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10/22

10.つけ麺(2)

 

 『おねーさん、今日来る?

 バレンタイン企画でマサハル・ホンダとコラボしてるんだけど、これが、めちゃくちゃ美味しそうなガトーショコラでさ!

 席取っとくから早めに連絡ちょーだい!』


 『あー、ちょっと親がぎっくり腰になっちゃって』


 『マジ!?大変じゃん!え、大丈夫なの?

 ごめん、そんな時に連絡しちゃって。

 また何かしらコラボあると思うからさ!そっち優先してね!!』


 ピコンっという軽快な音とともに手を振る鳥のスタンプが送られて来た。



(……既読早すぎんでしょ)


「親がぎっくり腰になったから、行くとしても早めに帰るからね」と送ろうかと思っていたのに、ショウの返信が早すぎて、誘いを断ったみたいになってしまった。


 え、全然ガトーショコラ食べに行こうと思ってたんですけど。

 …いや、まあ、私が途中で送信したのが悪いんだけど。でもほんっとに早かったよ?暇なの??


 百貨店のエスカレーターの脇で、私はスマホ画面を見つめる。

 嘘ではない。母がぎっくり腰になったのも本当だし、様子を見に今日は実家に帰ろうと思ってた。でも……


(お母さんめちゃくちゃ元気なんだよなぁ…!)


 ショウが心配してくれたほど大袈裟な話じゃない。家には父もいるし、生活に支障はない。むしろ母は「溜まってたドラマを一気見できる!」と喜んでいるくらいだ。唯一の不満といえば、好きなお菓子を買いに行けないことだけど、それもこうして私が代行すれば解決だ。


 私はチラッと手に下げた紙袋を見る。


 私が持っているのはネット申し込み先着20名限定のチョコレート。母がスマホとパソコンを駆使して勝ち取った品物だ。


 ……やっぱり行く!って言うのは簡単だけど、この流れでそれすると私すごく薄情な娘になっちゃわない?

 まあでも、そこはちゃんと説明すればいっか。いつもみたいにサクッと食べて即帰宅すれば……


『ーーそれに、お金使わないなら、たまには他の人を指名した方がショウにとっても良いんじゃないかな』


 ショウの先輩ホストだという流生の言葉が頭をよぎった。


(……行ったところで迷惑かな)


 私が行ったところで売り上げに大きく貢献できるわけじゃない。

 もしかしたら、ショウが「早めに連絡ちょーだい」と言ったのも、空いてる席を埋めたかっただけなのかもしれない。今更「行く」って言っても、もう席が埋まってる可能性だってある。


(くっ……ちょっとのミスでガトーショコラを食べ損ねるなんてっ!)


 ショウのメッセージを読み返す。「めちゃくちゃ美味しそうなガトーショコラ」その文面がやけに頭にこびりついて離れない。

 ああ、食べたい。めちゃくちゃ食べたい!けど、流生の言葉を思い出してしまっては、ショウを指名するのは気が引ける。

 ……だったら流生を指名する?


 新たに出てきた選択肢に、私は渋い顔をする。


「それはそれで、嫌なんだよなぁぁあー…」

「何が嫌なんです?」

「うわぁっ!?」


 ポツリと独り言を言ったつもりが、返事が返ってきた。

 驚いて飛び跳ねるとそこには、すらっとした長身の男ーージュノが立っていた。



 ◆



「はいどうぞ」


 ジュノが私が頼んだ飲み物を運んできてくれた。パッションフルーツティーにナタデココとアロエをトッピングした、つぶつぶ&ぷるぷるのドリンクだ。


「ありがとう。現金…よりも電子マネーの方がいい?」

「いえ、これくらいは奢らせてください」

「でも…」

「こないだのお詫び、にはならないでしょうけど……ずっと気になってて」


 ジュノがコーヒーを片手に私の隣の席に着く。

 新宿の人の行き交いが見える窓際のカウンター席で、ジュノは小さく頭を下げた。


「あんな、騙すようなことをして、すみませんでした」


 なんか、めっちゃしょんぼりしてる。

 その声が、よほど後悔しているような声だったので、私はジュノに会ってから高まっていた警戒心を素直に解くことができた。


「あー…もういいよ、あの時のことは!韓国ラーメン美味しかったし、なにより楽しかったしね」


 1人じゃ絶対に入れないような素敵なお店に案内してもらえたのだ。ガイド代を考えればプラマイゼロ!

