える必要があるわけで…


 若干の差はあれど、ほとんど同じスピードで動いている二台のエレベーター。


「てことはこのペースでいくとさ……」

「……ほぼ同時に一階着いちゃいますね」


 高田もこの後にとんでもない気まずい状況がやってくることを悟ったらしく、嫌そうな顔をした。


 ちなみに、流生はまた私たちに見せつける様に連れにキスをした。

 まじでやめろって!!ねぇ!!


 これが友達といるときに目撃したのならまだいい。

 けど今は仕事仲間と一緒なのだ。しかも彼女持ちの後輩と。私も気まずいけど高田もきっとめちゃくちゃ気まずいはず。

 それに、ここでもし流生に声でもかけられたりしたら……


 私の社会人生活が終わるね!?!?


 それに気が付いて、さあっと血の気が引いていった。

 高田が流生を見て、不思議そうに言う。


「なんか……伊東さん、すごい見られてませんか?」

「ソンナコトナイヨ」


 だからこっち見んなってば、流生!!


 ……これはまずい、完全にロックオンされている。

 流生との付き合いは短いけれど分かる。こういう時こいつは絶対話しかけてくるタイプだ!!


 数字が減っていく電光表示に覚悟を決めた私は、扉のギリギリに立った。


「高田くん、ちょっと腹ごなしに付き合って」

「喜んで!!」


 地獄の鉢合わせを避けるためには、流生達よりも早く降りて、今乗っている左端のエレベーターから一番右端のエレベーターに移動する必要がある。

 ……察しがいい後輩で助かるぜ!!高田、今度のプレゼン手伝うからね!!


 一階に着いた瞬間、私達は猛ダッシュで駆け出した。向かうは一番右のエレベーター。


「エレベーター来てる!?間に合う!?」

「今地下から上がってきてます!!」

「あああ、止めて止めて!!」


 ヒールの私より先にエレベーター前に到着した高田が、ナイスタイミングでエレベーターを捕まえた。

 流石、若手のホープ!!持ってるね!!

 地下から上がってきたエレベーターが開く瞬間、流生が乗る真ん中のエレベーターの扉も開いた。


「あっ、おい!ちょっと待って」


 転がり込んだ先のエレベーターで閉まるボタンを連打する。うなれ私の人差し指っ!!


「すみません、どちら様か存じませんが急いでおりますのでっ!!」


 向こうで流生が「は?お前何言って…」とか言ってるけど、聞こえない、知らない!

 そう、私とあなたは知らない人!!

 間違っても美咲ちゃんなんて呼んでくれるなよ?


 必死に念を込めて睨みつけていた扉が、がちゃんと音を立ててしまった。

 私は安堵の息をつく。


 ふぃーーー助かった!!!

 危なかったーーーーー!!!


 まさかこんなところで流生に会うとは思わなかった。え、なにホストって新宿にだけ生息してるわけじゃないんだ。


 社会人生活一の危機を回避し、心底ホッとした私は、念のため「ホストなんか行ったこともない社会人」を演じるべく、高田に話しかける。

 バレてない。うん、何もバレてないはず。


「いやー、ホストなんて初めて見たけど、あんなこともするんだねえ」

「そうですね。でもまあ、ホストなら普通なんじゃないですか?」

「え、そうなの?」

「彼女が見てたドラマでやってました。エレチューってやつです。ホストのキスは営業なんですよ」


 そうなんだ!?

 え、じゃあホストって普通にキスとかバンバンしちゃうわけ!?!?


 ふとショウが頭に浮かぶが、流生のようなキスをしてる姿はどうもしっくりこない。


(……いや、でも、指にはしたか)


 ショウからのLINEはまだ返ってきていない。

 けれどすぐ返って来ないということは、そんなに大したことじゃないからなのかもしれない。


(ホストのキスは営業…)


 指先の熱はふとした時に蘇る。けれど……

私は指先を折って2、3回グーパーをした。

──こうしてしまえば気にならない。


「ところで伊東さん、何階押しました?」

「え?」


 エレベーターは上に向かって動いている。

 高田に言われて私は階数ボタンのパネルを見たが、光っている階はないし、押した記憶もない。


 ──ということは。


 チーン


 軽快なベルの音とともに、エレベーターの扉が開く。


「……あっ」


 目の前にいたのは、ついさっき別れたばかりの取引先の人たち。


「お、お疲れ様です……」


 彼らの「なんで戻ってきたの?」という無言の圧を浴びながら、私は引きつった笑顔を浮かべた。



【本営】本命の彼女だよ感を出す信頼重視の営業。

【エレチュー】エレベーターでチュウ。


リアクション、評価、嬉しいです!!誤字脱字報告もありがとうございます!!

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