 私はしょげるジュノに、もう怒ってないよと笑顔を見せて、遠慮なくお詫びのパッションフルーツティーを啜った。うん、うまい!


「そうやって笑ってもらえると救われます。美咲さんずっと渋い顔をしてたから」

「え?ああ、それは……」


 私は、目下頭を悩ませている流生のことを話した。

 彼が私のチョコを使って客におねだりしたり、店に来るよう誘導したりとうまいこと営業してくると言えば、ジュノは納得したように頷いた。


「さすがGOURMET のナンバーですね。ガトーショコラを取られちゃ、美咲さんもどうしようもない」

「そう、卑怯なやつなの!ねぇ、ホストってそんなにチョコが欲しいものなの?」


 ジュノは少し考えてから答えた。


「美咲さんは、美味しい食べ物を探す時どうやって選びますか?」

「うーん……グルメサイトとか雑誌の特集かな。人気って書かれると、つい食べてみたくなるよね」


 グルメサイトには、小説家ばりの文才でレビューを書く人もいる。まるで目の前に料理があるかのような絶賛コメントを読んで、つい涎が出そうになったこともある。


「まさにそれです」

 ジュノが人差し指を立てる。


「お客さんは基本的に“人気のあるホスト”を選びます。バレンタインの時期は、チョコの数がそのまま人気の証明になるんです」

「うん、それは分かるよ。たくさんもらってるホストは、注目されるし、指名も増えそうだよね」

「ええ。でも、それだけじゃないんですよ」


 ジュノは少し身を乗り出した。


「例えば、美咲さんがレストランの評価を見て、『人気だし美味しそうだから行ってみよう』って思うとします。でも、予約がなかなか取れないお店だったらどうします?」

「……なんとか予約しようと頑張るかな」

「そうですよね。で、やっと行けたら、せっかくだからってコース料理を頼んだり、ワインを奮発したりしません?」

「あ……」

 私はジュノの言いたいことに気づいた。


「つまり、チョコをたくさんもらうホストは『人気店』みたいなもので、会えたお客さんは『せっかくだから』っていっぱいお金を使うってこと?」

「正解です」


 ジュノが微笑む。


「ただの“人気の証明”じゃなくて、実際に売り上げに繋がるんですよ。だから、ホストたちはバレンタインに必死なんです」


 なんつー仕組みだ。

 まさか、チョコがそんな使われ方をする世界があるとは思わなかった。


「美咲さんが流生さんの席に行くこと自体も、彼にとってプラスですよ。バレンタイン期間に初めてのお客さんがつくだけでも『新規が増えてる=勢いがある』って印象を与えられますからね」


「うわぁ……そんなのもう、行くってだけで負けじゃん」


 私はへにゃっとテーブルに突っ伏した。


 もちろん流生にチョコを渡す気なんてさらさらないし、追加でお酒を入れるつもりもない。

 けれどジュノがいうとおりなのだとしたら、流生の席でガトーショコラを食べて即帰宅したとしても、彼の人気レースの後押しをしてしまう。


 いや、別にそこまで気にすることじゃないとは思うけどさ?でも、癪じゃん!!良いように使われてるって感じがしてさ。

 ……とは言え、ホンダ・マサハルのガトーショコラは食べたい。あのこだわりの強いパティシエのことだからコラボメニューということは通常版と何かを変えてきてるに違いない。

 ああ、限定版への誘惑がつらいっ…!!流生かショコラか、なんで私はこんな理不尽な2択を迫られてるんだ…!?


 頭を抱える私の肩をジュノが叩く。


「悩むほどのことじゃないと思いますよ。だって、美咲さんには、もう一個、大事な“欲”があるでしょう?」


 ジュノが笑いながら自身の首を指差した。


(…ああ、そうか、そうじゃん!)


 それに気づいて私はパッと顔を上げる。


 流生の思惑通りになんてなりたくないけど、それが加わるなら話は別だ。私の中で揺らいでいた天秤が一気に傾いた。


 私はちょっと唇を舐めて、ポケットの底にしまっていた流生の名刺を取り出した。



 ◆◆◆



「来ると思ってたよ、美咲ちゃん」


 前に会った時よりもキラッキラな格好の流生は、卓に来るなりしたり顔でそんなことを言ったけど、今の私にはノーダメージだ。


 だって、私の前には流生なんかより素晴らしい物があるからね!流生の声なんて聞こえるはずがない。

 待ちに待ったマサハル・ホンダのガトーショコラ。

 ずっしりとした断面からわかる濃厚さに、もう私は夢中なのだ。


(……あぁ!幸せ!!お店中に広がるこのカカオの香り!!なにここ、天国なの!?)


 鼻から入ってくる香りだけで日常の嫌なことは全て忘れられる勢いだ。


 勿体無いと思いながらもフォークでショコラを口に運べば、染み出るように甘さが広がる。


「さ、幸だ。これは、幸すぎるっ……!!」


 通常版と異なって少しお酒が効いている。芳しいカカオに深みのあるブランデーの香りが心地いい。もうこれは、このまま一生深呼吸しててもいい。ずっとこの香りに包まれていたいっ!


「……本当にホストクラブを飲食店だと思ってるんだ?」


 流生が何か言ってるけど、無視だ、無視無視!!私は気にせず二口目を口に運ぼうとしてーーその手を、横からすっと取られた。


(ーーえ?)


 パクッ。


 勝手に手を使われ、流生にガトーショコラを食べられた。


「うん、美味しい。美咲ちゃん、チョコありがとう」

「……っな」


 何しとんだこいつはーー!!!???


 にこっと幸せそうに笑う流生の服の襟を、私はぐわんぐんと掴んで揺さぶる。


「こ、この、ヒトデナシ!!! 私のガトーショコラ食べた!? え、本当に!?」

「うん、美咲ちゃんがあーんしてくれたね」

「してないから!! あんたが勝手に奪ったんでしょ!!」

「あはは、バレた?」


 バレたじゃねーよ!!!

バレバレだよ、強奪男!!!


 目の前で堂々とケーキを横取りされるというありえない事態に、私は目を見開いて絶句した。


「だって、せっかく会えたのに美咲ちゃん、ケーキしか見てないからさ。ちょっとイタズラしちゃった」


 イタズラじゃないから、犯罪だから!!!

 私は戦慄く唇で、流生に告げる。


「言っとくけど、私はガトーショコラを食べに来たんであって、あなたに会いに来たわけじゃないんだけど!?」

「うんうん、ツンデレなとこも可愛いね」


 そう言って流生は張り付けたような笑顔で笑う。


 なんだこいつ!!!!!

 ……ちょっと待て、おかしいぞ、こいつこんなに変だった?いや、いけ好かないやつだってのは元々そうなんだけど。

 今日はかなーり嘘臭い。なんで?ホストクラブだから?そういう雰囲気ってこと??


 そこで私はハッとする。


(……ま、まさか、これがホストの『営業』ってやつ?私に営業かけてるの??マジで?)


 ふと頭をよぎった考えに固まった私を、覗き込むようにして、流生が首を傾げる。

 ソファに置いた私の指に流生の指が重なる。


「怒っちゃった…?」


 低く、掠れるような声なのに、チョコレートよりも甘い。心臓に刺さるようなその声は、感情が篭っているように聞こえるのに、流生の瞳には何も映っていなかった。


「ねえ、美咲ちゃん。もしショウのこと忘れられるなら、俺、美咲ちゃんのことーー」


 流生が握ろうとした手を振り払い、私は流生の口を引っ掴み、ガトーショコラを押し込んだ。


「……ぐっ、ちょっ」

「良いから食べて!!」

「なん……っで」


 わんこそばよろしく、私は流生が口を開くたびにガトーショコラを次から次へと放り投げた。


「ちょっ、落ち着けよ!」

「あんたがね!!」


 ケーキを運ぶ手を抑えられ、力で振り解けない私は口で応戦する。


「いいから、一回信じてみ?チョコってリラックス効果あるから、落ち着くから」

「いやいやいや、そもそも何、落ち着くって。俺落ち着いてるんだけど」


 流生がそう言ってあの暗い目で私を見つめる。まさにそれが落ち着いてない証拠だ。


 だって、私だよ!?お金使わない客代表の私に営業かけるなんて、どう考えてもおかしいでしょ!!どうする?もうこのタイミングで一回啜っとく?そしたら多少は落ち着くかも。


 私は流生の襟元に隙がないか、チラチラと確認する。


「……なあ。こっち見ろよ」

「見ても意味ないでしょ。だって、あんた私のこと見てなんかないじゃない」

「……」


 あーだめだ、腕押さえられてるからこれ以上近づけないや。

 なんとか、吸える場所はないかと体を捻る私を流生は悠々と抑えて、小さく呟いた。


「なんで、そう思うの?」


 それはさっきよりも随分淡々として無色彩の声だったけれど、ちゃんとこっちを見ていた。私は流生の隙を探しながら答える。


「なんでって……今日そういうの見てきたばっかりだし」


 流生がよく分からないと言った顔をしたので、私は「伝わるか分からないけど」と前置きをしてから続けた。


「みんな自分が食べたいチョコ買いに来たのに、途中から“高い方がすごい”とか“買えた自分偉い”みたいな謎のバトル始まるんだよね」


「俺もそんな風に見えるって?」

 流生が薄く笑いながら、どこか刺々しい視線を向けてくる。私はすぐに首を振った。


「何かに一生懸命なのは良いことだと思う。けど、ハマりすぎると自分を見失うから……だから、ほら、一旦チョコ食べてリラックス!!」

「意味わかんない」

「意味分かんなくていいよ。勝手に食べさせるから。そしたらそのうち落ちついて……こないだ私を転がしたみたいにもっと上手くやれるでしょ」


 ーーあの時は、してやられたと思った。やっぱりNo.3は違うと素直に思った。けど、今日の流生は私に営業を悟られるほど下手くそだ。


「原因なんて知ったこっちゃないけどさ。こんな時に調子を崩しちゃダメなんじゃないの?バレンタインって大事なイベントなんでしょ?」

「……」


 別に流生を応援してるわけじゃないけれど、こんな不甲斐ない姿を見せられるとそれはそれで癪に触る。

 ほんっと、気に食わないわこの男!!


 ぶつくさ文句を言えば、私を押さえつけてた流生の力がすっと抜けた。

 お?チョコが効いてきたか?


「へぇ……そういうのは分かるんだ」


 小さな声で溢した流生の言葉は、そのまますぐ彼の声でかき消される。


「美咲ちゃん、君、嗅覚が鋭いね」

「いや、私、鼻良くないけど」


 私の鼻は父と違って皮膚の上から血の味は嗅ぎ分けられない。

 流生が、引っ掻くように私の鼻を突いた。


「これは俺には無理だな」

「なにが?」

「急にガトーショコラ突っ込んでくる女と仲良くすること」


 ……なんかすごく失礼なこと言われた気がする。でも、話の流れがめちゃくちゃすぎて怒るタイミングがわからない。迷っていると、流生が手元の腕時計をちらっとみて、すっと席をたった。


「じゃ、また来るから。ちょっと大人しく待っててね」


 目だけで小さく笑った流生は、そう言い残して振り向かずに去っていく。かき回すだけかき回しておいて、なんて自由気ままなんだ。


「てか、私、まだ吸ってないんだけど……!」


 いただくものは全部いただく精神で来たのに、流生のせいでガトーショコラも満足に食べれなかった。

 取り残された私は、お皿の端に転がったガトーショコラのかけらをつまみ、不満げに口に放り込んだ。



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